Enlightenment Now その40

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

第15章 平等権 その3


平等権.まず人種差別,性差別,同性愛嫌悪が扱われた.ピンカーは次に子どもの権利に進む.
 

  • 幼い子どもは,自分から主張できず,他者から守られなければ危害を避けられない.既に見てきた通り,世界中の子どもの状況は良くなってきている.出産時に母親が死亡することは減少し,5歳まで生きる確率は増えている.餓死も減っている.本章では他者から与えられる危害についてみていこう.
  • 子どもの幸福はニュースのヘッドラインが私たちを震え上がらせるもう1つの領域だ.メディアは学校乱射事件,虐待,性的虐待,デートレイプを取り上げ,状況が悪化しているような印象を与え続ける.しかしデータは異なることを示している.
  • 社会学者デイヴィッド・フィンケルホーは,2003年から2011年の50の子どもへの暴力事象についてデータを分析し,そのうち27事象は有意に減少し,増加しているものはないことを報告している.特に減少しているのは,暴力的いじめ,強制猥褻,性的虐待になる.

(ここでアメリカにおけるこの3現象の1993年から2012年の推移グラフが示されている.10万人あたりの現象数はそれぞれ着実に減少している.ソースはNational Child Abuse and Neglect Data Systemほか)
 

  • これらとは別の子どもへの暴力が減少している事象は懲罰としての暴力だ.鞭打ちなどの子どもへの体罰は古代よりありふれていた.しかし子どもへの体罰は現在半数の国で違法とされている(日本でも学校の体罰は教育基本法で禁止され違法となっている).アメリカはここでも先進民主主義国のアウトライヤーであり学校でのパドリングの体罰を違法化していない.しかし様々な体罰はゆっくり確実に減少している.

 

  • オリバー・ツイストの世界では9歳児が過酷な労働を強いられる.このような残酷な子どもの労働はヴィクトリア朝に始まるわけではない.子どもは歩けるようになると農場でも家庭でも労働させられるのが普通だった.誰もそれを搾取だとは考えなかった.
  • 17世紀のロック,そして18世紀のルソーのの論説によって子どもの労働への考え方は変化した.苦労のない子ども時代を過ごすことは生まれながらの権利と考えられるようになったのだ.20世紀になると子ども時代は神聖化され,「経済的には無価値だが感情的にはプライスレス」とされた.西洋社会は徐々に子どもの労働を排除していくようになった.そのような風潮の良い例は1921年のトラクターの広告コピー「子どもを学校に行かせよう」に見ることができる.
  • 子どもの労働に対するとどめの一撃は義務教育化だ.これにより子どもを労働力として恒常的に用いることは明確に違法になった.

(ここで労働市場に組み込まれている子どもの割合の1850年-2012年の推移グラフが示されている.グラフはそれぞれの国での定義が微妙に異なり完全なものではないが,傾向は見て取れる.ソースはOne World in Data)
 
One World in Dataのサイトに行ってみると,本書で提示されているデータは基本的に以下のグラフになるようだ.

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また先進国以外については1999年以降の以下のグラフもある.

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  • 子どもの労働は工場だけでなく農林水産業にもある.そしてそれは国家の貧困度と関連する.貧しいほど多くの子どもが働くことになる.賃金が上がったり,国家が子どもを学校に行かせた両親に金を払えば子どもの労働は減る.つまり親は強欲からではなく絶望から子どもを働かせるのだ.
  • 子どもの労働についての進歩は,世界経済の繁栄とモラルキャンペーンの両方に後押しされている.1999年,180カ国によって「最悪の形態の児童労働の禁止及び撤廃のための即時の行動に関する条約(1999年の最悪の形態の児童労働条約」が結ばれた.この条約では「最悪形態」として,奴隷労働,人身売買,債務拘束,売春,ポルノ,麻薬労働.戦争従事を挙げている.2016年までに根絶しようとする目標は達成されなかったが,根絶に向けた減少モメンタムは顕著だ.

 
日本でもつい最近までは親による子どもの虐待は家庭内の問題として(よほどひどい場合以外には)見過ごされることが通常だったように思う.しかしこれについても世間の受け止め方は随分変わってきているように感じる.世間がより虐待に対して厳しくなるほど通報件数が増えるために時系列での動向の把握は難しいようだが,実感としては徐々に良い方向に変わってきているように思う.

Enlightenment Now その39

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第15章 平等権 その2

ピンカーはここまでアメリカの人種差別,性差別,同性愛嫌悪の減少を見てきた.ここからは世界についてのコメントになる.人種差別,性差別,同性愛嫌悪の減少は世界的傾向なのだ.
 

  • 人種差別や民族差別の減少は西洋だけではなく世界中で生じている.1950年代には半数の国が何らかの人種民族差別的な法を持っていた.2003年ではそれは1/5以下だ.2008年の世界レベルの大規模な世論調査では,90%以上が,人種的,民族的,宗教的な平等が重要だと答えている.平等権のランキングでは最下位のインドですら,59%は人種間の平等に,76%が宗教間の平等に是と答えている.

 
日本において人種(外国人)差別の時系列の推移はどうなっているのだろうか.少し探してみたがわかりやすいものは見つけられなかった.昨今では嫌中,嫌韓のヘイトスピーチの動向が頭に浮かぶが,これもヘッドライン効果に過ぎず,大きな傾向は改善しているのだろうか.
 

  • 性差別についてもこのトレンドはグローバルだ.1900年において女性参政権があったのはニュージーランドだけだった.今日バチカンを除けば男性に参政権があるすべての国で女性の参政権も認められている.世論調査では85%が男女の完全な平等に賛成し,インドでも60%が賛成している.
  • 1993年に国連は「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」を採択した.それ以降各国はレイプ,強制結婚,小児結婚,名誉殺人などの問題に取り組む法律を施行してきている.宣言自体は罰則を伴っているわけではないが,過去の奴隷,決闘,捕鯨,海賊,化学兵器などに対する宣言の実効性を考えると長期的には希望がもてるだろう.
  • 女性器切除への対応は1つの例になる.なおアフリカなどの29カ国で実行されているが,実施されている国の国民の過半は男性も女性もそのようなことはやめるべきだと考えている.そしてここ30年で実施比率は1/3に減少した.

日本においての性差別についてはここ数十年でかなり良くなっているというのが実感だ.1980年代ぐらいまでは大手民間企業において男女別採用のうえキャリア設計,年収カーブが明確に男女で異なっているのが普通だった.雇用機会均等法施行などもあり,このあたりの雰囲気は大きく変わってきた.現在では内閣府に男女共同参画局が存在し,政策的にも推し進められている.なお残存する改善すべき事項は多いが,世界の趨勢通りということでいいのだろう.
  

  • 同性愛者の権利も注目されるようになった.かつてほとんどすべての国で同性愛行為は犯罪的だとされていた.大人同士の同意に基づく行為を制限すべきではないという議論を最初に行ったのは啓蒙運動期のモンテスキュー,ベッカリア,ベンサムになる.一部の国はすぐに同性愛を犯罪と扱うのをやめた.そして非犯罪化国は1970年頃から急増する.なお70カ国以上で同性愛は犯罪とされているし(11のイスラム国では死刑相当とされている),ロシアや一部のアフリカの国での再犯罪化の動きはあるが,グローバルなトレンドは非犯罪化が継続している.

(ここで同性愛の非犯罪化国数の推移グラフが示されている.ソースはOttoson 2006)
 
日本における同性愛については,キリスト教文化圏と異なり,明確な犯罪という認識はなかったようだ.(調べてみると明治初期の法律で肛門性交を犯罪とするものがあるようだが,明治15年の旧刑法施行後は同性愛が犯罪とされることはなかった.とはいえ1970年代ぐらいまでは「(治療が望ましい)倒錯型異常性愛」であるという認識が普通だったようだ.これも90年代以降,世間の認識は徐々に改善されているというのが実感だ*1
 

  • 時に見せる反動を全く寄せ付けずに全世界的に人種差別,性差別,同性愛嫌悪を減らす方向へ向かう動きは,まるですべてを巻き込む大波のように感じられる.この動きをより客観的に捉えることはできるだろうか.
  • 政治科学者クリスチャン・ヴェルツェルは現代化のプロセスは「解放価値:emancipative values」(これはリベラル価値と言い換えても良い)を刺激するのではないかと説いた.この議論は「社会が農業社会から産業社会,そして情報社会に移るにつれて人々は敵をたたくことより理想を示して幸福追求することを望むようになる」とするものだ.ヴェツェルはそれを計測する方法も提示している.かれはある特定の質問項目への回答が共通の歴史と文化も持つ人々の間で相関することを見いだした.その項目には性の平等,個人的選択,政治的表現の自由,子育ての考え方が含まれる.
  • 客観的な計測においてもう1つ重要なことはコホート効果を考慮に入れておくことだ.ある地域の人々の意見の時系列的な変化は(1)時間効果(2)年齢効果(3)コホート効果に分解できる.これを完全に分解することは難しいが,ある集団の長期間のコホート別のデータがあればある程度合理的に分解できる.

(ここで北アメリカ,西ヨーロッパ,日本を合わせた「解放価値」を1980年と2005年に計測した結果が,その2時点の年齢別のグラフとして示されている.1925-1945年生まれの「Silent世代」(戦前戦中生まれ世代)と1945-1965年生まれの「Baby Boomer世代」(団塊の世代+α)と分けて考えると,戦前戦中世代も団塊の世代も1980年から2005年にかけてよりリベラルになっていることがわかる.またどちらの時点でも若い世代の方がよりリベラルになっている.ソースはWeltzel 2013)

  • まず先進国のデータを見て見よう. 
  • グラフは「右翼の巻き返しと怒れる白人男性」をテーマにした政治評論ではほとんど触れられることのない面を示している.先進国の解放価値は時間と共にどんどん上昇しているのだ.この上昇は世代内でも世代間でも3/4標準偏差を超えた上昇になっている.そしてグラフはかつて若くてリベラルだった世代が歳を取って右傾化したわけではないことをクリアーに示しているのだ.

 
(ここで地域別の解放価値の1960年-2006年の推移グラフが示されている.プロテスタント西ヨーロッパ,北アメリカ,カトリック南ヨーロッパ,中央東ヨーロッパ,旧ユーゴおよびソ連,東アジア,ラテンアメリカ,南アジアと東南アジア,サブサハラアフリカ,中東と北アフリカのイスラム国(この巡で解放価値が高い)それぞれ着実に上昇している.ソースはWeltzel 2013,The World Values Surveyのデータをヴェルツェルが分析し推定したもの)
 

  • 先進国以外ではどうなっているだろうか.ヴェルツェルはThe World Values Surveyのデータを利用し,似たような歴史と文化を持つ国をまとめ,年齢効果を時系列データから推測して解放価値の推移を1960年までさかのぼって推定した.
  • グラフはまず地域ごとに解放価値が大きく異なっていることを示している.そして驚くべきことにそのすべての地域で人々は時間と共にリベラルになっているのだ.現在の(最も反リベラル的)中東のイスラムの若い人々の解放価値は1960年代の西ヨーロッパの若い人々と同程度なのだ.(なお中東では同じコホートが時間と共にリベラルになる効果は小さい,だから中東のリベラル化は主に世代交代の影響によるものになる)

 

  • その原因は何だろうか.多くの社会的な特徴(経済的繁栄,健康,安全,教育,都市化,民主化など)は互いに相関し,さらに解放価値と相関しているため,因果を切り分けることは難しい.
  • その中で最も良い予測因子は世銀の知識インデックスだ.これは教育と情報アクセスと科学技術的生産性と法の支配を指標化したものだ.ヴェルツェルは知識インデックスだけで解放価値の70%を予測できるとしている.これは啓蒙運動の中心になる洞察の正しさを示しているのだろう.

日本においてもこのような「解放価値」の時系列的な上昇は実感されるところだ.なお社会に人種(外国人)差別,女性差別,同性愛嫌悪が残っていること,欧米の取り組みに劣後している部分があることも間違いないが,ここ数十年で相当変わってきているのも事実だろう.これを時間効果,年齢効果,コホート効果に分けて分析してみれば面白いだろう.

*1:私がこの傾向に最初に気づいたのは90年代のアニメ「セーラームーン」で描かれた主要キャラクターたちの同性愛的傾向に対する自然な接し方(そして子ども向けアニメの中でのそういう同性愛についての肯定的表現が社会的に全く問題にならなかったこと)だった.また2017年,30年前には問題にならなかったとんねるずのネタが厳しい批判を浴びたのも記憶に新しい

Enlightenment Now その38

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第15章 平等権 その1

 
民主制の次にピンカーが取り上げるのは平等権,差別の問題だ.
 

  • ヒトは,他の人々のカテゴリー全体について,目的のための手段としてしか見なかったり,不快なものとして扱ったりすることがある.人種や宗教による同盟は他の同盟を服従させようとする.男性は女性の労働,自由.セクシャリティをコントロールしようとする.人々は自分の気に入らない性的傾向を道徳的に非難しようとする.これらは人種差別,性差別,同性愛嫌悪と呼ばれるものだ.
  • これらの差別はほとんどの文化でほとんどの歴史的期間を通じてありふれていた.これを否定しようとするのが平等権の概念だ.平等権の拡大の歴史は人類の進歩の感動的な要素でもある.そして人種的マイノリティ,女性,同性愛者の権利は拡大し続けている.(女性政治家の活躍がいくつか紹介されている)

 

  • しかしそのような進歩自体が,その軌跡を消し去り,なお残る不正義を際立たせてしまう.大学でよく聞く進歩派の決まり文句は「我々はなお深く人種差別的,性差別的,同性愛嫌悪的な社会に生きている」というものだ.それはここ数十年の努力はムダだったという含意を持つことになる.
  • このような進歩否定は,(ほかの進歩否定と同じく)センセーショナルなヘッドラインに惑わされているのだ.(いくつかの最近のセンセーショナルに扱われたニュースが紹介されている)
  • このような進歩否定の信念はドナルド・トランプの当選によって(特に大学内において)さらに強められている.トランプはこれまでの政治常識からかけ離れた女性嫌悪,反ヒスパニック,反イスラム的な言辞を弄し,支持者を煽って当選した.一部の評論家はこれをもって国家の進歩の終焉への一歩,あるいはそもそも進歩などなかったのだとコメントした.
  • 本章の目的は平等権へ向かう潮流の深さを明らかにすることにある.

 

  • 本書をここまで読んだなら,ヘッドラインに惑わされる問題はよくわかっているだろう.データは,ここ数十年間において警察の銃撃は【減少】していること,そして黒人の容疑者が白人の容疑者より殺されやすいわけではないことを示している.
  • ピューリサーチセンター(Pew Research Center)は.ここ四半世紀のアメリカ人の人種.ジェンダー.性的指向についての見解の推移を調べ,これらが基本的により寛容とリスペクトに向かってシフトしていると報告している.

(それを示すグラフが示されている.例えば「白人と黒人がデートするのは全く問題ない」という意見への反対は1987年から2012年にかけて45%から18%に低下している.ソースはピューリサーチセンター)

  • ほかのサーベイも同じシフトを報告している.アメリカ人全体がよりリベラルになっているだけでなく,それぞれの世代コホートは前の世代のコホートよりリベラルになっている.
  • これらの数字は単に人々が世論調査でリベラル的に振る舞いがちになっているためだけではないかという疑問があるかもしれない.セス・スティーヴン=ダヴィドウィッツはGoogleの検索用語データを用いてこれを調べた.スティーヴン=ダヴィドウィッツは「nigger」という単語検索(レイシストジョークの検索のために用いられることが多い)がその他の人種差別的傾向と相関することを見つけた(例えばこの探索が多い地域の民主党員のオバマへの投票率が低いなど).
  • 数十年前にはマイノリティや同性愛を笑い飛ばすジョークはありふれていたが,今日これらは主流メディアではタブーになっている.これらのジョークはネットのプライバシーの中では健在なのか,それとも減少しているのだろうか.調べてみると,ジョーク検索の頻度は低下しており,アメリカ人はそのようなジョークをかつてほど面白がっていないことを示している.スティーヴン=ダヴィドウィッツは,Google検索ユーザーの変化を考えるとこのカーブは偏見の減少を過小評価しているだろうとコメントしている.2004年時点の方がユーザーはより若く,都会に偏っていたからだ.そしてその減少傾向はトランプ当選後も継続している.トランプの成功は歴史上の平等権拡大傾向の突然の逆転ではなく,二極化した政治情勢の中で虐げられ縮小しているデモグラフィーの流動化と考える方が良く理解できるだろう.

(差別的ジョーク検索の2004年から2017年までの推移グラフが示されている.サーチ頻度は人種差別ジョーク,性差別ジョーク.同性愛嫌悪ジョークとも大きく低下している.ソースはGoogle Trends)
実際にGoogle Trendsでデータを取ってみた.
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  • 平等権の拡大は単に政治的な目標や人々の意見の変化というだけでなく,実際の人々の人生にも影響を与えている.
  • アフリカ系アメリカ人についてみると,貧困率は1960年の55%から2011年の27.6%に低下している.平均寿命は1900年の33歳から2015年の75.6歳に上昇している.文盲率は1900年の45%から今日のほぼ0%に低下している.
  • アフリカ系アメリカ人に対する人種差別的暴力も,かつてはありふれていたが,20世紀を通じて大きく低下した.
  • アジア系やユダヤ系に対するヘイトクライムも減少している.そしてイスラム恐怖症が蔓延しているという主張とは異なり,イスラム系に対するヘイトクライムも9/11直後の小さな山以降はほとんど平坦だ.

(ここでヘイトクライムの1996-2015年の推移グラフが示されている.対黒人,アジア系,ユダヤ系については減少傾向,イスラムについてはそれまでほとんどなかったものが2001年以降わずかに見られるようになっているが,2002年以降は平坦だ.ソースはFBI)
 

  • 女性の地位は上昇している.私が子供の頃は女性は自分の名前では借金もクレジットカードの発行も難しかった.レイプの告発には夫の許可が必要だった.今日労働市場の47%,大学生の過半は女性によって占められている.レイプや夫やボーイフレンドによる暴力も減少している.

(レイプと夫やボーイフレンドからの暴力事件の1993年から2014年の推移グラフが示されている.いずれも減少している.ソースはUS Bureau of Justice Statistics)
 

  • 人種差別,性差別,同性愛嫌悪の減少の歴史的傾向は単なるファッションではない.それは現代化の波と共にある.コスモポリタンな社会では,異なるカテゴリーの人々と一緒に暮らし仕事をする.そして互いにより共感的になる.そして他のカテゴリーの人々を扱うやり方の正当性を説明する必要が生じ,偏見による取り扱いは正当性が認められなくなるのだ.人種分離,男性のみの参政権,同性愛の犯罪化を擁護することは不可能なのだ.
  • この力は,時に生じるポピュリスト的反動にもかかわらず,長期間にわたって働きつづける.死刑廃止の歴史的経過は進歩の曲がりくねった道のあり方をよく示している.擁護不可能なアイデアはいずれ道から外れ,動きは止まらないのだ.だから近年の反動的な政治情勢の中でも,だれもジムクロー法(南部諸州にあった人種差別的法の総称)の復活,女性参政権の廃止,同性愛の再犯罪化は言い出さない.


確かにトランプ政権がいかに反動的であっても,アフリカ系アメリカ人や女性の権利を制限しようとは言い出さない.それはもはや政治的に不可能なのだ.

書評 「なぜ今、仏教なのか」

なぜ今、仏教なのか 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学 (早川書房)

なぜ今、仏教なのか 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学 (早川書房)


本書はサイエンスライターのロバート・ライトによる西洋仏教(そのうちの上部座仏教の流れをくむヴィッパッサーという瞑想流派)のマインドフル瞑想の解説及び体験談を一冊の本にしたものだ.
 ライトは1994年に「モラル・アニマル」を出して当時勃興したばかりの進化心理学を(おそらく世界で初めて)一般向けに紹介したことで知られる.ライトはその後「ノン・ゼロ」でノンゼロサムゲームの協力解への探索を人類の歴史に絡めた本を書き,さらに「宗教の進化」で各一神教の歴史を進化的視点から語った本を書いている.この2冊はいずれも最後はぐずぐずの宗教擁護の議論が置かれた怪しいものになってしまっているが,途中までは大変面白い本だった.そこに今度は仏教を語る本ということで,最初は仏教の進化でも扱っているかと思ったが,そうではなくて瞑想を実際に行ったルポルタージュとその体験の進化心理的な面からの解説が混在するという不思議な本になっている.

 というわけで私的には初心者向け瞑想ガイドの部分はともかく瞑想で得られる体験の進化心理学的解釈が読みどころになるというような本になる.原題は「Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment」.
 

最初に読者に向けての注意書きが置かれている.本書では仏教を扱うが,その「超自然的」要素(輪廻など)は扱わない,仏教と言っても様々だが,共通の核と言える概念に焦点を当てる,などが説明されている.ここでの「仏教」は特に西洋で人気のある瞑想を重視するタイプのものを念頭に置いており,日本に多い浄土真宗のような大乗仏教ではないことに(日本人読者としては)注意が必要だ.
 
次に一神教徒として育てられ,どこかで仏教に帰依した西洋人にとって,瞑想により悟りを得ることは映画「マトリックス」において赤い薬を飲むようなもの(つまり偽りの世界から目覚めるようなもの)だという説明がなされている.これは現在「意識」によって知覚していることは「真実」ではなく,自然淘汰により作られモジュール群により包括適応度上昇のために都合のよい妄想を知覚しているにすぎないのだという解釈をわかりやすく示すものだ.
ここからジャンクフードを食べたいという欲求の正体,そのような快楽が永続しない理由(快楽は目標達成のための行動の動機付けのためにあり,いったん目標達成した後は,次の目標達成の動機付けを行うために消える必要があるし,そのことをあまり自覚しないようになっている)などが解説される.
しかしこのような進化心理学的知見を得たからといって人は救われない.痛みは無くならないし,深い幸せにもつながらない.そこに瞑想を行う意義があるというのがライトの立場になる.そしてやってみると劇的に妄想の実態が明らかになるのだと主張している.
 
ここからは体験談になる.自分がいかに怒りっぽく,注意欠陥障害で瞑想に向かないか(だから実験体として向いている)を説明したあとで,瞑想体験をいろいろと語っている.そして「空」(物事には本質はない)と「無我」(自己は錯覚だ)という二つの仏教基礎概念が会得できれば,我々の普段の知覚がいかに幻想であるかがわかるのだというのが本書の次のテーマになると予告している.
 
ここからライトは私たちの感覚の進化的説明に進む.感覚は適応度を高める決定を行うための道具として自然淘汰が形作ったものだ.だから感覚は基本的には真実に近いが,必ずしもそうではない.ライトは重大な適応価が絡む判断にかかる(最適なエラーマネジメントの結果としての)偽陽性の問題,進化環境と現代環境のミスマッチの問題を例としてあげている.ライトはすべての根底にある幸せの妄想が重要だと指摘する.そして「瞑想」はその妄想を追い払うプロセスとしてとらえることができると説明する.
 
ライトはここで瞑想のこつを伝授している.まず呼吸を使って彷徨う意識から逃れる.その後は二つの流派があるそうだ.一つは長く集中し続けるという方法.もう一つは物事をマインドフルに観察しようとして注意を集中するものだ.後者がライトが実践している「マインドフル瞑想」になる.さらにここから実体験がいろいろ描かれている.
 
このマインドフル瞑想の目的は,「無常」「苦」「無我」の洞察になる.そして悟りへの道で最も重要なのが「無我」の洞察になる.ライトによると「無我」というのは「自己のいうのは思いこみで対応する実体を持たない」という概念になる.ここから様々な仏教諸派の解釈について説明があり,実体験として「無我」の境地に至ると痛みなどの感覚が自分と無関係になるように感じられることが語られている.ライトはそれは「自分の中に思い通りにならず,自分を苦しめるものがあるなら,それを自分と同一化するのをやめよう」という教えだと解釈している.
 
ではこの「無我」は心理学的にはどう解釈できるのだろうか.ここからライトは進化心理学的なモジュールの議論を丁寧に解説する.そして動機を持ちすべてを決定しているように思える「意識」は実は単に動機に気づいているだけで,さらにその気づきも自己欺瞞によってゆがめられているし,それは進化的には「自分が有能で行動に対するつじつまの合う説明ができること」が適応的だったためとして理解できると解説している.このあたりは基本的にはクルツバンの「意識は報道官にすぎない」という説明に沿ったものになっている*1
そして様々な仏教の主張がモジュール的な心という面からうまく解釈できることを説明する.例としては以下のようなことが解説されている.

  • モジュールの活性化が感覚と結びついていると考えると,仏教の「感覚に執着しない」という教えと「無我」の関係が理解できる
  • 嫉妬も1つのモジュールの活性化と考えると,それにとらわれないようにしようという仏教の発想が理解できる.

ライトはここで「このように感覚に応じて様々なモジュールが活性化する中で,コントロールを取り戻したいなら,状況を変える一つの方法は日々の生活の中で感覚が演じている役割を変えることであり,マインドフル瞑想はそれを可能にする」とコメントして瞑想自体に話を進める.

ライトによると瞑想をやってみて最初に気づくのは「心が一カ所にとどまろうとしないために瞑想が難しいこと」だという.ライトは心の逸れ方についていくつか実例を挙げ,それらは「過去か未来が関わり」「自分が関わり」「さらに他人に関する考え」であり,しかも進化心理学のいう特定の単体モジュールの領域内にあるようになっているという.要するに「自我」あるいは「意識」は,自分が何を考えるかを決めているのではなく,何らかのモジュールが活性化するのに気づくということだ.
そしてマインドフル瞑想は自分の感覚と距離を置くことで,よりコントロールを得る良い方法だという.ライトは様々な体験をおいて,感覚と心の動きの関連を語り,そして自らの仮説として,「感覚こそがモジュールの活性化優先度のラベル付けをする主要な手段である(脳が比較検討する際にはその感覚同士を競わせる)」という主張を行っている.そしてそれは進化的理解とも整合的(そもそも感覚は動機因子として進化している)だという.つまり何かを熟慮の末に買おうと考えるのは,十分に行った理性的な分析がその買い物を好ましく感じさせるからだということだ.
クルツバンによる長期と短期の利害の相克モデル(感情を理性が抑えるのではなく,短期的利己モジュールと長期的利己モジュールが競争している)においては意識は後付けの理屈をでっち上げる報道官にすぎない.ライトは基本的にそれを認めつつ,しかしマインドフル瞑想を行うことにより私たちは意識的に介入できるのだと主張する.
利害の異なるモジュールが競う場合には,片方が勝ち,それがうまくいく(誘惑に負けて喫煙して気分が良くなる)とそれが強化されて勝ち続けやすくなる.ここから逃れるためには喫煙などの衝動と戦おうとするよりも,その感覚を検分して,それは自分の一部ではないと感じる方がうまくいくというわけだ.こつはモジュールは「自分」の一部ではないと感じることだというのがライトの悟りになる.
 
ここからライトは感覚が思考や行動に与える影響をさらに細かく描いていく.

  • 「無色」あるいは「空」は「感じられる外の世界は見かけ倒しにすぎない」という概念になる.うまく瞑想を行うと,ものについての物語や意味が消え,不愉快な感覚の負のエネルギーも消失する.それは本質主義からの解脱にもつながる.(ここではブルームによる本質主義の議論が解説されている)
  • 片方でこの解脱は,本質主義によるカテゴリーを曖昧にさせる.雑草をみて美しさを感じることができるようになるが,雑草と有用植物の違いが感じられなくなる.雑草かどうかは大した問題ではないが,これは道徳的な問題については重要な含意を持つ.通常我々は,個人や行動の善悪をかなり素早くカテゴリーベースで決めつける傾向を持つのだ.これは進化環境では素早い判断が重要だったことの反映だろう.つまり元々の「無色」な現実を本質主義的な心が素早く色づけをし,我々はそれを知覚としているということだ.

 
ライトはここから,この本質主義払拭のための瞑想法を説明し,本質を払拭できても「愛情」がなくなることはなく,対人関係はうまく行くことの方が多いこと,ただし善悪についてもカテゴリカルに判断しなくなるので,外側の道徳教育も重要になる可能性があることをコメントしている.
 

  • 「無我」に至る瞑想は自分の境界をぼやけさせる.結局「何が自分か」をどう感じることが有利かという点で感覚は進化適応しているはずだ.だから血縁者の痛みは(包括適応度的に)より感じやすいし,自分の皮膚の内側の痛みは「痛み」として感じる方が有利だからそう感じるのだ.

 
ライトはここから仏教の教義の解釈に少し立ち入っている.まず「無我」と「空」の関係,さらに「縁起」との関係を整理し,そして自分の「怒り」を抑える体験を語る.その上で初期仏教の難問「涅槃に至るためには煩悩に打ち勝つことと自己の錯覚性に気づくこととどちらが重要か」についてその二つは基本的に同じではないかと論じている.また涅槃,悟りについてもいろいろと論じている.

さらにライトはスコープを少し広げて読者に向けて語る.仏教の悟りには西洋科学における啓蒙と共通点(どんな原因がどんな結果をもたらすかの気づきをより深める)があること,仏教の瞑想は理性を捨てるためではなく理性を働かせるためにあることを強調し,「悟り」のチェックリストを置き,ここまでの理解における進化的思考の重要性,そしてよりよき世界を作るためには進化産物である「自己の特別意識」を乗り越える必要があることを指摘する.そして最後に個人的になお瞑想を続けている理由を整理し,世界の救済のためにはこのようなメタ認知改革が重要だという考えを披露して本書を終えている. 
 
 
マインドフル瞑想,あるいはマインドフルネスは西洋では結構人気があるようで,少し調べるといろいろヒットする.ライトは進化心理学やモジュールの議論に親しんでいる中で,マインドフル瞑想に取り組み,その教義や体験が進化心理学が解明してきたことと整合的であることに気づき,本書を執筆することになったのだろう.本書で語られていることの多くは教義や体験を進化心理学的に解説するものだが,さらに「本質主義から解脱したら何が生じるか」の体験談や「自分でコントロールできないモジュールの活性化」を(本来報道官に過ぎない)意識によるコントロールする試みが書かれていて興味深い.どのモジュールがより活性化するかを決めるのがインプットである感覚であるなら,そこに意識を集中するのはある意味うまいやり方なのかもしれない.確かに煩悩から逃れられれば人生は豊かになるだろう.ライトの体験を額面通りに受け取っても瞑想でそういう境地に至るのはそんなに簡単ではなさそうだが,興味のある人には良いガイドかもしれない.


関連書籍
 
原書

Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment (English Edition)

Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment (English Edition)

 
本書で用いられるモジュール論が詳しく論じられ,本書でも引用されているクルツバンの進化心理学本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20111001/1317477823

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind (English Edition)

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind (English Edition)

 
同訳書.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20141001/1412160200

だれもが偽善者になる本当の理由

だれもが偽善者になる本当の理由


 
ロバート・ライトの本
 
最初の進化心理学紹介本

 
同邦訳
モラル・アニマル〈上〉

モラル・アニマル〈上〉

モラル・アニマル〈下〉

モラル・アニマル〈下〉

 
世界の歴史をノンゼロサムゲームの選択の推移として解釈して語った本.
Nonzero: The Logic of Human Destiny (English Edition)

Nonzero: The Logic of Human Destiny (English Edition)

  
宗教を文化進化的に考えてみようという本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090920/1253428284
The Evolution of God (English Edition)

The Evolution of God (English Edition)

*1:なおライトは「意識」はある意味で「特別」だという点においてはクルツバン説に対して一定の留保をおいている

Enlightenment Now その37

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

第14章 民主制 その3

 
では具体的にどのような形で政府権力の抑制が実効化していくのだろう.ピンカーはそのよいケーススタディとして死刑廃止の動きを取り上げている.
 

  • 権力の抑制は実時間ではどのように進むのだろうか.この人類の進歩を観察できるクリアーな窓が究極の暴力実行とも言える死刑執行にある.
  • 死刑はかつてどの国でもありふれていた.そしてそれは拷問と辱めと一体だった.(ピンカーはキリストの磔刑を例にあげている)
  • 啓蒙運動以降.ヨーロッパ諸国では凶悪犯罪以外での死刑をやめていった.19世紀半ばまでで英国の死刑は1/50程度に減った.
  • 第二次世界大戦後世界人権宣言を受けて第二次の人権革命が生じ,死刑を廃止する国が次々に現れた.ヨーロッパで今日なお死刑を執行しているのはベラルーシぐらいだ.(調べてみるとこのほかロシアには法的に残っているが,執行停止して10年以上経過している)
  • 死刑廃止の動きは(単にヨーロッパでそうであるだけでなく)グローバルだ.ここ30年,毎年2~3カ国が死刑を廃止している.現在もなお死刑を執行しているのは世界の国の中で1/5以下だ.

(ここで死刑廃止国の推移グラフが示されている.1970年ぐらいまでは20カ国以下だが1980年から急上昇し始め今や100カ国以上が廃止国になっている)

  • 死刑数の多いトップ5は中国,イラン,パキスタン,サウジアラビア,そしてアメリカになる.進歩に関するほかの点ではアメリカは先進民主国だが,この指標は大きな例外になっている.そしてこの例外はモラルの進歩が哲学的な議論から実践に変わる際の曲がりくねった道行きをよく示している.そしてそれは民主制の「統治者から人々への暴力を厳しく制限する」ことと「多数の意見を実現させる」ことの間の緊張も示している.アメリカが例外なのは,それが民主的すぎるからでもある.
  • ヨーロッパにおいても過去ほとんどの期間と地域で,他者に死を与えた者に対する死刑は完璧な正義だと考えられてきた.死刑廃止についてのまともな議論は啓蒙運動に始まる.その議論は,(1)統治者の暴力は生死という聖域には踏み込むべきではないのではないか(2)抑止効果は別の方法でも得られるはないかというものだった.
  • この死刑廃止のアイデアはまず哲学者から始まり,知識階級に,それからリベラルで教育程度の高い上流階級,特に医師,弁護士,作家,ジャーナリストたちに広がっていった.そして義務教育,普通選挙権,労働者の権利などと一緒に政策パッケージになり,人権主義の1つのシンボルのようになった.
  • ヨーロッパの廃止主義者は一般市民の懸念や疑惑を無視して突き進んだ.ヨーロッパの民主制は一般市民の意見をそのまま政策にするようなものではなかったからだ.刑法は著名な学者たちによって書き起こされ,自分たちを統治階級だと考えるエリートたちにより審議承認され,(選挙を減ることなく)任命された判事たちによって実行された.一般市民がそれを認めるようになったのは,死刑廃止後何十年かたって,それでも社会が混乱に陥らないことが実感されてからだった.
  • しかしアメリカはより「人民による人民のための政府」に近い.基本的に死刑は州法の問題であり,より一般市民に近い統治者によって審議される.そして検察官も判事も選挙で選ばれる.さらに南部諸州は名誉の文化の影響下にあり,「正当な報復」はその理念の1つでもある.そして実際にアメリカの死刑執行は大半が一握りの南部州(テキサス,ジョージア,ミズーリ)でなされている.
  • それでも,アメリカも死刑廃止の歴史的なトレンドの流れの中にある.そして2015年において世論の過半(61%)は死刑を支持しているが,死刑執行はなくなりつつある.ここ10年で7州が死刑を廃止した.16州は死刑執行停止中で,30州で過去5年内の死刑執行が0になっている.テキサスですら2016年の死刑執行数は7件で,2000年の40件に比べて大きく減っている.そしてヨーロッパと同じく執行が減るにしたがって世論の死刑容認は減ってきている.2016年には史上初めて世論調査で死刑容認が50%を割り込んだ.

(アメリカの死刑執行数(人口10万人あたりの執行数)の1780年から2016年にかけてのトレンドが示されている.18世紀には0.85程度あったものが19世紀には0.3から0.2に低下し,20世紀後半にさらに低下し,0.1を下回ってさらに低下中だ)
 

  • このアメリカの過程はどのように進んだのか.ここにモラルの進歩の別の道がある.
  • アメリカの民主制はヨーロッパのものよりポピュリズム的だが,古代アテネのような直接民主制ではない.歴史的な共感と理性の拡張とともに,強硬な死刑存続論者であっても群集によるリンチや(気に入らない判決を下した)判事を(文字通り)吊し上げることをおぞましく感じるようになった.死刑執行には威厳と注意深い取り扱いを求められるようになったのだ.アメリカの死刑執行の仕組みは少しずつばらばらにされていった.

 

  1. まず科学的犯罪操作技術,特にDNAフィンガープリンティングがこれまで無実の罪で死刑にされていたものが数多くいることを明らかにした.これは熱心な死刑存置論者もひるませる.
  2. 執行方法は磔刑や引き裂き刑から,より残虐でない絞首刑,銃殺刑に,さらに目に見えないガスや電気に,そしていかにも医療行為的な注射によるものに変わっていった.しかし医師は執行を拒否し,薬品会社も薬剤供与を拒否するようになった.
  3. 監獄がよりしっかりしたものになり脱獄が事実上不可能になり,終身刑の実効性が高まった.
  4. そもそもの暴力犯罪率が減少し,厳格な抑止刑の必要性が減ったと感じられるようになった.
  5. 死刑の重みが大きくなり,判決即執行ということはできなくなった.控訴,上告,再審と司法手続きは複雑に積み重なり,多くの死刑囚は司法手続き中に自然に死亡するようになった,さらにこの司法手続きのために終身刑よりも遙かにコストがかかるようになった
  6. 統計は死刑囚が貧困層とアフリカ系に偏っていることを示し,一般市民の良心を刺激した.
  7. 連邦最高裁も少しずつ死刑を制限する.未成年,知的障害者,謀殺以外の犯罪への死刑は違憲とされた.薬殺もほとんど違憲とされかかっている.司法ウォッチャーは最高裁が死刑そのものを(残虐刑罰として)違憲とするのは時間の問題だと信じている.

 

  • 科学,法,社会的な力が政府からその成員を殺すことをやめさせようと働いているのだ.それは何かミステリアスなアーチが正義に向かってかかっているようでもある.私たちはモラル原則がより広く適用されるようになるのを見ているのだ.この過程は複雑で曲がりくねっていて,効果は停滞したり少し進んだりだ.しかし十分な時間があれば啓蒙運動のアイデアをは世界を変えることができるのだ.


ピンカーは死刑について前著の「The Better Angels of Our Nature」(暴力の人類史)の第4章で扱っていて,ここではさらにそれを詳しく描いている.なぜアメリカとヨーロッパで異なる道行きになっているのかの説明は説得的だ.ピンカーはアメリカとヨーロッパ以外についてはあまり詳しく語っていないが,日本を含む東アジア,東南アジア,インド,中東,北アフリカ,東アフリカでは死刑が廃止されている国の方が少数派だ.(廃止国はフィリピン,カンボジア,ネパール,ブータン,トルコぐらいで,凍結国には韓国,マレーシアがあるようだ)
文化的な影響もかなりあるように思われる.イスラム法体系の影響もあるのかもしれない.日本の現状と私の認識については前回の認識からあまり変わってはいないところだ.(https://shorebird.hatenablog.com/entry/20120224/1330085226参照)