War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その55

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その16

 
ターチンは本章でここまでフランク帝国のカロリング朝時代の4つの辺境に後のヨーロッパ列強につながる強国興ってきたことを説明してきた.最後に冒頭の疑問に戻り,なぜ中国では統一状態が継続したのに,ヨーロッパは再統一されなかったのかを議論する.そしてまずダイアモンドによる地理的説明を否定した.
 

なぜヨーロッパは再統一されなかったのか その2

 

  • 実際にはヨーロッパが例外なのではない.中国こそが例外事例なのだ.世界のどこにもこれほど長く帝国が継続した場所はない.逆説的に聞こえるかもしれないが,その究極の理由は地形,より正確には環境にある.東アジアの気候分布には乾燥したステップ地帯と降雨量の多い農耕可能地帯の間にはっきりとした境界がある.人類が遊牧を覚えて以降この環境境界は遊牧民と定着農耕民のメタエスニック辺境と重なり続けた.
  • ステップ地帯からの圧力の元で中国の農耕民は次々に帝国を打ち立て,遊牧民は大統一部族連合を次々に形成したのだ.中国は時に遊牧民の土地に遠征したが,そこで作物を作ることができないため永続的に占領することはできなかった.遊牧民も何度も中国んに征服王朝を打ち立てたが,しかしそうなるとすぐに中国に同化してしまった.この中国文明と遊牧文明の断層線は東アジアの地理に基礎があったのだ.だから中国には普遍的な帝国が次々に興った.普遍的な帝国とはある文明の内側すべてを統一したものだ.
  • ユーラシアの西側部分にも2つの普遍的な帝国があった.ローマ帝国とカロリング朝フランク帝国だ.どちらの帝国もメタエスニック辺境に興った.そういう意味では中国の帝国に似ている.しかしローマとカロリングは辺境をコアから遠くに押しやった.そして何百年も辺境を離れたために両帝国のコアはアサビーヤのブラックホールとなり,人々は機能的な国家を組織できるようなスケールでの協力ができなくなったのだ.

 
ターチンの説明は歴史法則「メタエスニック断層の近くではアサビーヤが上がることにより強国が生じ,それが帝国の元となる」は中国にもヨーロッパにも当てはまるが,ヨーロッパではメタエスニック断層の位置が動きアサビーヤのブラックホールが生じたが,中国では(気候帯の配置から)動かなかったためにブラックホールができず高いアサビーヤを持つ強国が興り続けたというものになる
 

  • カロリング朝フランク帝国の衰退の後,そのコアは(ザクセン朝とザーリアー朝の皇帝の元で)また別の内心化と遠心化のサイクルに入り,そして分解し,それ以降統一されていない.この崩壊したコアの外側に辺境に接した新しい力の中心がいくつか生まれた.この興隆する強国はかつてのコアをめぐった争いあった(ローマ帝国が崩壊した後,地中海世界が二度と統一されなかったのも同じだ).そしてコアと反対側への拡張の方が容易だった.何世紀か経ち,強国たちは最終的にコア地域を分割して分かち合った.フランスはロレーヌとアルザスを,ハプスブルグはオランダを,プロイセンは(ルクセンブルグなどのわずかな断片を除く)その残りをとった.

 
コアがブラックホールに飲まれてつぶれ,周辺の強国が分けあったという説明は鮮やかで分かりやすいイメージを提示している.そしてここでターチンは地中海沿岸が二度と統一されなかったのも同じだと書いているが,ここはかなり微妙だ.もし同じようなことが生じたのなら,(ターチンが南イタリアについて議論したように)ブラックホール跡地はその後もアサビーヤのない地域に成り果てることになるが,西ドイツ地域はそうなってはいない.南イタリアもイスラムとの断層に面していたことも合わせ,やや都合の良いチェリーピックのような説明になっているように思う.せめてなぜこのような違いになったのかは説明があるべきだろう.
 

書評 「心理学を遊撃する」

 
本書は認知心理学者山田佑樹による,「心理学の再現性問題」についてそれをリサーチ対象として捉えて突っ込んでいった結果を報告してくれる書物である.
「心理学の再現性問題」は,心理学者にとって自分のリサーチの基礎ががらがらと崩れていくかもしれないような重苦しいテーマであるに違いない.しかし著者はそれを軽やかに取り上げ,様々な角度からつつき,本質を見極めようとする.物語としてはその突貫振りが楽しいし,再現性問題が非常に複雑な側面を持ち,かつとても興味深い現象であり,到達点がなお見えない奥深いものであることを教えてくれる.それはまさに最前線からの「遊撃」レポートであり,迫力満点の一冊だ.
 

第1章 心理学の楽屋話をしよう

 
第1章では心理学の「楽屋話」が書かれている.まず著者の駆け出しのころの研究(ランダムネスの知覚),面白い効果を実験で示せたと思った時に別の研究グループが似たような研究の論文を出した時の狼狽*1を語り,研究者は普段研究の中身だけでなく,このような研究の楽屋事情や方法論をよく話しあっており,「再現性問題」はまさにこのような心理学の「バックヤード」にある問題なのだとコメントしている.本書は心理学の「バックヤードツアー」を語る「心理本」なのだ.
 

第2章 再現性問題を攻略する

 
第2章の冒頭では本書が扱う「再現性問題」とは何か,その取り扱いの難しさが書かれている.

  • 再現性には方法,結果,推論それぞれの側面がある.本書ではその中で結果再現性をめぐる問題を取り上げる.
  • この問題は取り扱いが難しい.まず否定的な話にならざるを得ず,相手に反感をもたれかねない.そして分野やトピックごと,個人ごとにこの問題への取り組み方が全く違う.その結果多くの場面でタブー的な取り扱いになりがちだ.
  • そういう意味でこの問題をフランクに話しあう場としてAmy Orbenの提唱したRepruducibiliTea(お茶でお飲みながら再現性問題を気軽に話し合う場)のアイデアは素晴らしい.日本でもRepruducibiliTea Tokyoが平石,池田により設立されており,素晴らしい.

 
次に「再現性問題」とそれを取り巻く流れ,著者がかかわるに至った経緯が説明されている.

  • 2015年8月にサイエンス誌にいわゆるOSC論文が掲載されたとの報が届く.そこでは心理学のトップジャーナルに掲載された論文100本を追試した結果,再現率は4割に満たなかったとされていた.(この論文の内容について詳しい説明がある)これにより「心理学の再現性問題」が世界に知れ渡ることになった.
  • この問題に対して日本の社会心理学者たちは非常に早期から明確な危機意識を持っていた.私は当初受け身でしかなかったが,「心理学評論」の「再現性特集号」への寄稿の話をもらい,問題への対処において研究者自身の認知メカニズムの検討の重要性を指摘する投稿を行った.

 
そして再現性問題がなぜ厄介な問題なのかが簡単に説明されている.著者による「遊撃」の背景ということになる.

  • 再現性問題の本質は,再現性が低いこと自体ではない.再現性が低いなら,その背後の因果モデルと最適な介入法さえわかればいいからだ.しかしこれが一筋縄では行かない.
  • 再現性の低さのポピュラーな説明は,ヒトの行動は社会的文化的文脈によりいくらでも変わるのであり(未観測未認識の撹乱要因や隠れパラメータの排除が難しく)「心理学とはそういうものだ」というものだ.この考え方には魅力的な部分もあるが,しかし現在の科学において再現性は重要な要素であり,あきらめずに文脈要因を探っていくべきだと考えたい.さらにこの見解を突き詰めると研究知見は,実験が行われた文脈でのみ成りたつものということになり,一般化できなくなる.
  • 別の要因は測定と統計にある.測定には誤差があり,社会科学には相関係数に影響してくる説明不能の謎の測定効果(カス因子)がよく現れる.この問題についても様々な議論や提案があるが本書では扱わない.
  • では他に何があるのか.現時点でこれこそがそうだと断定はできないが,関連しているいくつかの側面がある.それを調べるということはある意味研究者の人生そのものを総点検することでもある.

本書はこの最後の研究者人生の総点検を「遊撃」してきた著者の報告ということになる.
 

第3章 研究者のチートとパッチ:QRPsと事前登録

 
第3章は再現性問題が現れた当初に最も話題になった研究実践におけるチート,QRPsが扱われる.冒頭はゲームにおける「やり込み」の話題から始まっていて面白い.

  • QRPs(Questionable Research Practices)と呼ばれる「疑わしい研究実践」(データ捏造,改竄,盗用という研究不正とまではいえないようなグレーな手法)には様々な手練手管がある.
  • 代表的なものがp値ハッキング(p-hackingh)と呼ばれるものだ.この中にも,選択的報告(チェリーピッキング),逐次検定,外れ値の活用など様々な手管がある.(逐次検定と外れ値活用を組み合わせるといかに強力かが具体例として挙げられていて迫力がある)
  • もう1つの代表的な手法がハーキング(HARKing:Hypothesizing After the Results are Known)だ.これは有意なデータを知った後で仮説を作る作業のことだ.Texas sharpshooter fallacyとして知られるが,中国では「事後諸葛亮」と呼ぶらしい.これにもいくつかのバリエーションがある.p値ハッキングとハーキングを組み合わせると効果は絶大なものになる.
  • そして論文の書き方の教科書的な書物ではしばしばハーキング的な手法が推奨されていたりする(これは2022年現在でもそのような教育的な論文が出版されているそうだ).再現性問題について考える際には心理学教育や研究者教育を抜きにすることはできないだろう.

 

  • これらを防ぐために考案されたのがプレレジ(pre-registration:事前登録)だ.これはデータを集める前に変更不可の研究計画を登録して研究者自由度をゼロにするものだ.事前に分析方法が決められているのでp値ハッキングはできないし,事前に仮説が決められているのでハーキングもできない(いくつかのプレレジの登録方法が解説されている)
  • プレレジにもいくつかの問題点が指摘されている.まず仮説が理論から適切に導出されうる場合や方法やデータがオープンにされている場合(つまりp値ハッキングやハーキングがあまり問題にならない場合)には,研究の探索性やセレンディピティを阻害するという指摘がある.そして何よりプレレジもハック可能だ.プレレジは登録後の自由度を制限するが,登録前の自由度は制限できない.プレレジ前にQRPsを行い,美しい結果を確定させてから登録し,あたかもその後にデータをとったかのように見せかければいいのだ(パーキング;PARKingと名付けた).
  • 私は再現性問題に対して日本からも何か発信したいという思いもあり,プレレジもハック可能であることを示した論文を発表した.(論文受理までの経緯,プレレジハックが可能であることを示す実験を「実演用の嘘プレレジをする」研究としてプレレジしたなどの逸話があり楽しい).
  • プレレジもハックされることが認識されて,次に考案されたのがレジレポ(Registered Reports:事前査読付き登録報告)だ.レジレポは序論と方法のセクションだけまず査読を行い,結果と考察のセクションが加筆された段階でもう一度査読するものだ.最初の査読で方法セクションにかなりの修正が入るので,パーキングが使えない.
  • なおQPRsの1つである実験リセマラ(いい感じの結果が出るまで実験を何度でも繰り返す手法*2)を商業的に行う業者が存在することが2023年にSNS上で話題になった.その業者は臨床試験の代行を有料で請け負い,「業界初!有意差,完全保証!」と喧伝していた.突撃したネットニュース社によるインタビューをみる限り,彼らは悪びれずに実験リセマラ的な手法に言及していた.製薬の分野には不案内だが,どういう業界なのかについては興味が尽きない.
  • 私自身はプレレジを多用している.プレレジが探索性やセレンディピティを制限するとは思っていないこともあるが,備忘録としての役割があり,そして制限プレイとしてのやり込み要素に惹かれているからだ.

 

第4章 研究リアルシャドー:追試研究

 
第4章のテーマは追試.再現性問題とは,まさに追試で原論文の結果を再現できないという問題だから,これも重要なテーマになる.素人考えだと,じゃあどんどん追試すればいいだろうと思うわけだが,しかしこれがまた一筋縄ではいかないことが描かれる.

  • 追試には直接的追試と概念的追試がある.前者は先行研究の方法をテストするもので,後者は理論をテストするものということになる.再現性問題の「再現」とは直接的追試が問題になっている.しかし完全な直接的追試は不可能なわけで何を追試と呼ぶべきかにも議論がある.私は追試はある意味三角測量の役割を果たすものだと考えており,適切に実施され,方法とデータがオープンにされるならどのような追試も奨励したい.
  • 誰が追試を行うかという問題も重要だ.しばしば追試は「骨折り損」と形容される.先行研究者にとっても追試が有益(追試で確認してもらわなければ知見を検証済みといえない)でなければ,分業が成り立たない.利益相反の問題もあるので,同じラボで行うのは望ましくない.利益相反状況をオープンにした上でのラボ間の相互追試,大学の授業での実施,追試専門の機関や企業の利用などが考えられるが,最も望ましいのは追試専門の研究者が学術界で尊敬される立場として確立されることだろう.

ここから著者自身が行った追試についての様々な経験が語られる.全然再現できない落胆(あんなにロバストだと書いてあるのに!),追試失敗を論文にして受理してもらうことの困難さ,プレレジ追試*3でうまく再現できた話,プレレジ査読者が実験条件にこだわったので,話がどんどん大きくなって国際共同研究に発展した話,(再現性問題の発端の1つである)Bemの超能力論文の厳密な追試の話*4などいろいろ楽しい.最後に著者の所感と追試をめぐる現在の状況が語られている.

  • 10年前なら追試は自分の研究に入る準備の1つでしかなく,追試結果を論文にするなんて考えもしなかった.自分の価値観が大きく変わったことを実感する.今では追試は攻略要素が多くやり込み甲斐があり,追試プレイヤーがかっこいいと思うようになった.
  • 追試は一般社会からだんだん注目を集めるようになり,学術界の強い関心も集め始めている.その最も顕著な取り組みがOSFのMany Labsプロジェクトだ(詳しい説明がある).研究者の間では「特定の○○効果が再現できるか」から「いかに見事な追試を行うか」という方法論の発展に関心が移りつつあるようだ.

 

第5章 多人数で研究対象を制圧する:マルチラボ研究

 
再現性問題は,より一般的な文脈を目指す研究方向を作り出し,それはマルチラボ研究ヘの流れとなる.第5章ではそのようなマルチラボ研究動向,そして論文のオーサーシップの問題が扱われる.

  • 認知心理学の論文の著者数はここ40年で明らかに増加している.特に2000年代以降は顕著だ.これには再現性問題や一般化可能性問題への突破口として生じたマルチラボ研究のトレンドが関与している.

ここから著者自身のマルチラボ研究の歴史が語られる.最初はお誘いに受け身で参加していたが,どんどん積極的にかかわるようになった様子が描かれている.そしてマルチラボ研究についてどう考えるかが語られる.

  • ビッグチームの利点は(破壊的・革新的になりにくいが)ホットなトピックに対して高スループットの結果を素早く得やすいことだ.これは既存研究の発展,学際化,そして追試において威力を発揮しやすい.また個別研究では出現しにくい結果を得ることができる.広いサンプルも得やすい.これはWEIRD問題を考える際に重要だ.
  • ビッグチームの研究の進め方にもノウハウがある(それについての論文などが紹介され,ツールやファンディングなどいくつかのトピックについての解説もある).
  • ビッグチーム研究の最大の問題はオーサーシップだ*5.著者数が多くなると大して貢献していないフリーライダー的な著者を増加させる.多人数の研究者全員の貢献度や働きぶりをチェックすることは事実上不可能で,フリーライダーを完全に排除することは難しい.また逆に多人数著者論文の著者に加わっていることをどう評価すべきだという問題も生じる.理想的には最適化された量的評価が望ましいが,難しいだろう(このほか著者順の決め方,コンソーシアム・オーサーシップなどの話題も取り上げられている).

 

第6章 論文をアップデートせよ

 
第6章のテーマは論文だ..

  • 再現性の話をする上で論文の話題は避けて通れない.論文がないと追試もできないし,研究者がQRPsを行っているかどうかもわからない*6
  • 研究者にとって論文は昇進や研究費に換算できる学術通貨でもある.しばしば「Publish or Perish」ということがいわれ,論文がなければ学術界を去らねばならないという強いプレッシャーがあるとされる.このような脅威に駆動されて研究を行う実体があるなら,それは非常によくないと考えられる.何より楽しくないし,研究不正やQRPsとも関連する.
  • そしてどの分野にも「とにかく論文を出しまくる人」が存在する.このような「論文マニア」の存在には,一体どのようにして実現しているのか,ギフト・オーサーシップ(研究に関与していないのに著者として名を連ねること)を利用しているのではないのか,このような人をどう評価すればいいのかということが注目される問題として浮上する.

 
ここから論文とはどのようにして書かれるのかが解説され,著者が感じている様々な問題が取り上げられている.
<論文の書き方>

  • 現在原著論文*7は序論,方法,結果,考察と並べるIMRAD方式で書かれることが多い.
  • このIMRAD方式論文をどう書くかという実践的な問題は一昔前までは千尋の谷のライオン的教育*8しかなかった.これは一部の研究者の実力を大きく伸ばすが,落ちこぼれも多く生んでしまう.最近は論文の書き方本が出版され,大学でもアカデミック・ライティングの授業もあり,システマティック・トレーニングも可能になっている.後者を推し進めた方がいいだろう.
  • 意外と重要なのが,図表のクオリティ,カバーレターだ.これらについてもシステマティック・トレーニングの機会が望まれる.

 
<査読>

  • 業績として評価されるのは「査読つき論文」だ.しかし実際に行われた査読がどのようなものだったかが問われることはほとんどない.私はこれを「査読神授」と呼んでいる.
  • かつては私も査読を論破合戦のように捉えていたが,経験を積み少しづつイメージが変わってきた.1つには教育的な意義のある査読もあるということがある(経験談が語られている).そして査読の大部分は説得作業のように感じるようになった.うまくリプライして査読者の心情を巻き込んでいく方が有益だ.(ここでおかしな編集行為;QEPsの問題にも触れている)

 
<査読システムの問題点:再現性問題とのかかわり>

  • 査読を受けるのは煩わしいが,それがないと学術通貨とならない.だから査読もハックされる.
  • まず査読偽装がある.自分の査読を自分に回す(エディターに示唆する査読者のメールアカウントを自分の別アカウントにしておく),劇場型査読偽装(自分のグループにいる研究者をその利益相反を知られないようにエディターに示唆する)などの手口がある.これらはエディターが査読者を探すの苦労しているという背景から可能になっている.
  • 次にまともな査読を行わないような捕食学術誌の利用がある.捕食学術誌の定義や判定には曖昧で難しい問題があるが*9,ブラックリストや判定サイトがあり,真のヤバい捕食誌たちはばれ始めている.
  • これに対して捕食誌側には現存する学術誌へのなりすまし戦略をとるものもある.雑誌名やウェブサイトの見た目をコピーし,SEO対策まで行い,間違って投稿された論文を査読スキップして掲載し,掲載料を取る.まさに学術出版のフィッシング詐欺だ.

 
<ギフト・オーサーシップ>

  • 特に貢献していなくとも著者として連名してもらうという方法もある.これは特殊なハイクラスの人々限定の技になる.この場合当該論文に捏造やら改竄などの不正があれば巻き添えを食らうこともある(毒杯と呼ばれる).
  • 誰にでもできる技としてオーサーシップ売買がある*10

 
<出版の未来>

  • このように原稿の論文システムにはいろいろな課題がある.これに対していくつもの取り組みがある.私は次の3つに注目している.
  • 1つ目は「F1000Research」誌の「オープン査読」への取り組みだ.そこでは「著者と査読者の身元公開」「著者と査読者の自由な会話」「査読前原稿の公開」「最終原稿への自由なコメント」「査読とプラットフォームの分離」が実現されている*11
  • 2つ目は「eLife」誌の「リジェクトしません」宣言だ.まず査読に回すかどうかの判断をし,一旦査読に回した論文はリジェクトせず「査読済みプレプリント」として公開される(査読処理には費用を請求される).このプレプリントが論文として業績カウントされるのかは不明だし,そもそもブランドが弱体化するのではという懸念やエディターの権限が強くなりすぎるのではという懸念も表明され,まだ揉めているようだ.
  • 3つ目は「Peer Community in Registered Reports(PCI RR)」の「プレプリントに査読を行うコミュニティ」という取り組みだ.これはプレプリントサーバーにあげられた原稿を(レジレポの枠組みを用いて)このコミュニティに査読依頼し,アクセプトの判定が出れば,そこと連携した雑誌に推薦してもらえる(雑誌側の査読なしで掲載される)という仕組みだ.

 

  • さらに私たちは「三位一体査読」を考えた.それはレジレポの第一査読の際に倫理審査と研究費審査もやってしまおうというものだ.(この3つのために現状いかに研究者が重複した内容の事務作業を強いられているかが強調されている)
  • 別のアイデアとしては「マイクロパブリッシング」がある.これは序論,方法,結果,考察のうち,方法と結果だけ報告とか,それぞれ別の著者で書くとかの部分的出版のことだ.
  • 今後は論文執筆へのAIの関与という問題もある.すでにDeepLなどのツールは英文校正において有用だ.ChatGPTのようなAIには将来的に様々な利用可能性があるだろう*12

 

第7章 評価というなの病魔

 
そして第7章では研究者の「評価」の問題が取り上げられる.組織内での人事評価はどのような仕組みでも必ずハックされる.それはハックする動機が非常に強い(成功した時の報酬が非常に大きい)からだ.そしてこれはもちろん研究者評価にも当てはまり,そもそもの再現性問題の根幹にある要因になる.

  • これまで議論してきた,各種チート,プレレジへのためらい,追試が評価されないこと,新しい出版システムに消極的なこと,再現性の問題を気にしない態度などは,すべて既存のインセンティブ構造(有力雑誌への査読つき論文の数が高く評価される)に最適化しようとしたゆえの反応だ.
  • 論文の数にこだわる行動を改めさせるために,「スローサイエンス」の勧めや年間発表できる論文数の制限の提案などもあるが,根幹にある評価システムを変えない限り,実現性は乏しいだろう.
  • 別の評価項目に学会等からの受賞歴もある.これには多重授賞,捕食的授賞(金を払えば賞がとれる)の問題がある.学術コミュニティは「賞とは何か」について改めて議論すべきだろう.
  • 日本の研究者の採用においてはオールラウンダーが高く評価される傾向がある.これはとがった人が職を得られないことにつながっており,全体として大きな損失になっているのではないか.分業が科学的生産力に及ぼす影響を検討すべきだろう.
  • また日本社会での研究者に対する一般的評価はかなり歪んでいる*13.そこにも目を向ける必要があるだろう.
  • アンケートによると一般人が心理学に求めているのは「対人場面での対応」「他者の気持ちを見破る」「心理操作」のような事柄であり,心理学はこれらをほとんど研究していない.これは(1)この需要の多い方を研究しなくていいのか(2)「心理学」は一般からはかなり誤解されている*14という問題があることを示している.心理学的には誤情報の影響はデバンキング(訂正)やプレバンキング(事前に正しい情報を与える)で減少することがわかっている.プレバンキングとしては高校等の部活に「心理学部」を設置することが有効ではないか.私は現在高校への出前授業に力を入れている.

 

第8章 心理学の再建可能性

 
最後に心理学の将来が語られる.

  • 再現性問題もいずれ徐々に人々の記憶から消えていくだろう.そのパターンは(1)問題解決(2)解決を断念(3)心理学が今と別のものになる,のどれかだ.
  • (1)が望ましいが,これには懐疑論もある.研究者の自由度,あるいは仕様空間は極めて大きい.その仕様空間の極く一部でいくら実験し追試しても理論評価への影響は限定的であり,再現できない理由も判明しない.
  • これに対して「メタスタディ」(マイクロ実験を多数行いメタアナリシスを行う),さらにそれに理論の比較も付け加えた「統合的デザイン」が提案されているが,限界がある.
  • このため(2)のような諦めの空気も出ている.当初は現状を打開しようと努力してきたが,燃え尽きてacadexitする人が続出している.その背景には心理学には再現性問題だけではなく*15,一般可能性の危機,測定の危機,検証の危機,推論の危機,規範性の危機などの問題が揃っているということがある.しかし私は遊撃して各個撃破していく道をとりたい.様々な課題は乗り越えるために存在していて,その先にパワーアップしたハイパー心理学が待っていると思っている.

 
以上が本書の内容になる.心理学者にとってはまことに深刻な再現性問題について軽やかに切り込んでいく著者の知的格闘がまず楽しいし,この問題がまさに「悪魔は細部に宿る」厄介なものであることをよく伝えていると思う.本書では問題を「心理学の再現性問題」としているが,この問題は社会科学や生態学などのやや限られたデータセットで仮説検証型の実験を行う分野で多かれ少なかれ共通していると思われ,広い分野の研究者にとって他人事ではないだろう.多くの人にとって参考になる内容が含まれていると思う.
著者も本書で認めている通り,状況はどんどん動いており,本書の内容はあくまで再現性問題についての2023年時点でのスナップショットということになるが,そう割り切った覚悟が本書の記述の活きのよさにつながっているのだろう.というわけで本書については,興味深い知的刺激本であるとともに,一部賞味期限の短い内容も含まれている本として,まず手に取り,できるだけ早く読むことをお勧めしておきたい.
 
 
心理学の再現性問題については当ブログでも何回か取り扱っている.
 
shorebird.hatenablog.com
 
shorebird.hatenablog.com
 
平石界による2022時点での詳細な報告
researchmap.jp
 

*1:これは研究における新奇性の極端な追求や,勝者総取りの「論文かけっこ競争」への疑問を感じ始めたきっかけとなったそうだ

*2:スマホゲームでアプリのインストール,アンインストールを繰り返して当たりがでるまでガチャを回す手法がリセットマラソンと呼ばれており,そこからの命名だそうだ.古くから問題視されているQRPであり,いまのところ防止不能な強力なチェリーピッキングになる

*3:追試には先行研究を否定してインパクトを高めたいという動機がある場合があり,その場合には逆方向のQRPsの可能性があるので,追試の場合にもプレレジは望ましいと解説されている

*4:もちろん超能力は再現できなかった

*5:その他の問題としてプロジェクトをリードする研究者に過剰な負担が発生しがち,長期間になりがち,悪意ある参加者に荒らされるリスクなどの問題が指摘されている

*6:データ捏造しても論文にしていなければセーフなのかという問題にも触れている

*7:論文のタイプとして原著,短報,総説,展望,意見,資料,コメンタリなどがあるとされることが説明されている.原著論文とは何かという定義も実は分野により微妙に違っていて奥深いそうだ

*8:「とにかくたくさん論文を読んでスキルを盗め,書いたら持ってこい」と指示し,いざ原稿が来ると「意味不明,やり直し」とだけ書いて突き返すことを繰り返す方式

*9:捕食学術誌の研究として,実際に捕食学術誌とされる雑誌に「捕食学術誌に掲載されてしまった論文を守る方法」という論文を投稿した経緯が語られている.その学術誌では普通の査読が行われたそうだ.

*10:そのためのサイトがあり,執筆時点で心理学論文の筆頭著者枠は900〜1650ドルで販売されているそうだ

*11:オープン査読にはさらに「査読への自由な参加」という要素もあるとされる

*12:Science誌が2023年1月にAI生成テキストや画像の使用を一律に「剽窃」として禁止するポリシーを発表し,それでは英文校正にも使えなくなるという問題を指摘され(著者もそのような意見論文を書いたそうだ),3月にトーンダウンした経緯も説明されている

*13:個人崇拝的になりがち,特にノーベル賞が過剰に評価される,一旦有名になった研究者に対しては専門外の意見もありがたがるなどが指摘されている

*14:これに大きく貢献しているのは大量に存在するポップ・サイコロジー系の書籍やサイトだろうと指摘されている

*15:再現性問題は実は「四天王の中で最弱」だったと表現されている

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その54

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その15

 
ターチンは本章でここまでフランク帝国のカロリング朝時代の4つの辺境に後のヨーロッパ列強につながる強国,つまり,スペイン,イングランド,フランス,ドイツ,オーストリアが興ってきたことを説明してきた.最後に冒頭の疑問に戻っている
 

なぜヨーロッパは再統一されなかったのか その1

 

  • さて本章の始めで提示した問題に戻ろう.なぜヨーロッパはカロリング帝国の後統一されなかったのか.
  • ジャレド・ダイアモンドはこの問題に対して「銃・病原菌・鉄」において複雑な海岸線による地理的分断を理由とした.彼はこう書いている「ヨーロッパには入り組んだ海岸線があり,5つの大きな半島がある.そこには異なる言語を話す異なるエスニックグループが存在した.ギリシア,イタリア,イベリア,デンマーク,ノルウェイ/スウェーデンだ.」ダイアモンドはヨーロッパと中国を対比する.「中国の海岸線はずっと単調だ.東アジアは地理的に単一であったために世界で最も長く続く帝国期を生み出した.秦は紀元前221年に中国を統一し,統一は現在まで継続している」

 
たしかにダイアモンドは「銃・病原菌・鉄」のエピローグにおいて「なぜ近世において中国はヨーロッパに後れを取ったのか」を問題にし,その前段で,中国の統一の継続とヨーロッパが中世以降統一されなかったことを対比している.
そしてその説明の最初で5つの半島を持ち出しているのは確かだが,そのすぐ後で,ヨーロッパにおけるアルプス,ピレネー,カルパチア,スカンジナビアの山脈の存在による民族や言語の分断の継続,黄河と揚子江とその間を結ぶ運河の存在(ラインやドナウはそこまでの規模の水運はなかった)による中心地域の形成なども理由としてあげている.この引用はかなり不誠実な印象だ.

 

  • しかしこの説明が正しいはずがない.海は両側を隔てる濠として機能するだけではない.それは統合のための道としても機能する.ローマ帝国はダイアモンドが挙げた5つのうち3つの半島,さらにブリテン島,アナトリア,地中海沿岸全域,そしてヨーロッパの半分を統一した.地中海は各地方を分断させたのではなく,ローマ帝国を1つの織物に編み込んだのだ.
  • 人々はむしろ山脈によって分断される.そして中国にはヨーロッパより多くの山脈がある.これに対してヨーロッパの平原はアキテーヌからドイツ,ポーランド,ウクライナ,ロシアまでつながっているのだ.この巨大な平原に重大な障壁はない.歴史はそこが危険で不安定な地形であることを示唆している.平原に置かれた数多くの首都が敵に征服されてきた.モスクワはモンゴルに征服され,ポーランドに占領され,タタールとナポレオンに焼かれ,1941年にはもう少しでナチスに侵略されるところだった.パリはナポレオン戦争の最後にロシアに占領され,その後ドイツに2度占領された.ベルリンは7年戦争時にロシアに焼かれ,1945年にも陥落した.しかし最もそれをよく示すのはポーランドの歴史だ.それは18世紀にプロイセン,ロシア,オーストリアに分割占領され,1939年にはドイツとソ連に分割占領された.ヨーロッパの平原がシャルルマーニュ以降統一されなかったのには地形以外の理由があるはずだ.

 
ヨーロッパの平原がフランス北部からロシアまでつながっているのはたしかで,歴史的にもモンゴル,ナポレオン,ナチスなどの大軍勢が東西に侵攻を繰り返している.しかしアルプス,ピレネー,カルパチアという山脈がないわけではない.そして中国の秦漢の統一帝国領域内では,たしかに四川盆地は山脈で隔てられており,南部にはいくつかの山地が広がっているが,華北から揚子江中下流域は平原でつながっている.このターチンの議論もやや誇張されたものという気がする.
ともあれターチンの議論は「統一されるかどうかは,地形でなく,アサビーヤの有無,辺境がどういう配置になったかで決まる」というものだ.ここからその説明が始まる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その53

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その14

 
カロリング帝国の南東部辺境.遊牧民がハンガリー平原に何度も侵入し,それに隣接するドナウ川中流域がフランクのオーストリア辺境となる.そしてターチン理論によりそこに強国が興る.それがウィーンを首都とするハプスブルグ帝国(後のオーストリア=ハンガリー二重帝国)ということになる.
 

カロリング朝の南東部辺境 その2

 

  • 3世紀の間オーストリアはステップから来る侵略者に対するフランクの辺境だった(そこはローマ時代にはノリクムの辺境属州だった).このメタエスニック断層の3世紀はオーストリアを独自のアイデンティティを持つ団結した国家に変えた.これは現在もオーストリアがドイツとは別の国家になっている理由の1つでもある.
  • 強国としてのオーストリアの興隆はゆっくりだったが確実に進んだ.それは独立した公国の地位を1156年に得た.そして1282年に後にハプスブルグ帝国を打ち立てるハプスブルグ家の根拠地となった.ハプスブルグ家は1335年にケルンテンとカルニオラ(現在のスロベニア)を獲得し,1368年にチロルを獲得した.1438年には神聖ローマ帝国の皇帝位を得,それを1806年まで保持した.

 
東フランク王国から神聖ローマ帝国ヘの移り変わり,およびカロリング朝(〜911)→ザクセン朝(919〜1024)→ザーリアー朝(1024〜1125)→ホーエンシュタウフェン朝(1138〜1254)辺りの歴史は世界史でもあまり詳しく触れられないところだ.いずれにせよターチンによるとこの時期にオーストリアは辺境としての一体感を強めていったということになる.そしてそもそもはカール大帝に由来する神聖ローマ皇帝位はホーエンシュタウフェン朝の後大空位時代に突入し,権力の空白の中,神聖ローマ帝国内部はばらばらになる.帝位は選帝侯諸侯による複雑な権力闘争の末の妥協として1273年に(当時としては弱小勢力の1つであった)ハプスブルグ家のルドルフ1世が神聖ローマ皇帝となる.しかしこの後も帝位は様々な弱小君主の間を移り変わる時代が続く.その後ハプスブルグ家は着々と実力を蓄え,1438年にアルブレヒト2世が即位した後は帝位を世襲することに成功し,それが第一次世界大戦で敗北する1918年まで続くことになる.
 

 
ターチンはこのハプスブルグ帝国の興隆を語る. 
 

  • もちろん神聖ローマ帝国は不安定な構造物だったが,それでも皇帝にはソフトパワーがあった.1526年に大きな版図拡張が生じた.オスマントルコがハンガリー軍をモハーチの戦いで打ち負かし,ハンガリーの2/3を征服した.ハプスブルグは占領されなかったハンガリーの版図であったクロアチア,ボヘミア,モラヴィア,スロヴァキア,シレジアを得たのだ(シレジアは1742年にプロイセンに奪われる)
  • ハンガリー平原にトルコが現れたことにより,オーストリアは再びメタエスニック断層に面することになった.ウィーンは辺境の要塞都市になり,1529年,1683年と2度にわたりトルコ軍に包囲された.この期間には拡張は止まり,オーストリアは低く身構えてイスラムの侵略の波をいくつもやり過ごした.そして1683年の包囲を耐えた後,オーストリアは攻勢に出た.1699年にはトルコ領だったハンガリー平原とトランシルヴァニアを征服し,領土は倍増した.これによりオーストリアはヨーロッパにおける第一級の強国となった.18世紀にはイタリア,オランダ,ポーランドの一部を獲得し,さらにトルコ領を簒奪し続けた.

 
続いてターチンはハプスブルグ帝国の弱点を語る.いかにもターチンらしくそれは団結力に関するものだと説明される.
 

  • 19世紀にはオーストリアは疑いなくヨーロッパ列強の1つだった.ただその中では最弱だっただろう.それは人口や領土面積の問題ではなく,帝国内に多くの民族を抱えて求心力が不足していたためだ.特に問題なのがハンガリーだった.2つの帝権国家を内に抱える政治組織は不安定になる.融合して1つの民族国家になるか,分裂するしかないのだ.
  • カール5世治下(1519〜58)においてハプスブルグ帝国には2つのコアがあった.カスティリアとオーストリアだ.これはうまく運営できず,カールの死後帝国は平和的に分裂した.スペインはフェリペ2世が,ドイツはフェルディナンド1世が治めることになった.
  • 1699年にハンガリーを得た時に帝国はまたも2つのコアを持つことになった.ハンガリー人はオーストリアに服することになったが,不満だった.オーストリアはハンガリー人を懐柔するためにオーストリア=ハンガリー二重帝国の形をつくり,スラブ人の領域にはスロヴァキアとクロアチアを建ててハンガリーの王権下に置いた.しかしそれでもハンガリーの支配層はかつての帝国の夢をあきらめきれず満足しなかった.
  • さらにオーストリアとハンガリーがかつてのメタエスニック断層の両側に分かれていたことも事態を悪化させた.ハンガリー人たちは帝国の共通語としてドイツ語を使うことを拒む一方でスラブ人たちにハンガリー語を強要した.
  • このオーストリアとハンガリーの間の緊張により,帝国の様々な小さな民族集団には遠心力が働いた.例えばハンガリーのスラブ系住民への扱いは,彼らの民族的アイデンティティを生み出し,そのイデオロギーはハプスブルグ帝国のすべての民族,すなわち,イタリア人,チェコ人,南スラブ人に影響を与え,帝国の団結に破滅的な結果をもたらした.終焉は帝国が過剰拡張し19世紀末にボスニアを得たことにより生じた.そこは正式には1908年に併合され,6年後にサラエボで皇太子銃撃事件が引き起こされ,第一次世界大戦が生じ,オーストリアは敗北し,帝国は分割された.

 
最後の部分は第一次世界大戦のきっかけとして非常に有名なところだ.
 

 
ここからターチンは強国としてのオーストリアを総括する.最弱とはいえ列強になれた要因として,当然ながら団結の要素を強調することになる.
 

  • たしかに1918年にハプスブルグ帝国は崩壊したが,しかしそれに至る世紀でのオーストリアの達成を軽くみるべきではない.どのような帝国も遅かれ早かれ衰退するのだ.オーストリアについて注目すべき点は彼らが人口の10%しか占めていなかったのにもかかわらずかなり長期間多民族国家を保ったことだ.
  • なぜそれが可能だったのか.1つには彼らは帝国内でより多く負担した.ドイツ人はより税を払ったのだ.2つ目に,そしてこれはより重要だが,1529年にトルコがウィーンの玄関口まで迫ったことだ.そこから3世紀の間は,オスマントルコへの抵抗こそがハプスブルグ帝国の存在意義となった.オスマントルコの圧迫は,オーストリアがアヴァールやマジャールと対した時の民族的記憶に埋め込まれていた防衛メカニズムを呼び覚ました.そしてそれは帝国内他民族の団結も促した.イスラムの脅威に直面する時,ドイツ人,チェコ人,イタリア人,ハンガリー人は同じサイドに立つ味方であることを理解していたのだ.

 
以上がカロリング帝国南東辺境の物語だ.東側ではメタエスニック断層を挟んでスラブやトルコに相対し,プロイセンとオーストリアが辺境の強国として興り,ドイツとハプスブルグ帝国というヨーロッパ列強として名を成したということになる.
 

書評 「生き物の「居場所」はどう決まるか」

 

本書は生態学者大崎直太による,生物の「ニッチ」がどのように決まるのかの学説史についての一冊.生物にはそれぞれの生息場所あるいはニッチがあり,同じようなニッチを持つ生物は互いに排除しているように見える.かつてその理由は資源をめぐる競争だと考えられてきたが,それが覆されていく歴史が語られている.
 

第1章 「種」とは何か

 
第1章では生物のニッチを語る前の整理として「種」とその名前の問題が取り上げられている.
まずアリストテレスとその「存在の大いなる連鎖」,古代ローマ時代のディオスコリデスの「薬物誌」*1,17世紀スイスのギャスパール・ボアンの「植物対象図表」(同種の植物の異名を整理し,属(1〜2語)と種(1〜数語)を表すラテン語で標記した),種(species)を造語した17世紀英国のジョン・レイ*2,属の概念を成立させた17世紀フランスのトゥルヌフォールがまず紹介される.
そこからリンネによる二名法と雄しべと雌しべに注目した植物の分類法*3,ラマルクの分類と進化論,キュビエの比較解剖学,ダーウィンの種(明確に定義できないものと扱う)と分類(共通祖先から分岐した系統を元にすべきだ)についての考え方,メンデル,モーガン,ド・フリースに至る遺伝学の流れ,集団遺伝学の勃興と進化の総合説,マイアの生物学的種概念と異所的種分化,DNAの解明,木村の中立説,ヘニッヒの分岐分類学が簡単に解説されている.
よく知られている話とそれほど知られていないと思われる話がつながって語られていて,蘊蓄を楽しそうに語る雰囲気が楽しい.
 

第2章 生き物の居場所ニッチ

 
第2章からは本題のニッチの学説史.まず最初に描かれるのはリンネからダーウィンへの流れ,そして生物の個体数の上限を決めるのは資源競争だという考えの歴史だ.

  • リンネの時代にその母国スウェーデン・バルト帝国はロシアを盟主とする北方同盟に破れ(大北方戦争),ロシアへの報復のための経済力を得ることが最大の課題になっていた.リンネはスウェーデン王立アカデミーの初代会長としてその影響を受け,自然界は神が生き物の最大幸福を図るための「神の経済」「自然の経済」があると主張した.
  • ダーウィンはこのリンネの「自然の経済」とマルサスの「人口論」に影響を受けて,居場所をめぐる競争と自然淘汰の考えに行き着いた.(有名なウォレス*4との共同発表の経緯,ベイツによる南米のチョウの擬態の発見が自然淘汰の支持証拠とされるようになった経緯が書かれている)
  • マルサスの議論を生物に当てはめれば,生物は常に資源や居場所をめぐって競争していることになる.これを数理的に表すとロジスティック方程式となる.この数理モデルを1838年に最初に示したのはフェルスフェルトだった.これは1921年にパールにより再発見される.
  • パールによるショウジョウバエの実験では,個体数は実際にロジスティック方程式が描くロジスティック曲線に従い,最終的に一定になった.しかし話はそれほど単純ではなかった.一定になるには,競争に負けた個体が死亡するだけでなく,密度が高くなると1メス当たりの産卵数が減ることという現象も要因となっていた.これはその後様々な昆虫でも発見され密度依存要因と呼ばれる.その後密度依存要因には相変異を起こすものもあることもわかってきた.

 
ここからは群集生態学とニッチ概念の学説史が語られていく.

  • 1917年,グリンネルはカリフォルニア・スラッシャー(マネシツグミ科の鳥)の3亜種の分布を調べ,生き物の居場所を定義し,ニッチと表現した.この3亜種は(餌をとるためならそこである必要はなさそうにもかかわらず)常緑低木の茂みの中にのみ生息し,3種に分布の重なりはなかった.
  • 1927年,エルトンは「動物の生態学」を著し,動物群集を独自の構造を持つシステムとして特徴づけようとした.彼は草食,肉食,さらにその中の役割を重視し,「食物連鎖*5」「生態ピラミッド」の概念を示した.
  • 1931年,ロトカとヴォルテラは,それぞれ独自に,2種の生物がロジスティック方程式に従う場合の数理的挙動を確かめた.それはロトカ-ヴォルテラ競争方程式と呼ばれる.その挙動は2種の環境収容力や競争係数の値に依存して共存したり片方が排除されたりするというものだった.排除が生じうるという結果はグリンネルやエルトンの「2種の生物が同じニッチを持つことはない」という指摘を検証するものとされた.
  • ガウゼは2種のゾウリムシを用いてこれを実験的に検証した.これは「ガウゼの競争排除則」と呼ばれる.
  • 1957年,ハッチンソンは競争がない場合のニッチを「基本ニッチ」,ある場合のニッチを「実現ニッチ」として区分した.彼は小さな池での様々なミズムシの共存条件を詳しく調べ,大きさが1.3以上異なることが共存条件になることを見つけた.1.3は「ハッチンソンの比」として知られる.

 

第3章 ニッチと種間競争

 
第3章では引き続き群集生態学史が描かれる.

  • 具体的な群集の研究は島の生物群集から始まった.(ガラパゴス諸島とダーウィンフィンチ,ラックの研究,グラント夫妻の研究が簡単に紹介されている.ラックは各島のダーウィンフィンチの形態差について当初は異所的種分化の後の浮動から説明していたが,ガウゼの競争排除則を知り,それぞれの島の環境に応じた自然淘汰によると主張を改めたと解説されている)
  • 1950年代にロバート・マッカーサーは5種のアメリカムシクイが森林の中でニッチ分割していることを見いだし,圧縮仮説を提唱し,競争緩和の条件として環境の複雑さと天敵の存在を重視した.
  • マッカーサーは1960年代にはEOウィルソンと共同研究し,「島の生物地理学理論」を提唱した.理論は島の生物種数を(島の面積と大陸からの距離をパラメータとし)大陸からの移入率と絶滅率で定まる動的平衡として説明した.彼らはまた移住定着のための理論を(種間競争を前提にした)ロトカ-ヴォルテラ競争方程式を発展させて提唱している.これによると最初の不安定な一時的生息場所を利用するのはr戦略者,安定した永続的な生息場所を利用するのはK戦略者ということになる.彼らはフロリダの島で種数平衡を実験的に検証することも行った*6
  • 彼らはこの島の生物理論は,島だけでなく周囲と異なる島的な環境に広く当てはまると指摘した.ジャレド・ダイアモンドはこれをニューギニアの高山の鳥の分布で検証した.
  • このマッカーサーとウィルソンの種数・面積関係は保全生態学において大きな議論を呼び込んだ.それは同じ合計面積の保護区を設ける場合に単一の大面積保護区の設定と複数の小面積保護区の設定のどちらがよいかという問題だった.ダイアモンドは理論を当てはめれば単一大面積保護区の方が望ましいはずだと主張し,シンバーロフは真っ向から反対した(SLOSS論争).
  • ラブジョイはブラジルで大規模な実験を行ってSLOSS論争に決着をつけようとした.実験の結果,保護区の大きさが種に与える影響はケースバイケースであることがわかった.そしてどの種を保全しようとするのかの目的に応じて保護区を設定すべきだということになった.ケースバイケースになる要因としてはエッジ効果,大きな保護区で一気に絶滅するリスクなどがある.
  • 生物群集の多様性が数多く調べられると,個体数と種数の関係には一山型の分布があるというパターンが現れてきた.ハベルは個々の生物は生態的に中立であるという前提の元で「統一中立理論」を立ててこれを説明し,実際の野外データやシミュレーションで検証した.中立理論は説明範囲が広いが,中立前提が崩れている場合があることも知られており,現在ではそのような群集内での相互作用がある場合の数理モデルも組み立てられている.

 

第4章 競争は存在しない

 
第4章ではこれまでの生物の個体数上限やニッチを種間の資源競争から捉える見方が大転換する歴史が描かれる.

  • 1960年にヘアーストーン,スミス,スロボドキンによるHSS仮説,あるいは緑の世界仮説を提唱する論文が発表された.その論文は世界は緑で満たされており,これは植物をめぐる資源競争が植食者の数の制限となっていないことを示していると主張するものだった.彼らは植食者を制限しているのは上位栄養段階の捕食者や寄生者などの天敵だと主張した.
  • この仮説は多くの研究者により検証された.1984年にはストロング,ロートン,サウスウッドが「植物を食べる昆虫」で植食性昆虫に資源競争はないと断定し,以後定説になった.植食性昆虫が植物を利用するためには乾燥,付着の困難さ,貧栄養や防御化学物質により栄養をとり出すことが難しいというハードルがあり,様々な利用のための戦略が必要になるが,それは簡単ではない.このため通常の状況では資源競争は制限要因にならないのだ.彼らはすべての大陸ですべての戦略セットが見られないことを示し,様々な資源利用戦略が進化するのが難しいことを説明した.
  • ではある地域に分布する植食性昆虫の種数はどう決まるのか.マッカーサーとウィルソンの島の生物地理学の理論を応用し,ある地域におけるある戦略で利用できる植物の量を島の大きさと考えると,短期的にはそこへの移入率と絶滅率で決まり,長期的には戦略の進化適応の可能性が影響することになる.
  • 実際の野外データを見ると軽い密度調節はあるが,資源をめぐる競争が生じるような高密度になることはほとんどないことがわかった.植食性昆虫は植物の防衛戦略と天敵によって極めて低い密度に抑えられていたのだ.(ここで様々な植物の物理的防衛,化学的防衛,それに対する昆虫の戦略の具体例が解説されている)
  • 私(大崎)は1990年ごろにアブラナ科植物がモンシロチョウの幼虫に食われた際に生成する化学物質は植物がコマユバチを誘引するためのものではないかという仮説を立てて実験してみた.私の集めたデータでは規制された幼虫の方が摂食量が多くなるために仮説は棄却せざるを得なかった.後に塩尻かおりがコナガで同じ研究をしたら寄生された幼虫の摂食量が減った.彼女は食害された植物が化学物質を放出して天敵を誘引する防衛を行っているという主張を行っている.
  • ジョン・ターボーをリーダーとする国際研究チームはベネズエラのダム湖に出現した様々な島を使って哺乳類や鳥類を含む大規模なリサーチを行った.10年以上にわたる調査の結果,イタチ,ジャガー,オウギワシのような捕食者のいる島では生態系は周囲と変わらなかったが,そのような捕食者のいない島ではハキリアリ,ホエザル,イグアナなどの食物網の中間段階の生物の密度が非常に高くなり,植性は大きなダメージを負った.これは緑の世界仮説のより広い意味での検証となった.

 
ここまでで植食性生物の個体数上限やニッチを決めているのは資源競争ではなく,植物の防御戦略や天敵であると理解されるようになった流れが説明されている.少し残念なのは,では天敵のいない頂点捕食者の場合にはどう理解されるようになったのかについてなんら言及がないことだ.基本的には餌生物の防衛や寄生者によるということになると思われるが,その辺りの説明があればわかりやすかっただろう.ここから個体数が資源競争による安定平衡で決まるという考えヘのもう1つのアンチテーゼである中規模撹乱仮説が紹介される.
 

  • 1978年コネルは「熱帯降雨林とサンゴ礁の多様性」という論文を発表し,多様性の維持には中規模の撹乱が継続的に生じることが重要だと指摘した(内容が詳しく解説されている).これは多様性を持つ生態系は,マッカーサーが想定したような安定平衡状態ではなく,非平衡状態であるという主張であり,それまでの(密度依存性と種間競争から分析する)正統的な群集生態学理論を真っ向から否定していた.それは通常状態では環境変化が速く,生物は種間競争が生じるような高密度にはならないと主張する.
  • 批判者は競争が目前にないように見えても過去にはあり,勝者が敗者を排除しているだけだと反論した.コネルはこの反論を「過去の競争の亡霊」と呼び,中規模撹乱の継続する環境での実際の群集内では異なる場所で適応進化した様々な種が集まっているのであり,競争の結果の排除は生じていないと主張した.ストロングは1984年にコネルを全面的に支持する論文を書いている.

 

第5章 天敵不在空間というニッチ

 
第5章では生物種のニッチの制限要因としての種間資源競争が否定された後の学説史が描かれる.ここではニッチの1つの例となるベイツ型擬態が(大崎の研究エリアであったこともあり)詳しく取り扱われている.

  • ではニッチはどのように決まると考えられるようになったのか.1984年にロートンとジェフリーズは「天敵不在空間と生態的群集の構造」という論文で生物のニッチは「天敵からの被害を少しでも軽減できる空間:天敵不在空間」として決まるのだと主張した.そこではそのように決まるニッチの例として,ベイツ型擬態が挙げられている.(ここでベイツ型擬態について詳しい解説がある)*7
  • チョウのベイツ型擬態において,なぜメスだけが擬態するのかは大きな謎だった.ベルトは1874年にそれを性淘汰から(メスはより厳しくオスを選り好むので,原型から離れたオスが不利になるためだと)説明した.
  • 110年後の1984年シルバーグリードはメスが原型から離れたオスを容易に受け入れることを実験的に示し,性淘汰説を否定した.*8
  • 私(大崎)は1995年からベイツ型擬態を調べ始めた.そしてモデル種と擬態種のビークマーク率から擬態のベネフィットを推定する手法を編み出し,メスの方が鳥からの捕食圧が高く,擬態による利益が大きいことを示した.擬態にも(おそらくカロチノイド色素を免疫のために使わないことによる)コストがあり,メスは擬態しても割りが合うが,オスは割りが合わないと考えるとこの現象をうまく説明できる.*9
  • 好蟻性昆虫も天敵不在空間ニッチの良い例だ(様々なアリとの共生の例が示されている).
  • 1996年にウィリアムソンとフィッターが「外来種10分の1法則」仮説を提唱した.それは持ち込まれた外来種のうちおおむね1/10が野外に逸出し,さらにそのおおむね1/10が定着し,さらにそのおおむね1/10が害獣,害虫,害草になるというものだ.この仮説は野外に侵入した外来種の9/10は定着できないことを意味している.これは天敵不在空間を見いだせないためだと解釈できる*10
  • 実際の天敵不在空間がどのようになっているのかはきちんと調べないとわからないような微妙なものであることも多い.(日本の3種のモンシロチョウのニッチがどうなっているか,それぞれが天敵にどう対処しているのか,また長距離渡りを行い,時に日本にも現れるオオモンシロチョウのニッチはどう理解できるのかについての著者自身のリサーチを含めた詳しい解説がある)

 

第6章 繁殖干渉という競争

 
第6章のテーマは繁殖干渉.種のニッチの決定要因の学説史としては,まず種間資源競争と考えられ,それが(特に植食者について)否定され,さらに後に別の形の競争が要因として浮かび上がったということになる.

  • 繁殖干渉はオスが他種のメスに配偶行為を行い,それがメスに対して不利益を及ぼす現象とされる.配偶,交尾,受精,交雑個体出生のすべての段階で不利益が生じうる.
  • 私(大崎)が最初にこれを知ったのは,桐谷の1960年ごろの研究によるアオクサカメムシとミナミアオカメムシの事例だった.桐谷は和歌山県における両種の分布を繁殖をめぐる種間関係(両種間に交尾が容易に生じ,どちらがメスでも卵が不妊になるので,多数派有利の境界が生じる)にあると考えた.当時は繁殖干渉という用語はなかった.
  • 繁殖干渉という用語を提唱したのは久野で,1990年ごろのことだ.彼はそれを数理モデルとして表し,ギフチョウとヒメギフチョウ,ウスバシロチョウとヒメウスバシロチョウの分布が重ならない理由は繁殖干渉ではないかと示唆した.私は当時それを交雑の結果不妊となる場合のみの現象として理解してしまった.
  • 1997年から私は札幌近辺のスジグロシロチョウとエゾスジグロシロチョウのニッチを決める要因に興味を持った.(複雑な状況について詳しい説明がある)より良い餌資源と思われるキレハイヌガラシの侵入(1960年ごろ)の後,エゾは産卵植物をコンロンソウからキレハに変更していた.スジグロはキレハ侵入当初はそうしていたが,10年も経つとコンロンに戻していた.私はこれは繁殖干渉によるものではないかと考えたが,実際に観察すると種間交尾はなく,(上記早とちりのために)行き詰まった.
  • 2009年ごろ西田と雑談しているうちに繁殖干渉はもっと広い状況で生じうるものであることを知った.(ここから西田グループがリサーチしたマメゾウムシ,テントウムシ,タンポポなどの様々な繁殖干渉の事例が紹介される)
  • シロチョウのオスは他種のメスにも交尾を試み,メスの交尾拒否で終わる.キレハにいるとエゾのオスからのしつこい交尾強要があるためにスジグロのメスの産卵数が減るとするなら,その繁殖干渉によりスジグロのメスはコンロンに産卵場所を変える方が有利になるだろう.そしてそれを実験で示し,2020年に論文を発表することができた.(それぞれ大変な苦労*11があったことが詳しく語られている)これは求愛段階で生じた競争排除を初めて検証したものになった.(ここで東京近辺でモンシロチョウが減り,スジグロが増えている理由についても繁殖干渉で説明できるのではないかという考察がなされている)

 

終章 たどり来し道

 
最終章では,本書の議論の要約と,日本で進化論が欧米圏のような抵抗なく受け入れられた思想的要因,今西の棲み分け理論の今日的感想*12が書かれ,最後に生物の多様性を語る時の繁殖干渉という視座の重要性が強調されている.
 
 
以上が本書の内容になる.ロジスティック曲線,ロトカ-ヴォルテラ競争方程式,ガウゼの排除則,マッカーサーの島の生物地理理論,保護区の設置をめぐる論争,緑の世界仮説,中規模撹乱仮説,ベイツ擬態,繁殖干渉などの(それぞれ別にどこかで聞いたような)様々な生態学的なトピックが,ニッチの決定要因という軸とともに語られており,読みごたえのある物語として仕上がっている.著者自身の研究やそれをめぐるエピソードが所々で詳しく取り上げられていて自叙伝の味わいもある.生態学に興味のある人にはとても楽しい上質な読み物だと思う.
 
 
  
関連書籍
 
大崎自身によるチョウのベイツ擬態の探求物語.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090531/1243733875

 
繁殖干渉についてはこの本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/12/31/103323
 
スジグロシロチョウをめぐる繁殖干渉についてはこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/04/18/182622https://shorebird.hatenablog.com/entry/2022/06/29/102442
  

*1:ローマ時代の博物学者としてよく取り上げられるのは大プリニウスと「博物誌」だが,ここではほぼ同時代のペダニウス・ディオスコリデスが取り上げられる,これはかなり渋いチョイスという印象だ.「薬物誌」では薬物になる植物,動物,鉱物の記述がなされているそうだ

*2:有用薬物のための本草学・医学から自然の秩序を探究する博物学を独立させた学者だと評価されている

*3:この分類体系は現在では放棄され,植物すべての形質を考慮したアダンソンの体系が現在の体系のもとになっているそうだ

*4:著者は「ウォーレス」と表記している.たしかに昔はウォレスよりウォーレスと表記する方が一般的だった.

*5:実際の構造がチェインではなくネットワークなので,現在では「食物網」と呼ぶのが一般的だそうだ

*6:そこでは安定平衡になる直前に種数が最も多くなる不安定な時期が観測された.彼らはそれを「疑平衡」と呼んでいる

*7:第2章で登場したカリフォルニア・スラッシャーの常緑低木の下という居場所も天敵不在空間として解釈できることもコメントされている

*8:ここで一部のメスだけが擬態する現象が負の頻度依存淘汰から,ミュラー型擬態が正の頻度依存淘汰から説明できることが解説されている

*9:かなり詳しく語られてる.なおここではミュラー型擬態が成り立つための鳥のまずい味の学習問題.捕食される個体の犠牲を緑ひげ効果で説明可能なことの解説もなされている

*10:セイヨウミツバチがニホンミツバチのような熱殺蜂球を作れずオオスズメバチに対処できないために日本では野外定着できないことが例として挙げられている

*11:「Ecology」誌の当時の編集長は競争否定派の大御所ストロング博士であり,その影響を色濃く受けた編集者との様々なやり取りが書かれている.結局ストロング博士の壁は崩せずに論文は「American Naturalist」にやはり様々な経緯の末に掲載される

*12:理論としては破綻しているが,ナチュラリストとしての鋭い観察力が感じられるとしている.そしてしばしば最も問題視されている「種が変わるべき時に一斉に変わる」という記述については,エゾが各地で一斉にキレハに産卵場所を切り替えたような事例の表現としてわからなくもないという風な記述になっている