書評 「Books do Furnish a Life」

 
 
本書はリチャード・ドーキンスによる(さまざまな本に対する)序文や書評を集めたもの.これまでドーキンスの短文・エッセイ集は2003年の「A Devil’s Chaplain(邦題:悪魔に仕える牧師)」と2017年の「Science in the Soul(邦題:魂に息づく科学)」の2冊が出版されているが,序文や書評はあまり収録されていない.そこで序文や書評(そしていくつかの未収録短文エッセイ)を集め,さらにテーマごとの対談録も加えて1冊の本として仕立てたようだ.本についての文章を集めた本書の題は「本は人生を豊かにする」ぐらいの意味だろうか,副題は「Reading and Writing Science」となっている*1
 
内容的には対象となった本のテーマごとに6章構成となっている.第1章と第2章にはそれぞれサイエンスライティング,自然の美しさ(それが科学によって損なわれることはないこと)というテーマに沿うものが集められ,第3章と最終第6章で進化にかかる本が対象となり,その真ん中の第4章と第5章が新無神論にかかるものとなっている.それぞれの章の冒頭には関連する対談録が収められており,対談相手はニール・ドグラース・タイソン(天文物理学者),アダム・ハート=デイヴィス(テレビの自然番組のプレゼンター),スティーヴン・ピンカー*2,クリストファー・ヒッチンズ,ローレンス・クラウス(物理学者),そしてマット・リドレー*3となっている.

冒頭にはドーキンス自身による「The Literature of Science」と題された序文がおかれ,ここでは科学を文学として捉えたいとしている.そして良いサイエンスライティングの例としてピーター・メダワーとカール・セーガンを取り上げ,その文章を引用しつつ素晴らしさを語っている.さらに(ポストモダニズム文体のくだらなさへの皮肉を挟んだあと)ピーター・アトキンス,ローレンス・クラウス,ダーシー・トンプソンやその他のサイエンスライティングの書き手についてもその文章を引用しながらさまざまな思いを綴っている.そしてこのような文体の美しさはフィクションについても成り立つのだとしてドリトル先生もの,アーサー・クラーク,アルダス・ハクスレーまで話を広げ,本書のタイトルは自分の本への愛を映し出すものだと書いて締めくくっている.ドーキンスの明晰で美しい文章を愛する気持ちがあふれ出るイントロになっている.
 
そしてそこからは対談とさまざまな書評や序文が並んでいる.これまでに読んだことのあるものもないものもあるが,いずれもドーキンスファンにはうれしいものだ.どうしても内容には重複があるが,それもまた楽しい.また中には駄本をこてんぱんに批判するような書評もあって,若き日の舌鋒の鋭さを味わうことができる.
個人的に面白いと思ったのはナポレオン・シャノンの追悼本への序文,リン・マーギュリスとドリオン・セーガンの「Mystery Dance(邦題:不思議なダンス)」を自己撞着的で軽薄な内容だとこき下ろす書評*4,2003年の種の起源とビーグル号航海記が収められたeveryman editionへの序文*5,自然神学をテーマに開かれているギフォード・レクチャーでなされた「世界のモデルと目的」に関するドーキンスのレクチャー内容*6,「Handbook of Evolutionary Psychology」への後記*7などだ.
また再録がまことに喜ばしいかつて読んだ印象深い文章としては,延長された表現型の視点からパラサイトのホスト操作を解説している「Host Manipulation by Parasites」の序文,EOウィルソンの凋落を嘆く「The Social Conquest of Earth」の書評,教義を信じられなくなった宗教者の悲劇を扱った「Caught in the Pulpit」への序文がある.

第4章と第5章では新無神論関連の文章が大量に収録されていて,やや独立した部分になっている.ある意味ここ15年ほどのドーキンスのフォーカスがよくわかるものだ.これらの文章(新無神論関係の本の序文が多い)におけるドーキンスの舌鋒はまことに鋭く,ロジックの冴えをたっぷり堪能することができる.
 
そしてエピローグとして「私の葬式で読まれるべきもの」というタイトルで「Unweaving the Rainbow(邦題:虹の解体)」の第1章の冒頭部分を抄録にしたものが収められている.よほど思い入れのある文章なのだろう.ここで紹介しておこう

  • 私たちはいつか死ぬ.それは私たちがとても幸運だったということだ.ほとんどの人はそもそも生まれることなく,だから死ぬこともない.私の代わりにここにいてもおかしくなかった潜在的な人々の数はサハラの砂粒の数より多いだろう.それらの生まれなかった人々の中にはキーツより偉大な詩人,ニュートンより偉大な科学者もいたはずだ.なぜそういえるかというのは,DNAのセットとして存在可能な数は実際の人々にあらわれたセット数を圧倒的に上回るからだ.あなたや私が現にここにいるというのはこの唖然とするほどのオッズをくつがえした結果なのだ.
  • 私たちは私たちのような生物が生存可能な惑星に棲んでいる:暑すぎも寒すぎもせず,適度な日光が当たり,水がある.ゆっくりと自転し,緑にあふれ,素晴らしい収穫が期待できる.ランダムに選んだ惑星がこのような状態であるオッズはどれぐらいだろうか.
  • 植民予定の多くの乗員が乗り込み長期的な冷凍睡眠を続けている宇宙船を想像しよう.その船は恐竜を絶滅させたような彗星が地球に衝突するのが避けられずに,種の存続という絶望的ミッションを遂行しているのかもしれない.乗員は冷凍睡眠に入る前に,たどり着いた惑星が居住可能であるオッズを計算するだろう.そのオッズの推測が最高でも100万分の1で,1回の星間航行に100年かかるとするなら,冷凍睡眠乗員を乗せた宇宙船がそのような惑星にたどり着く可能性はほとんどないだろう.
  • しかしここでこの船のロボットパイロットがあり得ないほどの運の持ち主だったとしよう.わずか数百万年でその船は人類が居住可能な惑星に幸運にもたどり着く.適温で適度な恒星の光が届き,水と酸素がある.乗員であるリップ・ヴァン・ウィンクルたちは光の中で目覚める.百万年の睡眠ののち,ここには肥沃な大地,暖かな草原,光り輝く渓流があり,生い茂る緑の中を素早く動く生き物たちが見える.乗員たちは,呆然とした目覚めの感覚のなか,あり得ないほどの幸運を信じきれない思いととともにその世界に足を踏み入れていくのだ.
  • 私は生まれてくることができて幸運だ.あなたもだ.それは特権なのだ.しかし単にこの惑星を楽しむだけの特権ではない.死とともに目が閉じられるまでの短い期間に,私たちは理解する機会を与えられているのだ.なぜ私たちは生きているのか,なぜ人々は知覚し,行動するのかを理解する機会を.

 
本書は科学と真実を愛するものにとってまことに楽しい企画ものだ.素晴らしく明晰なサイエンスライティング,ばかげた書物や宗教擁護の支離滅裂な議論に対するロジカルで容赦のない批判,しばしば見られる英国的なウィットにとんだ表現.ドーキンスファンにとってはとてもうれしい贈り物というべき書物だと思う.
 
関連書籍
 
これまでのドーキンスのエッセイ集
 
2003年のもの

 
同邦訳

2017年のもの 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170908/1504863547

 
同邦訳 
かつて読んだ興味深い序文や書評の収録本や対象本
 
パラサイトのホスト操作を扱った本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20140914/1410689835
 
ウィルソンの凋落.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130823/1377258574 ドーキンスの書評についての私の記事は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20120531/1338467729

 

教義を信じられなくなった宗教者の悲劇 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20131231/1388443185

*1:なぜかAmazonでは異なる副題「An electrifying celebration of science writing」が表示されるが,書影も本文内もこちらの副題となっている.

*2:進化心理学が話題となり,音楽,ジェノサイド,道徳などが議論されていて興味深い内容になっている

*3:ダーウィンの思索がテーマになっており,アダム・スミスの影響,ウォレスとの関係などが話し合われている

*4:最後に,なぜマーギュリスのような優秀な科学者がこんな戯言をもてあそぶのかは全く理解できない.共著者との争いに敗れたと好意的に解釈して,この本のことは無視してあげようと書かれている

*5:種の起源以降の自然淘汰説の受容に関するコンパクトな解説になっている.特に当時に唱えられた批判とそれが覆されていった経緯が詳しい

*6:生物のゲノムそれ自体が過去の進化環境世界のモデルとみることができること,生物の行動は現在の環境に対するダイナミックモデリングと捉えることができることを説き,そこから動物の知覚システムの進化をメカニズムレベルまで下って深く解説している.そこでは脳とコンピュータの比較やイマジネーションとは世界のシミュレーションであるという議論もなされている

*7:進化心理学は,しばしばEOウィルソンの「社会生物学」の1亜流でややこしい批判者を避けるためにそういう名前を付けたのかと思われがちだが,そうではないこと,そしてそれは自然淘汰とヒトの行動をリンクさせるために心理と認知プロセスを重視するものであり,さらにそのフレームは行動だけでなく認知バイアスや言語まで広がっていることを強調し,批判者がいかに奇妙なロジックとダブルスタンダードを用いているかを明らかにして糾弾し,最後に「過去環境についての遺伝子的記録」と「継続的にアプデートされる仮想現実シミュレータ」という視点から進化心理学を解説するものになっている