書評 「The Parasitic Mind」

 
本書は進化心理学者ガッド・サードによる一冊.ガッド・サードは消費者心理やマーケティングを進化心理学的に分析考察する業績で知られている.題名は「寄生性の心:どのように感染性のアイデアが常識を殺すのか」という意味であり,一見したところミーム論の本のように見える(私としては進化心理学者の書いたミーム論だと思って手にした一冊になる).しかし実際に読んで見るとこれは現在アメリカのアカデミアで一大勢力を振るうウォークプログレシブによるキャンセルカルチャー告発の書であった.アカデミアのキャンセルカルチャーの問題を扱った心理学者がかかわった本としては以前にルキアノフとハイトの「The Coddling of the American Mind」を書評したが,こちらが学生の安全を過度に重要視することから生じた問題として憂いていたのに対し,本書はこれは感染性の悪質なイデオロギーに起因する問題だと看破し,(まさにそのキャンセルカルチャーの餌食になるリスクを冒して)戦闘的な批判姿勢を貫いているのが特徴だ.
 

序言

 
冒頭でサードは西洋は現在人々の合理的に考える能力を破壊する悪疫に襲われているとぶち上げる.それはダイバーシティ,インクルージョン,エクイティのイデオロギー,ポストモダニズム,ラディカルフェミニズム,トランスジェンダーアクティヴィズムなどが含まれる悪いアイデアの集合体であり,その態様はアカデミアの教授たちの左派の先進性純粋性シグナルのランナウェイ競争により過激になり,被害者アイデンティティ競争(犠牲者ポーカー)や科学否定主義の形をとって人々の理性的思考能力を破壊するというのだ.そして本書は真実のための戦いの書だと宣言している.なかなかラディカルな序言になっている.
 

第1章 内戦からアイデア戦争まで

 
第1章ではなぜサードがここまで過激な真実と自由のために戦う戦士になったのかの背景が書かれている.ここではなかなか迫力のある経歴が記されている.

  • 私は1964年にレバノンでユダヤ人として生まれた.1970年にエジプトのナセル大統領が死に,レバノンにはイスラム教徒たちによるユダヤ排斥運動が吹き荒れるようになった(様々な恐ろしい出来事が振り返られている).(第4次中東戦争の直後)1975年にレバノンは内戦に突入し,イスラム教徒とユダヤ教徒の平和共存は望めなくなった.自宅が襲撃され,一家はレバノンから逃げることに決めた(間一髪の脱出行も振り返られている).
  • 一家はなんとかモントリオールに逃れた.そこは寒かったが雪は爆弾より遥かにましだった.しかし1980年に両親が一時帰国するとファタハに誘拐された.両親は数日後に高度に政治的な交渉の末に解放されたが,私には大きなトラウマが残った.
  • そこから15年ほどは平和に過ごせた.私は(怪我でサッカー選手のキャリアをあきらめた後)数学とコンピュータサイエンスの道を志し,マクギル大学でMBAに進んだ.私は自由と真実に対する強いコミットメントを持つようになり,それが人生の指針となった.(そのようなコミットメントを持つようになったいくつかの出来事が書かれている)その後社会心理学や進化心理学に出会い,それを生かしたマーケティングを研究するようになった.
  • 科学は真実に至るための手法であり,それは大学で実践されている.しかし大学は科学的真実の源泉であると同時に馬鹿げた反真実生成機でもあることに気づくことになる.その反真実に最初に出会ったのは消費者リサーチの論文誌に掲載されたポストモダニズムの論文だった(その社会構築主義的主張がいかに馬鹿げたものであったかが説明されている).
  • 1994年にコンコルド大学に移る.そこの自然科学者の同僚はダーウィニズムを取り入れて消費者行動を分析する私のリサーチ方針を問題なく受け入れてくれたが,社会科学者の同僚はそれを還元主義的で性差別主義的だとあざけるのだった.特にフェミニズム学者は進化心理学に敵対的だった.
  • そして私はいくつかの邪悪な力が西洋の理性と科学と啓蒙の価値へのコミットメントを侵食していることに気づいた.その力には政治的正しさ(ポリコレ),ポストモダニズム,ラディカルフェミニズム,社会構築主義,文化相対主義,道徳相対主義,被害意識からの攻撃文化(マイクロアグレション,トリガーウォーニング,キャンパスのセーフスペース,アイデンティティポリティクスなど)が含まれている.これらはアカデミアや政治家をセンシティブなトピックから退出させるように様々な圧力をかけ,我々のオープンなディベートを通じて真理に迫るという文化を脆弱化させているのだ.

 

第2章 考察vs感覚,真実vs痛みの感覚

 
サードが最初に取り上げるのは問題への向き合い方だ.冒頭で感情と理性,カーネマンのシステム1とシステム2の二重過程論などを簡単に解説した後でこのテーマに進む.伝統的な科学的なアプローチは物事をロジカルに分析するものだが,今日のアメリカの大学ではロジックよりも痛みの感覚があるかどうかの方が議論を主導してしまうのだ.ここからはそれらの具体的な例示が続く.

  • ドナルド・トランプが当選したときのアカデミアの雰囲気はまさに集団ヒステリー状態だった.彼等は「株価は暴落して二度と回復しない」「トランプは民主制を破壊するだろう」「マイノリティは危険にさらされる」「トランプは核戦争とジェノサイドを引き起こす」「北米は反ユダヤジェノサイド主義に染まる」と口走った.これは象牙の塔の住人たちが(理性的に分析したのではなく)トランプのスタイルを嫌悪したからとしか説明できない.少し落ち着いた後でさえ彼等の中には「トランプに投票した63百万人は皆人種差別主義のうすのろだ」と主張するものもいた.彼等には移民や減税や規制にかかる政策的観点からヒラリーよりもトランプを選ぶということが(ある種の政治的な価値観から)合理的でありうることの考察を拒否しているのだ.
  • サマーズ発言,グーグルメモ事件において,問題となった内容は(ポリコレには反していたが)進化心理学的には正しいものだった.ハーバード大学当局やグーグルがとった行動は「真実が痛むのなら,それは真実であっても多様性,インクルージョン,エクイティ,コミュニティの団結のために抑え込まれねばならない」というものだ.最近もCERNのストルミーアは「物理学において女性は差別されていない」ことをデータで裏付けた内容を講演した結果,偏見による憎悪者と糾弾され職を失った.
  • 冗談も対象にされる.例えばノーベル賞受賞化学者のティム・ハントは国際会議の場で,男女がいるラボについて「女の子がラボにいるとね,自分がその子を好きになったり,彼女が自分を好きになったり,批判して泣かれたりするかもしれないんだよね.そういうのをどうしても避けたいんなら同性のみのラボしかないんだよね」と冗談を飛ばしたことがSNSで広まり,激怒の津波に襲われて(女性科学者を含む擁護者も多かったにもかかわらず)最終的にはUCLを辞職せざるを得なくなった.また医学者で外科医のラザー・グリーンフィールドは性交により精子に接触した女性の方が鬱になりにくいことを示す論文の最後に「このことから,聖ヴァレンタインが考えていたよりも男女の絆が深いことがわかる.そして私たちは今やチョコレートよりいいギフトがあることを知ったのだ」と書いて糾弾され,論文誌の編集者を辞さざるを得なくなるとともにアメリカ外科大学で降格となった.
  • マット・テイラーは彼の宇宙工学の業績についての公開されているライブストリームインタビューで(ガールフレンドからプレゼントされた)下着姿の女性がプリントされたTシャツを着ていたために激しく糾弾された.マットを糾弾するようなフェミニストは,しばしば男性の視線を視覚レイプであるとし,ビキニは父権主義的性差別主義者のツールだが,ブルカは男性の視線から守られるために開放的で自由だと主張する.どんな皮肉もこのプログレシブな馬鹿話にはかなわないだろう.

 

第3章 現代自由社会において譲歩できない要素

 
サードは次に社会がリベラルでモダンであるために必要不可欠の要素は何かという問題を取り上げる.それはサードによると(1)どのような問題でも自由に議論できる権利と(2)競合するアイデアをテストするための理性と科学へのコミットメントだという.そしてそれがどのように脅かされているかを語っていく.

  • 多くの人々は言論の自由についてほとんど理解していない.SNSに現れる社会正義戦士たちはしばしば私が(SNSで彼等に対して丁寧に相手をしないからといって)「言論の自由」偽善者だと批判する.彼等は,個々人が嘲笑や馬鹿げた議論を相手にしない自由があることを理解しない.そして彼等はSNSカンパニーは政府ではないからどんな言論をプラットフォームに上げるかを選ぶのは自由だと主張する.知識が力ならこれらのソーシャルメディアの巨人はほとんど無限の力を持っていることになるのにもかかわらずだ.そしてこのような巨人はどのような表現内容にマネタイズを許すかという意味でも権力を持っている.彼等は電力会社やガス会社と同じような規制を受けるべき対象なのだ.
  • 私は現在ポリコレ関連で苦境にある学生や研究者たちの声を(ソーシャルメディア活動として)よく聞いている.常に現れるテーマはプログレシブ正統派からの逸脱として罰されないための「自己検閲の必要性」だ.(数多くの具体例が示されている)イデオロジカルなスターリン主義は今や北米の大学の日常的現実なのだ.
  • 2017年ライアソン大学は「大学キャンパスでのフリースピーチのための戦い」という名の講演会(サードも講演者として招待されていた)をまるでアンティファのようにシャットダウンさせた.大学当局はセキュリティ上の理由だと説明した.講演会をシャットダウンさせようとした圧力者たちはフェイスブックにナチの鉤十字を掲げて「我々はナチズム,白人優越主義,ユダヤ排斥主義を許容しない」と表明していた.私はレバノンで反ユダヤの迫害から逃れてきたユダヤ人だがナチズムと認定されるのだ.このような騒ぎは何百も生じており,幅広い講演者が拒否されている.北米の大学は左派のエコーチェンバーとなってしまっている.
  • 「マイノリティに対しての攻撃的な言辞はどんなものでも許されない」とする風潮が明らかになってきたのは1988年のサルマン・ラシュディー事件ぐらいからだ.この頃からマイノリティの信念体系で神聖と認められるものへの批判,皮肉を許容しない動きが過激になった.そしてイスラムへの攻撃は「イスラム恐怖症,人種差別主義」と認定される.しかし誰かがこれは神聖だといったら一切批判できないのでは言論の自由は成り立たない.
  • 科学的に優秀かどうかは政治ではなく能力主義で評価されるべきだ.科学が成功したのは,まさにそれが誰が遂行したのか,するべきなのかに無関心であったためだ.しかし現在それは(ありとあらゆる局面で男女同数を求める)アイデンティティポリティクスに侵食されつつある.そしてさらに「科学は白人男性植民地主義の知るための方法にすぎない(そしてそのような科学と異なる女性やマイノリティの知るための方法も同じく尊重されるべきだ)」という悪質なアイデア病原体が大学に広まりつつある.そうではないのだ.真理はただ1つであり,私たちは科学的手法によってのみそれに近づくことができるのだ.
  • プログレシブたちは「ダイバーシティ,インクルージョン,エクイティ(DIE)が達成されれば全ての問題は解決する」と信じているようだ.これは今や大学の公的宗教となり,DIE官僚団が結成されている.官僚団は暗黙連想テスト(IAT)を使って差別主義者のあぶり出しに躍起になっている.しかしIATは信頼できる手法とは到底いえないものだ.このような異端審問の嵐の中で協調性が生まれるはずもない.
  • しかも皮肉なことに大学内の政治的多様性は著しく減少している(2005年の調査では大学内の民主党支持,共和党支持の比率は5:1,社会学では44:1になっている).プログレシブたちは「大学教授たちは賢いのでリベラルになるのだ」と説明しようとするが,それはまさに自己選択バイアスに陥った考え方だ.おそらくこれはシステマチックな政治差別の結果だろう.このような多様性の欠如は政治学や経済学の弱体化を引き起こしかねない.このような偏りは大学だけでなく,娯楽,GAFAを含むオンラインサービス,新聞出版などの業界でも観察されている.

 

第4章 反科学,反理性,そして非リベラル活動

 
第4章でサードは大学にはびこる悪質なアイデア病原体を具体的に解説する.特に目立つものとしてはポストモダニズム,社会構築主義,ラディカルフェミニズム,トランスジェンダーアクティビズムが挙げられている.ラディカルフェミニズムに対しては火を吹くような批判が繰り広げられている.なおポストモダニズムに対する2017年版ソーカル事件の詳細はなかなか興味深い.

  • 多くのアイデア病原体はヒトを現実から遠ざけようとする.ブランクスレート前提は美しいが偽りのヒトの可塑性を主張し,ラディカルフェミニズムは進化的に生じる性差を否定する.最も極端な現実否定は「トランス」を頭に付けると生物学的性や人種を自由に変更できるとするトランスアクティビストの主張に見ることができる.

 
<ポストモダニズム>

  • ポストモダニズムは客観的真理などというものはないと主張する.私がある論客に「ヒトは女性だけが出産できる」という真理を主張したところ,彼女は「日本には男性が精神的に子をつくる部族が存在する」と返してきた.私が「太陽は東から昇る」と主張すると,彼女は「東」「太陽」などの概念の恣意性を指摘して議論を煙に巻こうとする.どのようにでも言い逃れて客観的真実の存在を認めないのだ.
  • 性差の否定:カナダの人権法Bill C-16はジェンダーアイデンティティとジェンダー表現をヘイトクライム法益に追加するものだ.これを厳密に適用すると進化的人間行動の授業も,3人称代名詞の使用もヘイトクライムになってしまう.今や「男性にも生理がある」という「真実」を学校で教えようという動きもある.カナダ癌協会は広告キャンペーンで「トランスジェンダーの女性にも子宮ガンリスクがある」としている.
  • 1996年のソーカル事件は有名だが,2017年にはリンゼイとボゴシアンが「ヒトのペニスは気候変動の原因たる構築概念だ」というでっちあげ論文を査読誌(Cogent Social Sciences)に掲載させることに成功した.それは何でも載せられるハゲタカ誌だという批判に対して,彼等はさらに20のでっちあげ論文をフェミニスト哲学,ジェンダースタディの主要なリーディング論文誌に投稿した.そしてそのうち7つがアクセプトされたのだ(一覧表が載せられている*1).

 
<トランスアクティビズム>

  • トランスアクティビズムはマイノリティの専制政治だ.トランスジェンダー女性(生物学的には男性)の女子競技への出場がしばしば認められる*2.全くアンフェアだがトランスジェンダーは女性よりマイノリティなので,彼女たちの権利の方が女性の権利より優先されるのだ.「トランス」教義によれば「ヒトはジェンダーを含むあらゆるカテゴリーを自分で選択できる」ことになる.私はある時「であれば私は8歳未満のカテゴリーで柔道競技に出場することも可能になるはずだ」と皮肉を飛ばしたが,(婚姻マーケットで有利になることをもくろんで)自分の年齢を法的に49歳にしようとする69歳の男性が本当に現れてしまった.
  • 北米のプログレシブ主義は認知的に非一貫で非合理的な信念システムだ.彼等は刑事裁判においては17歳11ヶ月の人間を認知的に完全に発達していないから子ども扱いせよと主張し,選挙権に関しては16歳で十分と主張する.そして自分のジェンダーアイデンティティを自覚するには3歳で十分だというのだ.彼等は自分たちの主張と一致するときだけ科学に価値を認めるのだ.

 
<ラディカルフェミニズム>

  • フェミニズムは歴史を通じて数えきれないほどの女性の苦境を救済してきた.しかし今やそれは(その他のイデオロギーと同じく)運動を永続化させるための作り込まれた犠牲ナラティブに頼るようになった.
  • 両面価値的性差別主義目録(ASI)がこのナラティブ作成に使われている.この基準によると男性が女性を理想化したり,歩道で車からかばったり,女性なしの人生は味気ないと感じているなら,彼は悪質な善意的性差別主義者(vile benevolent sexist)と認定されるのだ.ヒトは異性の配偶相手を求めるものだ.進化心理学者でなくともこの基準がいかに馬鹿げているかはわかるだろう.フェミニストたちからの40年にわたる洗脳と魔女狩りを受けた男性が,今や緊急時の女性への心肺機能蘇生術をためらうようになったのも無理からぬことかもしれない.
  • さらに悪質なのが「有害な男らしさ(toxic masculinity)」概念だ.多くの大学がこれに関する講演やセミナーを定期的に開催している.この概念にはスポーツにおける競争性,社会的あるいは身体的な優越性の表示,公的な場面での感情の抑制などが含まれる.そしてこれが暴力,戦争,レイプなどの社会的悪の根源だとされるのだ.男を解毒できさえすれば世界は平和になるというわけだ.しかも今やこの「有害な男らしさ」にはオタク的な性質(toxic geek masculinity)も含まれつつある.
  • 多くのアカデミアのフェミニストたちはこの「有害な男らしさ」概念に満足していない.彼女たちにすれば「男らしさ」は全て悪質であり「有害な」という修飾語は不要なのだ(いくつかの言説が引用されている).そして女性は常に被害者だ.彼女たちの全ての考察はこの「犠牲」につながる.
  • フェミニズムは科学を侵食しようとしている.今やフェミニスト建築学,フェミニスト生物学,フェミニスト物理学.フェミニスト化学,フェミニスト地理学,フェミニスト数学,そしてフェミニスト氷河学*3なる分野があるのだ.
  • 数々の生物学的,解剖学的,生理学的,形態的,ホルモン的,認知的,感情的,行動的な性差の知見が積み重ねられてきた.しかし依然としてフェミニストは心の性差を頑として認めない.最新のこの幻覚の表出は「ニューロ性差別主義」(脳の性差を主張するものは性差別主義者だ)としてパッケージ化されている.なんともいらだたしいことにネイチャー誌までもがこれを肯定的にカバーしているのだ.
  • ラディカルフェミニストたちはDIEカルトの頑固なサポーターだ.しかしウィメンズスタディーの研究者の男女パリティは無視する.彼女たちは幻想的な賃金不平等を糾弾し,(観客数の差を全く無視して)女性のサッカープレイヤーにも男性のプレイヤーと同じサラリーを払うべきだと主張する.彼女たちはこのサラリーギャップの経済的リアリティを理解しようともしない.

 

第5章 キャンパスの狂気:社会正義戦士の登場

 
ではイデオローグたちはこれらの真実からかけ離れたアイデア病原体をどのように防衛するのかが第5章のテーマになる.専制主義下なら検閲と犯罪化に頼ることになる.サードは西洋ではイデオロギー洗脳はもっと微妙なものだと説明する.それはポリコレ思想とキャンパスの思想多様性の排除により防衛されている.そして大学はポリコレ思想と社会正義戦士を生み出す土壌となるのだ.

  • 大学のキャンパスでは少数派の社会正義戦士(SJW)がマイノリティの専制を敷き,ポリコレを推し進める.このプログレシブたちにとっては感情がどれだけ傷つけられたかだけが重要で,力は犠牲者階級で決まる.これは抑圧オリンピックとも犠牲者ポーカーとも呼ばれる「どちらがより傷ついたか」競争を生み出す.私はさらに「集合的ミュンヒハウゼンシンドローム*4」と呼ぶべき状況があると指摘したい.
  • 大学のリベラル教職員たちは,いったんこのプログレシブたちの中心教義を破ったと認定されると自分のアイデンティティの盾を失うことになる.
  • SJWたちは「対立するものの見方は『暴力』だ」という被害者ナラティブを広め,だからこのような暴力から保護されるべきであると主張し,大学当局に自分たちが意見を異にする講演者のキャンセルを強要することを正当化する.その結果キャンパスは完全なエコーチェンバー,そして不毛な安全スペースになり,若者は対立する意見を扱うには脆くなり,クリティカルシンキングは失われる.
  • このような不毛な安全スペースはキャンパスだけでなくSNSにも広まりつつある.私はTwitterが検閲を行うのは最適ではないと考えている.人々は(考える力を失わないためには)醜い社会的相互作用に触れるべきなのだ.
  • この感情的脆さはトリガー警告によりさらに悪化する.そしてトリガーリストは増殖を続けている*5.刺激的なものを全て避ける様な態度によって健全な心は得られないだろう.今や大学は「真実の追究」よりも「感情的な傷つきを最小化させること」を優先するようになってしまったのだ.
  • 多くのシステムには現状維持のためのホメオスタティックなフィードバックがかかっている.これが犠牲者ナラティブを過激化し,増加させ,何が犠牲かの概念をどんどん矮小化させている.そしてこれは偽りの激怒とでっちあげの犠牲者を作り上げ,大いなる道徳的偽善につながっている.(いくつもの驚くべき具体例が紹介されている*6
  • 子どもやペットを虐待しそれを病気だと訴えるミュンヒハウゼンシンドロームはそれにより同情を集めようとしていると説明される.私が提案する「集合的ミュンヒハウゼンシンドローム」は皆が自分の犠牲者としての地位を広告し,注目や同情を集めようとする状況を指す*7.ヘイトクライムをでっち上げて犠牲者階級内を上昇しようというわけだ.
  • 特に理性と常識に反した主張を行うのは肥満受容アクティビストとトランスアクティビストだ.肥満アクティビストは肥満が多くの生活習慣病と関連することを否定し,肥満者は肥満差別主義者により配偶マーケットから締め出されていると訴える.トランスアクティビストは自分の配偶相手を生物学的性と性自認が一致している人に限ろうとする態度をトランス差別主義だと糾弾する.つまり異性愛は偏見による憎悪だというわけだ.
  • プログレシブにとっては全ての道が偏見による憎悪につながっている,白人男性が黒人女性を好きにならないことも黒人女性を好きになることも偏見による憎悪になる.そして自分の属する文化以外の文化的習慣を好むこと(「文化の盗用:cultural appropriation」と呼ばれる)も偏見による憎悪になるのだ(いくつもの「文化の盗用」として糾弾された(常識的にはなんの問題もないと思える)具体例が挙げられている*8).「文化の盗用」を騒ぎ立てる社会で,いったいどのようにして文化的多様性の豊潤さを経験できるというのだろうか.
  • なぜ人はSJWになるのか.男性のSJWは(進化生物学でいうところの)スニーカー戦略をとっていると考えられる.彼等はそのイデオロジカルなコミットメントにより感受性豊かで強圧的でない男性を演じ,プログレシブ女性の受けを狙っているのだろう.別の動機には自分を鞭打つことによりイデオロジカルな純粋性を(コストをかけて)ディスプレイするというものがあるのかもしれない.これはキリスト教の原罪概念の代替だ.典型的にはSJWは優越的地位にある白人の西洋人であり,このアイデアと整合的だ.彼等は永劫的に自らへの鞭打ちを行いグロテスクな謝罪を繰り広げる.そして彼等は(自己鞭打ちを永続させるために)現実から乖離し,そうでない人々との間に大いなる分断が生じるのだ.

 

第6章 理性からの離脱:ダチョウ寄生シンドローム

 
第6章ではプログレシブたちがどのように現実から乖離するのか,どこまで現実から乖離してしまっているのかが扱われる.

  • 科学は真実を追究する営みだが,個別の科学者はそこから逸脱することがある.グールドとルウォンティンは彼等のマルキシスト世界観と一致しない社会生物学を厳しく糾弾した.ルイセンコも共産主義イデオロギーを優先し,遺伝の事実をねじ曲げた学説を打ち出した.そして反ワクチン主義は現代のルイセンコ主義といえる.
  • もちろん現実を否定したいのは科学者に限らない.ヒトは他人を欺瞞し,自己欺瞞に陥る能力を進化によって得た.都合の悪い事実を無視したり否定する態度は(ダチョウが首を砂の中に突っ込んで現実を見ないようにする漫画イメージから)「ダチョウ政策(ostrich policy)」と呼ばれる.これは多くの例が記録されている.私はアイデア病原体が多くの人々を集合的にダチョウ政策に導く様を「ダチョウ寄生シンドローム(OPS)」と呼ぶことにした.彼等は現実から乖離した世界(ユニコーン世界)を構築し,そこで幻想的相関関係,実在しない因果,気分の良くなるプログレシブのでたらめと暮らしているのだ.
  • これらOPS患者は幅広い認知バイアスに身をゆだねて現実から身を守る.そしてありもしない因果関係で物事を説明しようとする.(科学者と名乗るビル・ニエがパリのイスラム過激派テロの原因を気候変動と主張した例が示されている)
  • カナダのトルドー首相は「多様性こそが私たちの強みだ」とことあるごとに唱えている.しかし多様性が全ての問題を解決し,安定した平和な社会をもたらすと考えるのは典型的なダチョウ政策だ.(私の友人でもある)マンスール教授は「移民が持ち込む文化的価値観や宗教的価値観の一部は,西洋的リベラル社会に憎悪や不寛容や分断をもたらす」とカナダ議会で証言した.マンスール自身は有色のムスリムであり,この証言を白人優越主義のイスラム恐怖症からでたものだと決めつけることはできない.彼は全ての文化が等しくリベラルではないことをよく知っているのだ.合理的な移民政策を議論しようとするものを人種差別主義者だと決めつける態度はまさにOPSだ.
  • OPS患者たちはイスラム教についてのどのような道理をわきまえた批判も激しく拒絶する.彼女たちのロジックの主要なものは「全てのムスリムがそうじゃない」「真のイスラム教はそうじゃない」「どんな宗教にも原理主義的過激派がいる」「じゃあ十字軍はどうなのか」「じゃあ15世紀アンダルシアでのムスリムとキリスト教徒の平和共存をどう説明するのか」など(問題を本質からずらすやり方)だ.また批判者に対して「あなたはそもそもアラビア語がわかるの」「あなたはムスリムなの」「あなたはコーランの哲学が本当にわかっているの」と無限後退しながらその資格を問いつづけるというのも彼女たちがよく使うテクニックだ.私はレバノン出身の有色ユダヤ人でアラビア語を解するが,彼女たちにかかっては論評する資格などないことにされるのだ.特定の現象については,それは複雑な問題だと多数の社会学的要因ジャーゴン*9を並べ立てて煙に巻く手法もよく使われる.
  • イスラムの聖典にある明確なジェノサイド的な記述を突きつけられると,彼女たちは誤訳だ,誤解釈だ,誤解だと逃げを打つ.彼女たちは文化相対主義,道徳相対主義にしばられて,どんなに残酷で醜悪でも文化的習慣や宗教的習慣(例えば女子割礼,名誉殺人など)を批判できない.そしてフェミニストたちは,このような女性抑圧的文化宗教習慣を,それは実は女性開放的だと事実をねじ曲げて逃れることになる.これは「高貴な野蛮人」神話の現代版だ.
  • シャリア法体系(特にその犯罪に対する極端な厳罰主義,刑罰がイスラム教徒かそうでないかで差があること,さらに女性の低い地位)が,現在のアメリカ法体系と全く相いれないものであることは明白だが,OPS患者たちはそうではないと主張する.犯罪者がイスラム教徒かどうかで差別される状況は,ちょうどフェミニストがアイデンティティポリティクスに基づいて「男性は性差別主義者になりうるが,女性はそうではない」と主張するのによく似ている.
  • OPS患者は犯罪捜査やセキュリティチェックのプロファイリング利用は差別主義的だと批判する(その結果空港のチェック対象はランダムに選ばれ,3歳の女児がテロリストチェックを受けたりすることになる).しかし観察事実から物事を推論するのはヒトの認知の基礎の1つだ.彼女たちは差別なしをほかの全ての優先する「差別なしカルト」に属しているかのようだ.

 

第7章 どのように真実を探すのか:累積的証拠のノモロジカルネットワーク

 
第7章では,このようなOPSに陥らないためにはどうしたらよいのかが扱われる.

  • 自由な社会での市民は事実に基づいた認識を持つべきだが,情報を求めることに怠慢である傾向,入手可能なあるいは入手したがる情報源の偏り,いったん受け入れた見解の反証を否定するバイアスなどがそれを難しくしている.スペルベルとメルシエはヒトが自己の見解の反証を受け入れるのに消極的なことを説明する理論を提示している.それは合理的推論能力は,真実を得るために進化したのではなく,自分たちや他者を説得するために進化したからだというものだ.
  • ではヒトは動機のある推論をするだけで真実を探そうとはしないのだろうか.私は現実主義的楽観主義者としてそうではないと答えたい.(主流の見解に異を唱える)認知的勇気を持ち,関連する情報を偏りなく集め,クリティカルシンキングを行うことによりヒトは真理にせまれるのだ.(ここで科学的な手法について概説がある)
  • ダーウィンの「種の起源」の議論は,累積的な証拠を統合するノモロジカルネットワークを用いた考察の典型例だ.ノモロジカルネットワークに支えられた議論は説明的な一貫性,理論的統合,コンシリエンスを備えることができる.(ノモロジカルネットワークによる議論の具体例がいくつか解説される.テーマとしては「子どものおもちゃの選好に性差があるか」「ヒトの配偶選好に性差があるか」が採り上げられている)

 

  • ここで「イスラム教の教義は平和主義的か」を考えてみよう.多くの西洋人はイスラムの性質について混乱している.それは平和的なのか,それとも好戦的なのか.これは累積的な証拠とロジック,理性,科学で考察することができる.
  • 感染症の疫学の理解は,アイデア,信念,都市伝説,宗教などの拡散の理解に役立つ.疫学的に考えるとイスラム教の拡散強度が強いことを説明できる(イスラム教がユダヤ教より遥かに拡散していることを,入信の容易さ,布教の義務の有無,イスラムにある世界観*10などから説明している).
  • FBIのグローバルテロリストリストを見ると,イスラム教徒は世界人口の25%程度を占めるに過ぎないが,様々な人種,出身国のイスラム教徒はテロリストの92.9%を占めていることがわかる.搭乗拒否リストや警戒リストは公表されていないが,似た傾向があるだろう.アメリカ政府によるテロ組織リストによると68のグループのうち55(81%)がイスラム組織だ.2001年以降のテロの犠牲者の96.6%はイスラムのテロリストに殺されている.宗教的転向はよくあることだが,転向者がテロリストになる傾向があるのはイスラム教へ転向した場合だけだ.(このような事実の指摘についての)プログレシブたちの反応は,「イスラム差別だ」という金切り声になる.
  • イスラム政治分析家のビル・ワーナーのイスラム聖典(コーラン,ハディス,ムハンマド伝)の内容分析によると,全文章の中でユダヤへの憎悪が表明されている割合は9.3%になる.これはヒトラーの「我が闘争」(同7%)よりも多い.
  • 人々の現代的啓蒙主義的リベラル的価値ヘの態度に関する多くのグローバルなデータがある.2010年のピューサーベイは,多くの国の人々のユダヤ憎悪度を調べている.ユダヤ憎悪は(典型的な人種差別現象であり)リベラル的価値観に関する炭坑のカナリアだ.ユダヤ人を好まない人々の割合は,レバノンで98%,ヨルダンで97%,エジプトで95%,(中東戦争にかかわっていない)パキスタンで78%,インドネシアで74%,トルコで73%,イスラム教徒平均で60%(キリスト教徒の平均は28%)だった.
  • イスラム教国はゲイへの不寛容でも突出している.ゲイに不寛容な人々の割合はセネガルで98%,ヨルダンで97%,エジプトで95%,チェニジアで94%・・・となっている.女性差別でも思想良心の自由への不寛容でもイスラム教国は世界をリードする.一部のイスラム教国(サウジ,イランなどを含む)では男性の同性愛行為や無神論者であることが死刑相当の犯罪となっている.宗教弾圧ワースト20カ国の15カ国はイスラム教国だ.
  • これらの事実への言及はもちろん個別のイスラム教徒への攻撃ではない.それはイデオロギーの中身,それが平和,多様性,自由をもたらすようななものかどうかの分析に使われるものだ.そして大半のイスラム教徒が親切で慎み深い人々であるとしても結論は明白だ.自由な社会においては真実に迫るためのデータに基づいたこのような分析は偏見による憎悪と罵られずに許容されるべきだ.

 

第8章 行動を起こそう

 
最終第8章では,言論の自由と理性と科学へのコミットメントを取り戻すにはどうすればいいのか,プログレシブたちの圧力に対してどう戦えばいいのかが語られる.

  • 私と同じ価値観を持つ多くの人々がそれを表明することに失敗している.ほとんどの人はこの危険に気づいていないか,大学でのことはたいした話ではないと考えている.傍観者効果も影響しているだろう.しかしそれはすぐにビジネスにも影響を与える.あなたもあなたの子どもも影響を受けざるを得ないのだ.個人的な責任を自覚しよう.そしてソーシャルメディアは個人の声が世界に影響を与えることを可能にしているのだ.
  • 政治や宗教に関する意義深い議論ができてこそ,友人関係は深く価値あるものになる.お天気の話しかできない友情に価値はあまりないだろう.今日多くの善意の人たちは他者を評価することを恐れすぎている.
  • SNSの発言に連帯のハッシュタグを貼るシグナルの効果はほとんどない.それはコストのないシグナルだからだ.表現の自由と理性と科学を守りたいなら,腹をくくってリスクをとる覚悟が重要だ.失職や脅迫のリスクをものともしない発言だからこそ信頼されるのだ.私の場合はそのようなリスクよりも自分が真実を犠牲にしなかったということの方が遥かに重要だ.
  • あなたが理性チームの一員なら,得点できるチャンスは逃さないようにしよう.あなた自身にあるラーテル(向こう見ずで有名なイタチ科の動物)を奮い立たせよう.あなたを黙らせようとする相手に1ミリも譲ってはいけない.そして彼等の戦術を逆手にとろう.私の場合は,彼女たちが犠牲者ポーカー戦術をとってきたなら,「自分はレバノンでユダヤ迫害を受けた中東の有色ユダヤ人だが,あなたたちは特権的な立場にいる白人ではないか」と言い返すことにしている.この反撃はしばしばクリプトナイトのように効果的だ.宥和戦術では決して勝てないことを理解しよう.イスラエルは決して敵に譲歩しない.彼等は中近東では力が正義だとよく知っているのだ.
  • イスラム教の教義を批判することはイスラム恐怖症ではないし,ラディカルフェミニズムを分析することは女性差別ではない.オープンボーダー移民政策に疑問を呈することは人種差別ではないし,トランスジェンダー女性が女子競技に出場すべきでないと意見することはトランス恐怖症ではないのだ.多くの状況においては複数の権利が競合する(そして犠牲者ポーカーの勝利者が絶対的に優先する理由などないのだ).多くの人が人種差別主義者や性差別主義者と告発されることを恐れすぎている.黙らせようとする圧力には死に物狂いで抵抗しよう.
  • 大学教授たちは狂気が報われる文化を作り出してしまった.これと戦う第一歩は憲法違反のスピーチコードに反抗することだ.思想警察にはNOと言おう.思想や視点の多様性に触れよう.そして対立する立場と議論するのだ.これこそ大学で行われるべきことだ.
  • 大学では学問の優秀性が競われるべきだ.大学は能力主義的理想に戻るべきなのだ.アイデンティティポリティクスをゴミ箱に放り込もう.誰も自分が白人だから,男性だから,キリスト教徒だから,異性愛者であるからという理由で謝罪する必要はない.学生をセーフスペースやらトリガー警告やらで甘やかすのもやめるべきだ.そして「文化の盗用」や「マイクロアグレッション」をもてあそばさせるべきではない.
  • ヒトは協力的でかつ競争的な生物だ.そして個人個人が完全に同じではなく,どんな集団にも階層が生まれる.ヒトの本性についての誤った前提に基づいて作られたシステムは失敗する運命にある.個人の傷つきやすい自己評価を競争から守ろうとするだけのシステムは虚弱で給付を受け取るだけで政治的無関心な社会に陥るだろう.人生は競争的なものであり,社会には階層があるのだ.誰も感情的に傷つかないユートピアを追求するのは誰にとっても無益な試みなのだ.

 
そしてサードは本書をこう締めくくっている.

  • 今から数十年前,大学から生まれたアイデア病原体のセットが,科学,理性,ロジック,思想言論の自由,個人の自由と尊厳を容赦なく侵食し始めた.私たちが自分の子どもや孫に,自分が育ったと同じような自由な社会の中で育ってほしいと願うなら,私たちの原則を取り戻し守らなければならない.
  • レバノン内戦の残酷の中で育ち,大学において常識がむしばまれる様を見てきたものとして,私は(この戦いへの)あなたの参加を請い願う.あなたには必要な変化を起こせる力がある.方策はあるのだ.それは真実の追究と擁護であり,西洋科学革命と啓蒙運動への再コミットメントだ.進め,理性の戦士たちよ,ともにアイデアの戦いを勝ち抜こう.

 
以上が本書の内容になる.なかなか激しいウォークプログレシブ,ポストモダニズム.ラディカルフェミニズム,トランスアクティビズムの告発の書だ.これはサードがレバノンで命を脅かされるような迫害を受けた中東の有色ユダヤ人だからこそ,犠牲者ポーカーでプログレシブたちに立ち向かうことが可能なのであり,このような本が書けるということなのだろう.特にユダヤ迫害を実際に受けた立場からのイスラム教義の問題点の指摘には迫力がある.そして進化心理学者としてポストモダニズムやラディカルフェミニズムの学者たちからに難癖をつけられたサードにとってはユダヤ排斥のアイデアを含むイスラム教の教義もこれらのプログレシブの信念体系も事実に基づかないアイデア病原体で社会に悪をなす存在として同質に見えるのだろう.
最近ではこのようなキャンセルカルチャーやアイデンティティポリティクスの暗黒面を指摘する意見も時折目にするようになってきたが,本書は表現の自由と理性と科学についてのコミットメントを前面に出して,一貫した立場からの徹底的な批判があるのが特徴になる.私自身本書の全ての主張に賛成するわけではないが,傾聴に値する議論がなされている一冊だと思う.
 
 
関連書籍
 
ガッド・サードの本来の専門分野である消費者心理についての本.途中にかなり激しい宗教批判の章がある.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/01/25/204023

 
上掲書に先立つ専門書 
サードの編集によるビジネススクールでの進化心理学の教科書 
 
アカデミアのマイクロアグレション,キャンセルカルチャーの問題点の指摘としてはハイトとルキアノフによるこの本がある.基本的には学生に対する(望ましくない)過保護から生じている問題だとされている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/04/04/172150
 
後半部分でキャンセルカルチャーの中のスピーチコードの問題点を扱ったもの.著者は進化心理学者のミラー.特にアスペルガー傾向がある人や背景の文化的文脈文脈に疎い外国人留学生にとって過酷であることが強調されている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/04/29/093951
 
ピンカーがキャンセルカルチャーの対象となった事件についての私の記事
shorebird.hatenablog.com
 

*1:「レイプカルチャーヘの反応と都市のドッグパークのクイア遂行性」「裏口からの挿入:ストレート男性のホモヒステリアとトランスフォビアを受動的侵入的セックス玩具の使用で克服する」「私たちの戦いは私の戦いだ:ネオリベラルと選択フェミニズムのインターセクショナルリプライとしての団結フェミニズム」「誰が測るのか?:人体測定学の克服と肥満ボディビルディングのフレームワーク」「ジョークがあなたに関するとき:ポジショナリティが皮肉にどう影響するかについてのフェミニストスタンス」などが論文の題名とされている

*2:このほかトイレやロッカールームの使用がしばしば問題になる

*3:論文のアブストには「フェミニストポスト植民地主義的科学とフェミニスト政治的生態学を統合することにより,フェミニスト氷河学はダイナミックな社会生態システムのジェンダー,権力,認識論の頑健な分析を提供できる.これはより公正でエクイタブルな科学とヒトと氷河の相互作用につながる」とあるそうだ.サードは「氷河が性差別主義者で父権主義者だなんて誰が知っていただろう」と皮肉っている

*4:ミュンヒハウゼンは嘘つき男爵の名前だが「ミュンヒハウゼンシンドローム」は子どもを虐待してそれを病気の症状として訴えるような症状を指す

*5:現状のリストは「虐待,レイプ,誘拐,中毒,薬物,針,血,吐瀉物,昆虫,ヘビ,クモ,ぬめぬめのもの,死体,頭蓋骨,骸骨,いじめ.ホモ恐怖,トランス恐怖,死,自殺,怪我,医学的措置,暴力,戦争,ナチスの表象,妊娠,出産,人種差別,階級差別,性差別,肥満差別,身障者差別,その他あらゆる差別,(同意のものも含む)性交,汗,あざけり,強迫性障害のトリガーになるもの全て」にまで広がっているそうだ

*6:カナダのLorne Grabher氏は27年前から車のナンバープレートを自分の(ドイツ系の)名前である「GRABHER」としていたが,これが「grab her(彼女をつかめ)」と読め,レイプカルチャーを体現する攻撃的なものだという理由でこのプレートを禁止されてしまったという事例,黒人市民権運動家が書いた本の題名を学生との会話で出した結果,そこに含まれる「niggar」という単語を発したという理由で大学の管理職ポジションを失った女性教員の事例,サンドウィッチの商品名「Gentleman’s Smoke Chicken Caesar Roll」が性差別的だと糾弾された事例などが挙げられている

*7:典型例としてトランプ当選時に,ある学生が「私はバイセクシャルな黒人女性だが,もはや怖くてキャンパスを安全スペースとは感じられなくなった」と訴え,そこからありとあらゆるマイノリティアイデンティティの学生が口々に自分こそ真に脅かされていると訴えたというケースが紹介されている

*8:授賞式で日本の着物を着た歌手ケイティ・ペリーが謝罪に追い込まれた事例,西洋の大学がカフェテリアで寿司を出すことが問題視された事例などが紹介されている

*9:例えば「それには古代植物学要因,社会文化要因,生物学的政治要因,神経生理学的要因,心理経済学的要因,ヘテロ歴史学要因,地理的オーガニック要因,民族ケトン食的要因が絡んでいる」などと並べ立てるらしい

*10:イスラムでは世界は「戦争の家」と「イスラムの家」に分かれており,平和は全世界が「イスラムの家」で統一されなければ訪れないと考える.また国内でもイスラムの家に統一しようとする.実際多くのイスラム教国ではイスラム教徒の比率が95%以上であるなどと説明されている