本書は性淘汰のパラサイト仮説(ハミルトン=ズック仮説)で有名な行動生態学者マーリーン・ズックによる一般向けの科学書だ.ズックはこれまで一般向けの科学書を4冊書いている.このうち「Riddled with Life(邦題:考える寄生体)」と「Sex on Six Legs」はパラサイトとホストに関する行動生態,昆虫の行動生態についての優れた啓蒙書であり,「Sexual Selections(邦題:性淘汰)」と「Paleofantasy(邦題:私たちは今でも進化しているのか?)」は巷にはびこる進化生物学に関連した誤解や馬鹿げた主張を徹底的にたたく本になっている(もちろん前2冊にも世間の誤解の指摘があり,後2冊にも深い進化的議論がある).本書は後者のカテゴリーに属する本であり,「行動の進化」についての世間の誤解と馬鹿げた主張を徹底的にたたく本になっている.本書で採り上げられる代表的な誤解には「行動は遺伝だけで決まる」「行動は環境だけで決まる」「ヒト(あるいはチンパンジーやイルカなどを含む一部の動物)は(認知的あるいは行動的に)特別だ」「ヒトから原始的動物までの一直線の自然の階梯がある」などが含まれている.ある意味わかりやすい「進化の誤解」ともいうべきものだが,ズックの裁き方が読みどころとなる.副題は「How Behavior Evolves and Why It Matters」.
冒頭のイントロダクションではズックの不満が短く語られている.
- 人々はズックが昆虫の研究していると聞くとどうやってゴキブリを退治するかを話題にし,動物の行動を研究していると聞くと,自分のペットがいかに頭が良いかを自慢する.
- マスメディアは「私たちの政治はDNAに書き込まれていた」とか「信頼は遺伝する」などの扇情的なヘッドラインにあふれているし,片方で「環境が全てだ」という強硬な主張も目立つ.これは古き「氏か育ちか」論争だが,政策や司法に絡むため今も激烈で,遺伝だけ派も環境だけ派も馬鹿げた根拠をもとに論陣を張る.「遺伝も環境も影響するのだ」という穏当な説明は,「じゃあそれぞれどれだけ影響するのか」という論争につながり,誰も幸せにしないように見える.
- 最近多いのは「有害な男らしさ」言説だ.これも「男は結局乱暴なのだ」と捉えられ,「それは変えられない,そうでないように見える男はそういうふりをしているだけだ(→男は信用できない)」という誤解につながる.
そして本書では「遺伝と環境がいかに深く絡み合って相互作用しているか」「行動はどのように進化するのか」を示したいとしている.
第1章 イッカクと死人:なぜ行動の定義は難しいのか
第1章ではそもそも「行動」とは何か(あるいはどう定義すべきか)という問題が扱われている.
- 行動とは何か.この定義は実は難しい.「動物の行うこと」というのはわかりやすいが,問題がある.
- まずハエトリソウのような植物の動きはどうするかという問題がある.これは植物の認知や意識という問題に飛び火する厄介なものだ.議論は激しいが,私の立場は「擬人化すれば理解が深まるわけではない」というものだ.また迷路を解く粘菌の動きをどうするかも悩ましい.行動主義心理学の世界では「死人が行えるものは行動ではない」という「死人テスト」が使われる.いずれにせよ「行動」を定義しようとすると意識,認知,生命の定義に巻き込まれるのだ.
- もう1つの問題は行動と身体的特徴の区別だ.この切り分けは難しい(クマノミなどの成長を伴う性転換の例が挙げられている*1).そしてそれは行動と物理的特徴は,全く同じように進化産物でありうること,同じく遺伝子と環境の絡み合った影響を受けることを示唆する.そしてこれは行動を進化から切り離そうとする試みが無駄なことを意味する*2.
- イッカクは潜水中に酸素を節約するために心拍数を分あたり3〜6まで下げる.そして潜水中に(船舶などに驚いて)闘争・逃避反応に陥った場合,筋肉は激しく動き,心拍数は低いままというまずい状態に陥るリスクを持つ.これは脳と行動と身体が絡みあっていることをよく示している.
- ヒトの行動については「文化」を特別なものとして考えようとする人が多い.しかし文化も環境の一種であり,それをもってヒトの行動を進化から切り離せるわけではない.そもそも文化も進化するし,動物にも文化がある.人々が文化を特別視したがるのは「ヒトは特別だ」と信じたいからだと思われる*3.(ここでズックはヒトを特別視したがる人々があげる文化以外の根拠*4も並べて,片端からダメ出しを行っている).
いかにもズックらしい「行動」の定義は難しいという話だが,そもそも何のために定義しようとしているのかが説明されていなく,なぜ定義にこだわっているのかがわかりにくい.おそらく「行動」を特別視して「ヒトは特別」論を唱えようとするのは筋悪だということがいいたいのだろう.行動と身体的特徴についてはそもそも区別する必要などなく,両方ともに(延長された)表現型だと割り切った言い方にした方がすっきりしたのではないだろうか.
第2章 ヘビ,クモ,ハチ,そして王女たち:行動はどのように進化するのか
第2章では行動(特に複雑な行動)がどのように進化するのかがテーマになる.
- イランの砂漠地帯に棲むIranian spider-tailed viperと呼ばれるヘビはしっぽの先にクモの脚や胴体に見える付属突起があり,それをクモのように動かして擬似餌にして,よってきた鳥を捕らえる.このような複雑な行動はどのようにして進化したのか.
- 行動にはエージェントや意思が必要に思われるために直感的に捉えにくいが,それは結局身体的特徴と同じく,少しずつ有利になる中間段階を経由して,変異を累積させることにより進化するのだ.そして(やはり身体的特徴と同じく)行動にも相同と収斂があり,系統樹の上に並べて比較することができる(マイコドリの配偶ディスプレイの例が挙げられている)
- 進化についてしばしば現れる誤解は,「進化は進歩だ」というものや,「下等なものから高等なものへの一直線の「自然の階梯」がある」というものだが,これは行動の進化については特によく現れる.関連する有名な誤理論にはマクローリンの三位一体脳説がある.これは近年の脳科学によって誤りであることがわかっている.
- もう1つのよくある誤解は「1つ1つの行動を生じさせる遺伝子がある」というものだ.遺伝子と行動は複雑で曲がりくねった経路でつながっている.
- 別の混乱の元は「学習」との関連だ.確かに多くの行動は(少なくとも部分的には)学習により可能になる.しかしそれは環境の一種と捉えられる(ここでボールドウィン効果やニッチ構築について簡単な解説がある).学習の結果はある種の環境となって進化に影響を与えるのだ.
- また「感情」も混乱の元になる.人々は(自分のペットを除いて)動物に感情があるという考え方をなかなか受け入れないが,おそらく多くの動物にも(行動の駆動するものとしての)感情があるだろう.しかし動物を感情のあるなしで分けようとするのは,人間(および一部の動物)特別主義や自然の階梯の誤謬につながるだろう.感情にも様々なものがあり,それぞれの動物がそれぞれの環境のもとで行動を進化させると考えるべきだ.
ここでは行動の進化も身体的特徴と同じように環境にあわせて累積的に進むのだが,その理解を阻害するような思い込みがいかにたくさんあるか,そして実際にいかに誤解が広がっているかが嘆かれるという構成になっている.様々の誤解の裏には「自然の階梯」誤解があり,これが行動の進化の場合にはかなりナイーブに主張されやすいという指摘になっている.
第3章 潔癖症のハチとコートシップ遺伝子:行動の遺伝
第3章はいわゆる「氏か育ちか」論争がテーマだ.
- 行動は(ほかの特徴と同じく)遺伝の影響も環境の影響も受ける.環境の影響と違って遺伝の影響は理解しにくい部分がある.
- (メンデルのマメ実験のような)行動に大きな影響を与える単一の遺伝子というのは稀だ.その稀の例の1つはコロニーを腐蛆病から防衛するミツバチの衛生行動に関する遺伝子だ.この腐った蛹を見つけて巣外に捨て去る行動は2つの遺伝子により決まっていることが実験により示された.初期の行動に関する遺伝子の有名な研究例にはショウジョウバエのyellow遺伝子が配偶行動に影響を与えることを示したものがある.
- 遺伝子が行動に大きな影響を与える場合,その遺伝子があるかないかではなく発現するかしないかで影響が決まることが多い.あるアリ個体が女王になるかどうかは(そして女王のように行動するかどうかは)そばに蛹があるかどうかという環境条件をキーにした遺伝子の発現によって決まっている.遺伝子は環境条件に依存する発現制御を持つことが多い.これはそのような柔軟性がある方が有利だからだ.
- 一方で大半の行動は(小さな効果を持つ)多くの遺伝子と環境の複雑な相互作用の影響下にある.このような遺伝を解析するアプローチは量的遺伝学と呼ばれる.そこでは「遺伝率」が重要概念となる.遺伝率は表現型分散のうちどの程度が遺伝要因で説明できるかを示すものだが,極めて誤解されやすい概念だ.これは個体の値ではなくある集団の値であり,その集団が晒されている環境と切り離して議論することはできない(つまり環境によって遺伝率は変化する).(具体例を上げたわかりやすい説明がなされている)
- もちろん行動についても遺伝率を測定することができる.ヒトにおいては双子を用いた行動遺伝学的手法がよく知られている.動物においても同様な手法(クロス養育研究と呼ばれる)が可能だし,交雑実験により調べることもできる.(ズック自身が行ったニワトリの交雑実験の詳細が説明されている) これまで調べられた行動の遺伝率の平均は40%程度であり,この意味ではヒトは典型的な行動の遺伝率を持つ動物ということになる.
- 重要なことが2つある.(1)(繰り返しになるが)遺伝率は集団の形質で,その環境と切り離せない.これは何度も指摘されているが世間の誤解は一向に収まらない.(2)環境が行動に与える影響に関してヒトに特別なところはない.
- 遺伝率は行動の進化を考える上で重要だ.進化速度は淘汰圧の大きさと遺伝率で決まる.
- 近年,ゲノム関連技術が進展し,GWASなどの手法が可能になった.しかしだからといってある行動がどれだけ遺伝的かがわかるわけではない.どのような結果もその環境とは切り離せない.
- IQや認知能力にかかるリサーチはしばしば誤解される.人々は行動が直接遺伝子によって決められると信じやすい.それは環境要因の無視や間違った運命論につながる.ある意味ヒトは遺伝的本質主義を生得的に持っていて,ヒトの行動の本質に遺伝子を当てはめてしまうのだろう.そしておそらくこの生得的な本質主義は動物の行動に本能(という本質)を当てはめるのだろう.しかし行動は遺伝と環境の複雑な相互作用の上にあるのであり,そこには遺伝的本質も本能もないのだ.
「氏か育ちか」論争について単に両方とも影響があるのだとするのではなく,量的遺伝学の知見を踏まえて議論するのがズックの議論の特徴になっている.ここでは行動についてこの問題を考えるときには量的遺伝学の遺伝率という概念が重要なこと,しかしこの概念の理解が難しいことから様々な誤解が生まれることを指摘し,さらにその背景にはヒトに「遺伝的本質主義」があるのではないかと示唆されている.最後の指摘は(本書のような主張をする中であえて「生得的」と表現するところを含め)興味深い.
第4章 オオカミに育てられるってそんなにまずいこと?:最初の家畜化
ここからの2章では家畜化が取り扱われる.1つには家畜化によって行動が野生種から変容しているので行動の進化についての良い例となるということだし,ペットの話題に読者が引きつけられそうだということもあるだろう.まず第4章ではイヌが取り上げられる.
- 人々はペットのイヌをとても愛している.飼い主にとってイヌの知能がたいしたことないというリサーチは神への冒涜に等しいようだ.しかしイヌはなぜ特別なのだろう.
- 私は家畜化という現象は行動の進化を理解するのにとても役に立つと考えている.ダーウィンの進化理論の形成には家畜化が大きな役割を果たしている.ヒトの文明は家畜化なしには生じなかったと考えている人もいる.そして家畜化は身体的特徴ではなく行動の変化で決まる.そしてこの行動変容は非常に複雑なものであったことがわかってきたのだ.
- イヌの起源がオオカミであることは間違いない.DNA解析を含む多くのリサーチがなされているが,結論は様々(例えばイヌの起源地について中東説,南中国説,ヨーロッパ説がある)で,激しい論争となっている.また家畜化に伴って消化酵素など様々な遺伝子に変化があることがわかっている.
- イヌの家畜化の経緯についても激しい論争がある.ヒトのキャンプに餌あさりに来て敵対者から徐々に家畜化された説,同じ状況でオオカミが自己家畜化した説,狩猟などにおける相利協力関係から家畜化が生じた説などがある.
- イヌとオオカミがどこまで異なる動物かについても見解の相違がある.遺跡から発掘される骨の解釈はトリッキーだし,行動の変化についてはヒトの行動の変化とあわせて様々な憶測がある.人々は片方でイヌはオオカミの心を持つと信じたがり,片方でイヌとオオカミの行動の違いのリサーチ(食性,協力的傾向,指さしの認知,順位性,嗅覚などのリサーチについて詳しい解説がある)に熱狂する.ここでもしばしば行動が遺伝子と環境の相互作用で形成されるということが見過ごされる.
- 家畜化症候群についてはベリャーエフのキツネ実験が有名だ.しかしこの鮮やかな結果についても一定の留保が必要らしい.というのはベリャーエフが実験に使ったキツネは完全な野生個体群ではなく,プリンスエドワード島で毛皮のために飼育していた個体群由来ということがあるからだ.家畜化には実験が示唆するより時間がかかる可能性があるのだ.またその他の動物でのリサーチでは家畜化症候群がキツネほど明瞭ではないという結果も出ている.要するに家畜化症候群はかなり複雑な現象なのだ.これも行動が遺伝子と環境の相互作用で形成されるということから考えればわかることだ.
- イヌの認知能力についてもイヌを愛するヒトはそれを過大評価しがちだ.様々な動物(チンパンジー,アライグマ,ネコ,ハトなど)についてのリサーチと比較すると,イヌが特別に優れているわけではないことがわかる.そして比較において重要なのは,認知能力という一次元で動物を高等から下等まで並べようとする態度をとるべきではないということだ.それぞれの動物はそれぞれの環境に応じた能力を進化させているのであって,一次元に並んでいると考えるべきではない.イヌは,一般的に高い認知能力ではなく,ヒトと一緒に過ごすための能力を進化させているのだ.
ここではイヌについての最近のリサーチが数多く紹介されていて楽しい.そしてその結果はいろいろ複雑なことが強調されている.
第5章 野生の振るまい:その他の家畜
第5章はイヌ以外の家畜について
- ネコ愛好家はしばしばネコのことを絶対的肉食者で本能的ハンターであり,イヌとは真逆だと考えている.私たちはネコから何を学べるだろうか.
- 家畜化は1か0かのイベントではない.そしてしばしば家畜かどうか微妙な事例がある(ズックは鯉の例を挙げている).それは何百年もかけて遺伝子が変化したり元に戻ったりするプロセスで進むものであり,家畜化の物語は多様であり,複雑なのだ.
- そもそもネコはなぜイヌより独立(independent)なのか.ネコの起源は地中海沿岸から中東にかけて分布していたリビアヤマネコだ.オオカミと異なりヤマネコは社会性が低く,単独で狩りをする.キプロスの埋葬されたネコから見て少なくとも9500年前にはヒトと暮らしていただろう.農業による穀物の保管場所に現れる齧歯類を狙ってヒトの居住地に近づき,ヒトに慣れたのだろうと考えられている.そして農民たちにはネコの行動を変えようとする動機はなかった.また放し飼いになっていれば野生のヤマネコとの交雑も頻繁にあっただろう.ネコが育種されるようになったのは中世以降と新しく,(イヌとオオカミについては別種だというコンセンサスがあるのに対して)イエネコを独立の種とするかリビアヤマネコの亜種とするかは分類学者たちの間で争われている.
- 最新のネコの遺伝学のリサーチによるとリビアヤマネコとの違いは非常に小さい.そして違いがある遺伝子には,神経系(記憶,警戒心,探索),消化(肉への依存度),嗅覚と聴覚に関するものが多いとされている.そして観察される行動も似通っている.
- ニワトリの起源は中国南西部のセキショクヤケイだ.ニワトリの家畜化の道は曲がりくねっている.彼等は最初に闘鶏用に家畜化されたと思われる.そしてその後に卵や鶏肉のために育種が進んだ.
- ハワイのカウアイ島ではニワトリが野生化している.それを調べると,家畜が野生化したからといって祖先形態に戻るとは限らないこと,多くの(家畜化で生じた)遺伝的変異が残りつつうまく野生化の生活に適応できるることがわかる.
- モルモットの起源は南アメリカの齧歯類であるカビアだ.家畜化され,ぶち模様で顔が小さくなるなどの家畜化症候群を示している.もともとは食料として家畜化され,ヨーロッパに持ち込まれてからはペットとして飼われ,実験動物となった.
- モルモットとカビアの行動は似ているが,前者はより警戒心がなく,より遊び好きだ.これは若い時期の特徴が大人になっても残っていると見ることができる.
- セイヨウミツバチが家畜かどうかは時に白熱した議論になる.ハチの研究の大家であるトム・シーリーはミツバチは家畜だと断言する.ミツバチはヤギやヒツジとともに農業革命の時期に家畜化された.シーリーによる家畜説の根拠は樹木のうろに似せた巣箱に営巣すること,ヒトへの攻撃傾向が抑えられていることだ.養蜂家は積極的に野生個体との交雑を行わせており,遺伝的多様性は家畜としては高いものになっている.
- 家畜化症候群(そしてその1つである脳容積の縮小)に関してよく議論になるのは,家畜化が認知能力を低下させるかどうかという問題だ.下がるという考え方には,認知能力への淘汰圧減少環境への適応として認知能力が下がるという説,繁殖能力と認知能力にトレードオフがあり,育種により認知能力から繁殖能力にリソースがシフトすると考える説などがある.
- 脳容積で認知能力を測定できるかということについては異論が多い.家畜が野生種より脳が小さい傾向は確かにあるが,状況は複雑だ.ニワトリではセキショクヤケイに比べて小脳が縮小している.しかしそれはケージで飼われるという環境の影響が大きいようだ.また育種に絡んで卵生産能力と学習能力にはトレードオフがあるかを実際に調べてみるとそのようなトレードオフはなかった.あるいはニワトリの育種は身体を大きくさせ,相対的な能容積が下がっているだけなのかもしれない.家畜化自体が動物を愚鈍にするというわけではないのだ.
第5章でも様々な動物の家畜化過程は多様で複雑であることが強調されている.そして最後に脳の大きさと認知能力の関係の複雑さが採り上げられている.この第4章と第5章では,人々にある「自然の階梯」誤解に都合の良い単純な言説には注意すべきことが繰り返し強調されている.物事の複雑さを解明することを大切にし,思い込みに寄り添う単純化されたストーリーを嫌ういかにもズックらしい書き振りだ.
第6章 不安症の無脊椎動物:動物の精神疾患
第6章は動物の精神疾患について.このテーマは「ヒトを特別だ」という考えが特に現れやすい場面ということらしい.
- 最近のリサーチでザリガニの不安と関連する化学物質が見つかった.そしてそれは(ヒトと同じように)セロトニンだった.精神疾患はしばしばこのような化学物質で説明される.しかし私たちは脳と精神状態についてどこまで理解できているのだろうか.
- 動物の精神疾患については3つの見方がある.それは(1)動物はヒトのような精神疾患にはならない(2)大半の動物の精神疾患はヒトの誤った取り扱いにより生じる(3)動物もヒトと同じように精神疾患になる,というものだ.私は(3)のアプローチをとる.
- ヒトの精神疾患には遺伝傾向があるが,ほとんどの精神疾患の遺伝には数多くの小さな効果を持つ遺伝子が影響を与えている.なぜこのような疾患に関連する遺伝子は淘汰されてしまわないのだろうか.鬱については何らかの適応的なメリットがあるという考えが追求されてきた.ネシーはより包括的に多くの精神疾患はトレードオフの結果だと議論している.このような考えが正しいなら,動物にも精神疾患があることになる.
- 多くの動物,特にイヌに強迫性障害(過剰に舐める,自分の尾を追うなどが典型的な行動パターン)があることはよく知られている.そしてヒトの強迫性障害の薬が投与されると同じような効果があり,関連する遺伝子も見つかっている.同様な症状はシロアシネズミでも報告されている.これらは哺乳類の共通祖先に由来する相同な状況なのかもしれない.
- 話をザリガニに戻すと.フランスの科学者たちはザリガニの不安症的行動を報告した.彼等は脱皮の際に脆弱になり,危険を避ける必要がある.実験によるとザリガニたちはストレス下で迷図を探索するのをやめるが,セロトニン投与で回復した.セロトニンはショウジョウバエの採餌行動,サシガメの排尿,ハトの睡眠,トカゲの社会行動,ハチの学習を増強させる.しかしヒトと無脊椎動物の不安症が相同的な心の状態というわけではないだろう.これはおそらく進化が手元にある化学物質を様々に使い回していることによるのだろう.
- 私たちは動物園の動物の身体的疾患の治療のニュースを温かく受け止めるが.例えば動物にプロザックを処方したというニュースを否定的に受け取る.これは「動物は自然状態では精神疾患にはならず,おかしくなるのはヒトの取り扱いのせいだ」という思い込みと関連するのだろう.そしてそれは「ヒトは特別だ」「身体と行動は異なる」とする考え方に由来する.
- 動物は幻想に捕らわれるか(統合失調症になるか)という問題もしばしば論争となる.ネシーはこの問題についても進化的に考察しており,彼の考えが正しければ動物も幻想を見ることがありうるということになるだろう.動物の精神状態についていえば,動物はある部分ではヒトに似ており,別の部分ではそれぞれ独自なのだと考えるべきだろう.
ここでは「動物は精神疾患になどならない」という「ヒトは特別の動物だ」説から来る思い込みが特に批判されている.このような思い込みは(少なくとも私の周りでは)あまり見かけることはないが,ズックはいろいろ悩まされているのだろう.かなり丁寧に論じられている.
第7章 踊るオウムと盗むカモメ:鳥の脳と認知の進化
第7章と第8章では動物の認知能力が取り上げられている.第7章は鳥の知能(とその小さな脳)について.
- 動物の認知能力に関して(チンパンジーやイルカに代わる)最近のスターは鳥類だ.ヨウムのアレックスは150語を解し,キバタンのスノーボールは音楽に合わせて14パターンの踊りを披露する(一部の心理学者は音楽に反応するのは極めて洗練された行動だと考えているようだ).キバタンはゴミ箱のフタを複雑な行動で開けてしまうことでも知られている.
- ニューカレドニアガラスは野生下で採餌のための道具を作る.ワタリガラスやシロビタイムジオウムは実験環境で問題解決に役立つ道具を作る.様々な実験の結果を見ると彼等が自分たちの行動の結果を理解しているのは確実だ.
- このような道具製作が注目を集めるのは,かつてそれがヒトと動物を分けるものだと考えられて来たからだ.今日では多くの動物が道具を作ることが知られてきたが,なお注目される.私にはそれは極く一部の動物を「ヒトに近いものクラブ」のメンバーにしようとする不健全な試みに見える(このメンバーにはチンパンジー,ボノボ,ゴリラ,イルカ,そして最近加入のカラスとオウムが含まれる).このような試みが認知能力の解明に役立つとは思えない.カラスやオウムの行動は,異なる系統の動物が同じ問題に対して似たような解決方法を進化させたことを示しているに過ぎない.
- 鳥類の認知能力を考察するにあたってしばしば鳥類の脳化指数が哺乳類のそれより低いことが問題になる.しかしまずこれは本来比べられないものを比べている(リンゴとオレンジ問題)可能性が高いし,そもそも脳化指数のような1次元の指数で動物の序列をつけようとする姿勢自体に問題がある.(鳥類の脳と哺乳類の脳の違いについての議論が解説されている)
- 認知能力の進化については社会脳仮説が有名だ.これは霊長類についてはよく当てはまっているが,鳥類については当てはまらない.
- 鳥類の認知能力についてより興味深いアプローチに「行動の柔軟性」「新奇行動」を調べるものがある.これらの行動は前脳の大きさと相関しており,新奇行動の多い種は絶滅しにくい傾向があることが示されている.そしてより変化の多い環境でより鳥類の脳が大きい傾向,大きな脳を持つ鳥の方が長命であることが見いだされた.これは脳のコストとのトレードオフでうまく説明できる.また大きな脳は親による子育て期間の長期化とも相関する.この養育期間の長期化は大きな脳,長命,変化の大きな環境を結びつけるキーなのだろう.
- 認知能力については自己意識にかかる「ミラーテスト」もよく引き合いに出される.テスト合格者はチンパンジー,ゴリラ,アジアゾウ,カササギで,一部の科学者はこれは脳化指数から説明できるとするが,例外が多すぎてとてもそうだとはいえないし,最近ホンソメワケベラの合格も報告されている.意識は1か0かのものではなくミラーテストで判定するのには無理があるだろう.
- 脳の(相対的)大きさで動物を順序づけようとする試みは跡を絶たない.しかしそれは不毛な試みだ.最近都会のネズミと田舎のネズミでは都会のネズミの方が脳が大きいということが報告された.それは都会の方が変化の多い環境で,より柔軟に行動する必要があるからなのだ.
ここでは鳥の優れた知能と,その脳の(相対的な)小ささから来る混乱が描かれている.そして人々が困惑するのは「自然の階梯」誤解と脳のいちばん大きなヒトは特別だという「ヒトは特別」説からくるのだと鋭く批判されている.脳の大きさは認知能力と関係があるが,それは大きく離れた系統間で直接的に比較することが難しいし,認知能力がそれほど高くなくても複雑な行動は進化できるということだろう.
第8章 硬い動物の弱点:無脊椎動物の知能
第8章では第7章の議論をさらに進め,無脊椎動物の認知能力を取り上げる.
- ヴェトナムのアジアミツバチ*5は熱殺蜂球形成で対処できないスズメバチの攻撃に対して水牛の糞を巣の回りに設置することで防御する*6.ヒアリの一種は最近実験室で(蜜源に直接アクセスできなくした環境下で)砂を使ったサイフォンを作った.これらの道具製作に似た例は昆虫にも意識や高い認知能力があるのかという議論を生じさせている.これは「動物が自分が何をしているのか理解しているかのような行動はどのように進化するのか」という問題と考えることができる.淘汰は目的意識を持たない動物にも複雑な行動を進化させることができるのだ.
- 一見全て同じに見えるミツバチのワーカーたちにも個性がある.社会的に活発でない個体で発現する遺伝子群はヒトの自閉症で発現する遺伝子群に似ていた.これは多くの動物の行動を統べる仕組みがシームレスにつながっていることを示している.
- ミツバチのワーカーは人の顔を識別でき,多様な種類の花を認識でき,シンボルと数を結びつけることもできる.ヨーロッパミドリガニは迷路を解き,それを覚えることができる.
- オスのショウジョウバエがメスとの配偶行動を起こすにはfruitless遺伝子が必要だが,周りに正常な行動をするオスがいればこの遺伝子を持っていないオスも配偶行動が取れるようになる.完全に遺伝的に固定的な本能のように見える行動にも環境や経験が影響を与えうることの良い例だ.
- タコは実験室で様々な行動を学習する.そして遊ぶことも観察されている.タコが言語を持たず,複雑な社会関係もなく,短命であることを考えるとこの高い認知能力は驚きだ.しかしこの驚きは私たちが認知能力を考えるときにはまず霊長類を頭に浮かべてしまうからなのだろう.
- それは極く小さな動物(クモや昆虫)の認知能力を考えるときも同じだ.極小のクモでも複雑な網を張ることができる.ハチは社会性である方が脳が大きいわけでもない.
- 昆虫が環境に対する適応として複雑な行動を進化させられることを受け入れたなら,むしろ問うべきなのは「なぜ複雑な行動や社会性を持つ哺乳類は大きな脳を持とうとするのか」なのだろう.
- 19世紀にハワイに持ち込まれたコオロギは,コオロギの鳴き声を探知して寄生する現地のハエに対して,音を立てられない翅を持つタイプを素早く進化させた.この flat wing と呼ばれるタイプはサテライト型の配偶行動を取る.これはおそらく「ほかのコオロギの鳴き声があまり聞こえなければ聞こえる鳴き声に近づけ」という行動アルゴリズムから派生して進化したのだろう.
- これらの例は動物をヒトにどこまで似た行動がとれるかを基準にしてカテゴライズすることの無益さを示している.行動は身体的特徴と同じように進化する,すなわちそれぞれの環境に適応して(極めて複雑なものも含めて)多様なものが進化するのだ.
ここではズックの中心的な主張「行動の進化は身体的特徴の進化と同じように進み,複雑な行動も累積的に進化できる」こと,そしてそれには特に大きな脳や優れた認知能力が不要であることを無脊椎動物の様々な例を使って示しているということになる.
第9章 鳥やハチと話す,そしてサルとも:動物の言語
第9章のテーマは言語だ.
- 言語はしばしばヒトと動物を分ける最後の関門として扱われる.しばしばそれは進化しえないものとか,特別で突然に現れたものだと主張される.しかしこれは誤りだ.言語も行動であり身体的特徴と同じように進化する.そして進化生物学では,言語の進化,(複雑な社会を含む)言語が可能にした多くのもの,ゴシップの役割などが議論されている.
- 一部の学者たちは言語が突然現れたという説に固執している.しかし進化は時に速く進むことができるし,言語の前駆体にはいくつかの候補がある.
- また一部の学者はヒト以外の大型霊長類が言語を可能にする身体や脳の特徴を持たないと主張する.しかし脳構造のリサーチはヒトの言語の源が霊長類の歴史の遥か深いところにあることを示している.最近議論されたのは喉頭の低さだが,これも特にヒト独自ということではないことが明らかになった.
- 言語の前駆体の候補にはどのようなものがあるのだろうか.その1つはジェスチャーだ.チンパンジーやボノボにはジェスチャーがあるし,一部の身振りの意味はヒトにも解釈できる.とはいえ違いは大きい.例えば指さしはヒト独自だし,彼等のジェスチャーの意味の大半は「交尾しよう」みたいな単純なものだ.
- 動物の言語を考察しようとするときに障害になるのは,言語と概念の理解や思考とが結びついているという観念だ.ここで言語はコミュニケーションにかかる行動だと考えるとそのような観念から解放され,より理解が容易になる.
- 鳥類には音声学習能力を持つものが多い.鳴鳥類のヒナはオスのさえずりを学習し,さえずりには方言が観察される.コウモリには母子間の個体識別のためのエコロケーション的なシグナルがある.
- 文法こそヒトの言語と動物のコミュニケーションを分かつものだと主張されることもある.しかしシジュウカラに原始的な文法があることが報告されているし,組み合わせシグナルプロセシングはツノゼミのオスのディスプレイ音(メスは組み合わせによってオスを選り好む)にもある.また鳥のさえずりにはヒトの会話のような交代的な発声ルールがあることが報告されている.
- 最後にドリトル先生のように動物と意思疎通できないかについてコメントしておこう.イヌがポジティブな単語とネガティブな単語を聞いた際に異なる脳の活性を示すことが報告されている.とはいえこれは彼等が意味を理解していることを示しているとはいえない.別のリサーチでイヌが知っている単語と聞いたことない単語を聞いた際の脳波を調べると,そこには差がなかった.最近ネコが人のまばたきに対してまばたきし返してその人に近づく傾向があることが報告されている.ネコにはまばたきをするのがよいのかもしれない.
ここでは「言語」がテーマになった途端「ヒトは特別だ」説に由来する誤解や混乱が巻き起こることが指摘され,言語も行動の一種として累積的に進化すると考えればよいことが主張されている.やや単純化されすぎている部分もあるが傾聴に値する議論だろう.なお最後の部分はペットを持つ読者へのサービスだろう.
第10章 貞操なバンケン:動物,遺伝子,性役割
第10章は性差がテーマ.行動生態学者でありフェミニストでもあるズックの裁き方が読みどころになる.
- ヒトの性差の起源はしばしばジェンダー役割の生得性の主張と結びつくため熱い論争の種となる.しかしこれらを結びつける必然性はない.行動は遺伝子と環境の両方の影響を受けるからだ.
- 動物のことを考察すればこの手の誤解を解決することができる.第1にオスの優位性は動物界の絶対ルールではない.第2に性やジェンダーに関連する行動はハードワイヤードされているわけではない.
- まずバンケン(カッコウ科の属)を採り上げよう.彼等はカッコウでありながら自分の子を育て,子育ての大半はオスが行う.ムナグロバンケンはメスがさえずり,ナワバリ防衛し,複数のオスと交尾する典型的な性役割逆転種になる(メスはオスより70%も大きい).同所的に分布するマミジロバンケンは一夫一妻制でオスとメスが共同で子育てする(やはりメスの方が大きいが差は13%).なぜ性役割が両種で異なっているのかは判明していない.ただしチドリなどのその他の性役割逆転鳥類のような不安定な食料状況があるわけではないことはわかっている.
- ヒトの場合性役割とジェンダー役割は区別される.性は性器や染色体などの生理的な違いに基づくもので,ジェンダーは社会に関連したものだと定義される.
- ここ数年,ヒトにかかる性の境界は曖昧になってきた.混乱はいくつかの定義(染色体を使うか妊娠可能性を使うかなど)が食い違うからだ.(なお生物学的には性役割は,生殖細胞の大きさに伴う戦略の違いとして認識される)
- ジェンダーは1950年ごろ生まれたより新しい概念で,1960年代頃からよく使われ出した.(しばしば単にsexという単語を避けるためにも使われた)
- ジェンダーは「文化的に構成された男らしさや女らしさの期待」であり,文化により異なる.(ボノボやチンパンジーにもジェンダーがあると主張されることがあるが,動物においては文化的な期待を観測することができないのでジェンダーを知ることはできないというべきだろう) しかしこれは性役割が完全に生得的でジェンダー役割が完全に環境的であるということを意味しない.両方とも遺伝子と環境により影響を受ける.
- 動物の性役割には様々な行動が含まれる.これはダーウィンに始まる性淘汰理論により説明される.そしてこの動物の性役割はしばしば擬人化(ヒトに対する安易な当てはめ),生物学的「法則」だという誤解(それは正常で自然だ),それを政治的に利用しようとする意図を通じて誤った印象を人々に植え付けてしまう.ムナグロバンケンのような例を性役割「逆転」種と呼ぶこと自体,それが例外で異常だという誤解を招いてしまう.そうではなく性役割逆転種は進化による解決が一通りでないことを示しているのだ.そして性役割逆転種は動物の行動の柔軟性もよく示している.実際にタガメのオスの子育て行動は様々な環境条件に応じて柔軟に変わる.
- ヒトの性役割やジェンダー役割を考える際にもこの「遺伝と環境に複雑に影響される行動の柔軟性」をよく踏まえておくべきだ.役割を不可避的だと考えるのは大きな誤謬だ.
- Googleメモ事件のダモアのメモは男性性や女性性は不可避的なものとだとする暗黙の前提があるところに問題がある.児童やサルによるおもちゃの好みの性差実験の詳細を見ると,定義や解釈にいろいろ問題があることがわかる*7.そして人々は社会に取り込まれており,完全な操作実験は不可能に近い.そして歴史や文化により何が男らしいかなにが女らしいかの基準は変わって来たし変わっていくのだ.
- ヒトの性差の理解は医学的なリサーチにおいて重要だ(これまでは男性を標準としてリサーチされることが多かった).また実験動物の性差とヒトの性差の違いの理解も重要だ.
- いろいろ書いてきたが,私は性差を否定しているわけではない.性差をハードワイヤードで生得的で変えられないものだと考えることの問題点を指摘しているのだ.これは悪しき本質主義だ.このハードワイヤード性は脳の違いに結びつけられることが多い.しかし近時のリサーチはヒトの脳に大きな可塑性があることを示している.
- ヒトに遺伝的な影響を受ける性差は確かにある.しかしそれを単純なストーリーに落とし込むのは間違いなのだ(前著でパレオファンタジーとして糾弾したのと同じだ)*8.
ズックはここで,性役割についてもジェンダー役割についても,どちらも遺伝子と環境が複雑に影響を与えるものであり,片方を生得的,片方を環境的という単純なストーリーにすべきでないことを強調するというスタンスをとっている.とはいえこのテーマについてはいいたいことがありすぎて,様々なテーマを詰め込んでやや消化不良気味である印象だ*9.
第11章 保護と防衛:行動と疾病
最終第11章は昨今のCOVID19パンデミックを受けての感染症に対する行動免疫がテーマになる.
- 過去何千年もの間私たちの感染症に対する反応の基本は行動変容だった.感染症は被患動物の行動を変えるが,それは動物の防衛に利する場合もあれば感染体に利する場合もある.感染症の事例は行動の進化を考える上で有益だ.
- 感染体を利するような行動変化は宿主操作で説明可能だ(トキソプラズマの例が説明されている).しかしここでもストーリーの単純化(病原体が脳に入って宿主を操るなどのストーリー)や安易な擬人化は理解を歪めてしまう.
- 一部の人々はヒトは意思を持つのでそのような感染体の操作の対象にはならないと考えるようだが,もちろんヒトも操作の対象になる.インフルエンザワクチンの接種後48時間後にヒトはより社会的になること*10示したリサーチがある.ウイルス感染者はより社会的距離をとるのが難しくなる可能性があるのかもしれない.
- (被患動物の役に立つ行動変容の例として)チンパンジーが具合の悪いときに特定のハーブを好むようになったり,寄生虫に感染するととげとげのある葉を飲み込む(消化管の寄生虫をこそげおとす作用があるらしい)ことが知られている.この知見が得られたのちに多くの動物が調べられ,様々な自己治療的な(食事内容の変更を含む)行動変容が見つかった(ヤギとヒツジの虫下しとしてのタンニン利用,都会に棲むメキシコマシコの巣の防虫剤としてのタバコの吸い殻の利用,ネコ類のマタタビ好みに蚊よけの効能があること*11などが説明されている).
- このような自己治療行動に高度な認知能力が必要だと考えるのは誤りだ.それは昆虫においてもこのような行動が発見されていることから明らかだ(オオカバマダラが寄生体に感染していると,より毒性の強いトウワタに産卵する例,チョーク病に感染しているミツバチのコロニーは巣内により多くの抗菌性の樹脂を塗る例,シロアリのコロニーを襲うアリの一種が自コロニー戦力の状況に応じて戦闘で負傷したソルジャーワーカーの治療(巣に連れ帰り抗菌性の唾液で処理)のトリアージ度を変更させている例が説明されている).生存や繁殖に利する行動はそれが複雑であっても高度な認知能力なしで進化できるのだ.
- ヒトの祖先も植物を薬として利用していただろう(ネアンデルタールの歯石から抗菌性の植物の痕跡が見つかっている).これに関しては熱帯地方の食事にスパイスが多いのはその抗菌性から説明できるとする説がある.しかしオリジナルなリサーチは近隣地域の食事が文化的伝達により似ている効果を補正していなかった.この効果を補正するとスパイス利用と気候の相関関係は有意ではなくなったのだ.この例は文化比較から進化した行動を外挿するのには注意深くあたるべきことを示している.
- 最近ウミウシの一種で,身体に寄生体が感染した場合に身体を頭から切り離し,頭だけから再生するものが見つかった.この例は単純な生物でも複雑な行動が進化すること,認知能力を基準にして動物をヒトを含むクラブとそうでないものに区分することの無益さをよく示している.そして行動を学習由来と遺伝由来に分けることも無益だ.どのように行動が進化するかを理解することは遺伝と環境の絡み合いを祝福することでもあるのだ.
ここも寄生体による宿主操作の単純なストーリーによる陥穽が強調されていてズックらしい.自己治療的行動の進化としては他章と同じく「行動の進化は身体的特徴と同じく累積的に進む」ことに沿った説明になっている.
以上が本書の内容になる.様々な誤解を指摘・批判し,行動の進化だからといって脳や認知能力や意思などにとらわれた議論をする必要はなく,身体的特徴と同じように適応を考えればいいだけだということが様々なテーマに沿って繰り返し主張されている本ということになる.そして本書の魅力はその様々なテーマの詳細にある.ズックの語り口は,カンマで区切った留保や補足が随所に差し込まれた重層的で再帰的な構造が頻発するもので,才気煥発な語り手がその場であれこれ考えながらしゃべっている雰囲気がよく出ていて,(ちょっと読みにくい部分もあるが)とても楽しいものになっている.行動生態学に興味のある人にとってのちょっと変わった副読本として面白いものだと思う.
関連書籍
最初の一冊.題名は「性淘汰」だが,性淘汰の解説本というよりはリベラルフェミニズムの立場から一部の極端なフェミニズムの主張の誤解を正す本になっている.本書の第10章はこのテーマについての補足的な部分とも読める.
同邦訳 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20081103/1225675659
本書でも取り上げられているが,パサライトや感染症についての解説書になっている.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entries/2007/11/05
同邦訳 私の訳書情報は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20090919/1494723205
昆虫の行動生態についての本.残念ながら邦訳はないようだ.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20120402/1333369750
パレオダイエットなどのヒトの進化を単純なストーリーに押し込んだ世間の誤解についての本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130617/1371471025
同邦訳 私の訳書情報は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20150123/1422011354
本書内で触れられている興味深い動画
尾の先がクモの形をした擬似餌になっているヘビIranian spider-tailed viper
www.youtube.com
本書の書名にもなっている踊るオウム
www.youtube.com
*1:このほか前脚の機能不全の結果二足歩行をするようになったヤギの体型的変化の例も挙げられている
*2:ここでは行動の進化を否定するピーター・クロプファの議論とその問題点が紹介されている.
*3:ヒトも動物の一種だと考える行動生態学者とヒトは特別だと考える文化人類学者の論争が振り返られている
*4:共感,道具製作,複雑な空間問題の解決,対面での性交(!),意識,言語などが扱われている
*5:Apis serana トウヨウミツバチとも呼ばれる.ニホンミツバチはこの亜種になる
*6:なぜスズメバチが水牛の糞を忌避するかはわかっていないそうだ
*7:少しあとで言語能力の性差リサーチも定義や解釈がかなりいい加減だとコメントしている
*8:ここで女性が妊娠中に部屋を掃除したがる傾向があるのは営巣本能に由来するという怪しい説についての厳しい批判がある
*9:ムナグロバンケンとマミジロバンケンの違いが何に由来するのかについては非常に興味深いところでもう少し議論してほしかった.またGoogleメモ事件についてはフェミニストとしてこのメモを肯定的に取り扱えなかったということだろうが,やや硬直的な印象だ.メモの内容には,ポリティカルにはコレクトでなかっただろうが,特におかしな点はなく,批判するにしても読み手に誤解を与えやすいという形での批判の方が「暗黙の前提」批判より穏当だったのではないだろうか
*10:この効果は4週間ほどでなくなるそうだ
*11:ただしズック自身は,誰も野生のネコ類の身体にマタタビをこする行動を確認していないこと,ネコ類において蚊に刺されることのコストが大きいことが実証されていないことからこの結果に完全には納得していないともコメントしている.