「進化心理学を学びたいあなたへ」 その18

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

 

6.2 生態学者が進化心理学者になるまで ボビー・ロー

 
ボビー・ローは進化生物学でキャリアをスタートし,1967年にオレンジヒキガエルの進化にかかる論文で博士号をとる.その後ヒトの研究に転身し,進化心理学というより人間行動生態学的なアプローチを用いたヒト社会の配偶や婚姻システムに関するリサーチを進めてきた研究者だ.Evolution and Human Behaviorなどの雑誌の編集者やHBESの会長も務めている.私にとっては進化心理学を学び始めた頃に読んだ「Why Sex Matters: A Darwinian Look at Human Behavior」が印象深い.ここでは自らの経験を中心に語ってくれている.
 

  • 私はヒトの行動を理解することに深い興味を持ってきた.しかし私の経歴は進化や系統のトレーニングから始まっており,心理学のトレーニングを受けていない.ある意味私は魅力的な分野に乗り遅れたのだが,この経歴故多くの心理学者と異なる視点から幅広い疑問を探求するようになった.

 

  • 子供の頃はパーソナリティ心理学や発達心理学の分野に非常に強い好奇心を抱き,医者になるのか獣医になるのかを迷っていた.しかし学部生の頃に河川の無脊椎動物の収集に取り組み,生物学者になることにした.しばらくは生物界の多様性に目を奪われて,ヒトの行動の多様性に気づくのに少し時間がかかった.
  • ヒトの行動の研究に方向転換したきっかけは息子が生まれたことだ.2ヶ月の息子を当時研究していたモンスズメバチの実験フィールドに連れて行ったが,息子はそれが大嫌いだった.そこで夜間に家でできる研究分野を探し,ヒトの装飾品が何のシグナルなのかについての比較文化研究を始めた.これは幸運をもたらした.人類学者は皆装飾品について一家言あったので大量のデータが集まったのだ.
  • しかしこのデータを分析し,それぞれの分野の学者がどのように世界を見ているのかを理解するのには時間がかかった.心理学者,人類学者,社会学者はそれぞれ世界の見方が異なっており,しかもそれは生態学の見方とも非常に大きく異なっていたのだ.ヒトの動機と行動をリサーチする際には心理学と人類学の間の微妙な境界を越える必要があると私は思っている.心理学は普遍性に興味があり,人類学は多様性に興味があるのだ.進化心理学者と進化人類学者はほとんど重なっているが,皆このギャップに敏感でこれを乗り越えようとしている.
  • 時間がかかったもう1つの理由は,私が当時学部(ミシガン大学天然資源環境学部)の初めての女性教官だったことだ.さらにヒトの行動への学際的アプローチをとっていたこともあり,私は変わり者としてテニュアを得る前に厳重に監視されていた.幸いなことにこの障壁は現在では崩壊しつつある.
  • ミシガン大学は異なる学部間の研究者のコミュニケーションが盛んで,この点では素晴らしい学術拠点だった.私たちは非公式のセミナーを行い,そこにナポレオン・シャグノン,ビル・アイアンズ,マーゴ・ウィルソンとマーティン・デイリーが加わって学際グループが生まれた.これは楽しい集まりだったが,ある日仲間からこれは排他的ではないかを批判され,より幅広い会議を主催することにした.それが数年間続き,さらにランディー・ネシーの勧めもあり,ハミルトンを会長に迎えてHBESを立ち上げることにつながった.

 

  • このような中で私はヒトの行動を理解するための多くのアプローチを手に入れた.私のアプローチはまだいくらか生物学に基礎をおいている.ヒトの行動を理解しようとする際に,まず哺乳類としての生活史,配偶問題,適応問題と制約条件を考える.その上でヒトの行動の持つ大きな多様性と可変性,文化的伝達を組み入れて複合的に考えるのだ.
  • これは心理学から見ると普通でないアプローチであることはわかっている.しかし18歳で結婚して8人の子どもを産んだ女性と,大学院を出て35歳で子どもを1人だけ産んだ女性とでは,世界の見え方や文化は異なり,その心も異なっているだろう.
  • 私は心理学と人類学の相互作用に関心がある.資源コントロールや性差についてヒトが自分たちのやり方をどう考えているか,それに文化的多様性がどう影響を与えているかに興味を持ち続けている.またヒトは多様な配偶システム文化を持ち,父親の育児参加の程度も多様だ.わたしはこのテーマについての文化比較研究も行ってきた.時には偶然面白いテーマに巡り会うこともある*1
  • だから私の研究テーマは多種多様になっている.これらをまとめて一冊の本「Why Sex Matters」にする仕事は楽しかった.自分の論文を元に学び直すことは,そのテーマについてより広くより深く理解することにつながる.
  • 進化心理学の今日の問題の多くは新奇環境へのミスマッチに関連している.第二次世界大戦後,アメリカ社会では女性の社会進出が進んだ.これにより男女双方にどのような心理的修正が求められたかを考えてみよう.

 

  • 若い研究者への助言は(どのような問題に直面しているかを知ることができないので)難しいが,私にとって有効だったのは自分の情熱に従い,興味のある問いに取り組むことだった.偶然出合った夢中になれることを研究することでアカデミアの世界で生き残ることができた.ただし情熱に従うことは,あなたを新しい領域,まだ専門知識を持っていない領域に連れて行くことにつながる.周りは皆自分より物知りで自分が初心者だと感じるだろう.出世が遅くなることもあるかもしれない.でもそれは私にとっては,興味のあることを学び続けられることの代償として安いものだった.


ボビー・ローの本

なんといってもこの一冊.私が読んだのは初版本(1999)だが,現在は2015年の改訂版が出ている.

Why Sex Matters: A Darwinian Look at Human Behavior - Revised Edition (English Edition)

Why Sex Matters: A Darwinian Look at Human Behavior - Revised Edition (English Edition)

*1:息子の誕生日パーティで19世紀のスウェーデンの人口統計学データを知ったことから家族形成と資源,地位と結婚見込み,人口転換のテーマが得られた経緯が述べられている

書評 「心の進化を解明する」

心の進化を解明する――バクテリアからバッハへ

心の進化を解明する――バクテリアからバッハへ


ダニエル・デネットは進化生物学,認知科学に関する科学哲学者であり,これまで「解明される意識」ではデカルトの心身二元論などの「意識をほかの生理的現象とは異なる特別なものとして説明しようとする立場」を徹底的に否定し,「ダーウィンの危険な思想」でダーウィニズムを鮮やかに解説し,自然淘汰が心や意識を作ったのだという主張を行っている.このような考え方は「自由は進化する」「スウィート・ドリームズ」「思考の技法」などの著作でも展開されている.本書はこのような考察の集大成のような書物であり,いかに意識や理由を求める心がヒトに現れることになったのかについての考察が展開されているものだ.原題は「From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds」

第1部 私たちの世界を逆さまにする

 

第1章 序論

 
言語,文字,算術その他をはじめとする思考道具満載のヒトの心はどのように存在するようになったのか.デネットは「進化の産物である心が数々の思考道具を創り出し,それを用いて心がいかに進化したのか,心が何者であるのかを知るようになった」というのが答えであるが,その細部には衝撃的な含意がいくつかあり,自分は50年以上それを理解することに取り組み,ついに錯綜した藪や沼地を通り抜ける1つの道を見つけたのだという.本書はその道筋についての本になる,
 
序論ではいくつかのテーマが取り扱われている.

  • 進化はほぼ絶対にないものを増幅することに依存する過程であり,原核生物から真核生物などの革命的変化をも可能にする.
  • 人間の意識についての難問を解明しようとする試みには,強力な想像力妨害装置がいくつもある.「謎は神秘のままの方が美しい」という防衛的な態度,「動物にもヒトに似た心がある」と考えたがる態度などもその例だ.
  • デカルト的な心身二元論は,「その『心と体の相互作用』が物理法則に反せずに可能とする説明が不可能である」という問題にも関わらず,一般の間では根強い人気がある.その1つの理由は自由意思と責任はどうなってしまうのかという道徳的な懸念だ.
  • ヒトの意識の問題の解明に抗する大きな力の根源は「デカルトの重力」だ.それは探求者が唯物論に対して何か心安まらないものを感じ,別の科学的な方法を探し求めようとするときに,その者を自己中心的な内側からの視点に閉じ込めようとする力だ.そしてその力もまた進化の産物なのだ.

 
 

第2章 バクテリアとバッハの間に

 
デネットはまずこう問いかける.「歴史上の天才の名を挙げてみよう.すると(おそらくほとんどの人の挙げるリストの)その大半は男性になる,これはなぜか.」政治的抑圧?,性差別的な自己実現的予言?,メディアの偏向?,遺伝子? デネットの挙げる教訓は,「結論に先に飛びついてはいけない,しっかりリバース・エンジニアリングしよう」というものだ.(そして遺伝子より文化進化の方がはるかに影響が大きいという話につなげ,さらにこれからミームを持ち出すが,ミームを巡る議論の両陣営の言い分に簡単に飛びついてはいけないと警告を発している)
 
ここから生命の起源の話になる.これを説明するには様々なリバース・エンジニアリングの創意を凝らし,いくつもの建築ブロックに生じた半ダーウィン的な諸過程の解明が鍵になる.ここではグールドのスパンドレル批判の不当性にも触れながら,「進化はあなたより賢い」ことをよく考慮したリバース・エンジニアリングが重要であることを強調している.
 
 

第3章 理由の起源

 
ダーウィンはアリストテレスの「世界のすべてのものには目的(存在理由)がある」という学説を乗り越えた.これを踏まえた一部の進化生物学者や哲学者たちはすべての説明から目的論的な記述を排除しようとする.デネットはこれもデカルトの重力から生みだされた想像力を歪曲させる力*1だとし,根こそぎの禁欲主義には反対している*2.デネットはむしろ生命圏にはデザイン,目的,理由がくまなく存在しているとはっきり主張すべきだという.自然淘汰はそれ自体が目的を持つ行為者であるわけではないが,「理由」を見いだしそれに追い従う過程なのだ.ここで「理由」と「規範性」を巡る深い哲学的な議論がなされたあと,規範性と関連する「理由評価」は「理由」よりあとに進化した形質であり,世界の中には「一定の実在的パターンが存在するための理由」と呼ぶにふさわしい実在的パターンがあって,自然はこれを発見するための思考道具を私たちに与えたのだと解説がある.
 
ここではさらに,(生命の起源以前に)化学的サイクルなどにより世界に有能な存続体が生じうること,そこでは非機能的なものが機能的なものによって押しのけられていく過程が生じること,そこにはおよそ自己複製するものならなぜ諸部分が現にあるのかの「理由」があり,それをリバース・エンジニアリングによって吟味できることが指摘される.これが「理由」の誕生であり,自然淘汰は自動化された「理由発見器」だということになる.そしてそこで創り出されるのは目的を目指しているがその目的について知っている必要のない存在だ.デネットはこのような理由表象者を持たない「理由」を「浮遊理由」と呼ぶ.シロアリはそのアリ塚がなぜそういう形をしているかについて知らないのだ.
 
 

第4章 二つの奇妙な推理の逆転

 
デネットはダーウィンとチューリングがリーズニングを逆転させたと指摘する.ダーウィンは「美しい機械を作るためには,それをどのようにして作るかを知っている必要は全くない」ことを明らかにし,チューリングは「美しい計算機械を作るためには算術が何であるのかを知っている必要は全くない」ことを明らかにした.
これらを受け入れられない人はたくさんいる.彼等は「理解力なき有能性」「知性なき創造的能力」という概念を心安まらぬものと感じるのだ.それは「理解力こそ有能性の源である」という信念と対立する.この懐疑には原因があるが(正当な)理由はない.
 
ここからデネットはダーウィンの逆転とチューリングの逆転の違いに触れる.その違いとはチューリングの「知性を欠く諸過程の多段連鎖のためのシステム」はインテリジェントデザイナーであるチューリングがデザインしたものだというところだ.これは心や意識を解明する際のギャップあるいは「スカイフック」になるのだろうか.デネットは,埋めるためのギャップはあるが,それは進化的に説明できるのだといい,それが本書のこれからの内容になると予告する.
 
ここでデネットは「存在論:ontology」(ある主体にとっての世界の外見的イメージ)に話を進め,自動制御エレベータープログラムの存在論を考えてみようと読者に促す.プログラムは様々な入力を受け付けるが,そこに「意識」を仮定する必要はない.プログラムのソースコードにはプログラマーが書き込んだコメントがあるのが普通だが,プログラム自体が「理由」を知っている必要はない.古き良き様式のAIはトップダウン方式で.それはデカルト的な理性主義的エキスパートを創り出そうとする試みであったが,そのために人間の心をデザインするという課題がいかに困難であるかを明らかにすることになった(その困難さに気づいたために,現代的なAIは,ビッグデータ,統計的パターン発見技法,ディープラーニングを用いるものに転換されている).
 
二つの逆転を一旦受け入れると,理解力とはすべてのデザインがそこから流れ出してくる神のごとき才能ではなく,理解力なき有能性を備えた諸々のシステムからの創発現象だということになる.
 
 

第5章 理解の進化

 
デネットは引き続き「存在論」を語る.そして生物がその存在論のデザイン的特徴の受益者であるが,その存在論を強い意味で「表象」していないということはありうるのだと強調する.
ソフトウェアのデバックが自動化できないのは,デバック作業はそのソフトウェアの目的に大きく依存しているからだ(言い換えると,その目的を十分に記述するのは最初からデバック済みのコードを書くのと同じ規模の作業になるからだ).では自然はいかにしてデザインをデバッグするのか.それは多くの変異を公開してテストし,敗者は調査もせずに捨て去るという浪費的な方法によっている.だから自然淘汰産物は解読不可能なほどもつれたスパゲッティ・コードに似たものであるのが普通になる.つまり母なる自然は「何も考えていない」のだ.
 
では理解力はいつから生じたのか.ほとんどの生物の有能性はそれを理解している必要がない.デネットは植物からイヌまでの様々な有能性を眺めてそれらに本質的な差が無いことを見る.ここで理解力なき有能性が成立するために重要なのは自然淘汰に未来の正確な予言を可能ならしめるような環境条件の安定性が存在することという指摘がなされ,さらに理解力を考察するためにチドリの偽傷行動を深く分析する(ここはかなり面白い).偽傷行動が適応的なのはそのシグナルが捕食者に意図せざる行動と解釈される場合に限る.捕食者がそれに感づくようになるなら,鳥には新たな淘汰圧(つまり理解力に向かっての淘汰圧)がかかるだろう.つまり理解力は有能性の源ではなく,(淘汰圧から生みだされる)ある種の有能性から構成されているものであり,それは漸進的に進化する.つまり意識あるいは理解力はあるかないかの不連続なものではなく連続的な状態をとるものであり,さしあたりうまくいく近似的解決法を提示するユーザーイリュージョンだということになる.
デネットはここでわかりやすいように連続する理解力を4つの段階に区切って説明してくれている.まず,固定されたデザインを持つダーウィン的生物,次に環境についてオペラント条件付けを行うスキナー的生物,さらに世界から情報を取り出し,仮説的行動を事前にテストできるポパー的生物.最後に抽象的および具体的な思考道具を使いこなすグレゴリー的生物*3が存在する.そして我々ヒトだけがグレゴリー的生物なのだ.そして第2部ではグレゴリー的生物の進化過程が詳しく検討されることになる.
 
 

第2部 進化からインテリジェントデザインへ

 
 

第6章 情報とは何か?

 
デネットはまずシャノンの情報理論を解説してから,進化過程における情報の重要性に議論を進める.進化において重要なのは適応にかかる意味論的情報になる.その重要性はシャノンの定義にある情報量とは一致しない.それを正確に定義することは難しい(というより恣意的でない方法で測定することはできない)が,デネットは「重要な差異を創り出す区別」であるのだと主張し,そしてさらに「その差異」は誰にとってのものかを常に問いかけることが重要だと指摘する.(ここではマイナスの価値を持つ情報,誤情報,意図的に提示される虚偽情報などについても詳しく議論されていて面白い)このような適応にかかる意味論的情報は,進化の中で,直接神経系やDNAにコードされることなく,語用論的含意として無精神的に収集される.
では日々我々の頭に流れ込んでくる価値があると思われない大量の意味論的情報があるのはなぜか.デネットはこれはバグではなく仕様と考えるべきだと示唆する.情報を取り扱う価値あるシステムは様々な種類のノイズに寄生されるリスクを持つが,平均して有益であればいいというわけだ.

ここからデネットは経済的情報(具体的には経済価値のある企業秘密)を例に持ち出して,この点を具体的に説明している.産業スパイがライバル企業のある技術的新製品の秘密を盗み出すには,優れた製品とはどういうものかを事前に知っているほど,持ち出すべきシャノン的情報量は少なくできる.防衛する企業が盗まれる可能性を予期していれば,識別できるが機能を持たない印を(盗用の証拠として)デザインに組み込むだろう.これが機能するのは盗みを働く企業がその印の意図に気づかない場合だけだ.このような行為者間の相互交渉に見られる戦略パターンは,情報量だけではなくどの情報がコピーされるかにも依存する.技術的製品のデザインはインテリジェントデザイナーによるデザインであり,特許を取るにはオリジナリティと有用性(つまり価値)があることを証明しなければならない.そしてオリジナリティは関連する当事者の有能性に依存する.そしてこれらの情報は通常コードなき伝達過程により複製されていく.
そして文化進化においても有能性を持つ当事者間での巨大な規模のコードなき伝達過程がみられる.残る問題は,人類はいかにしてこのように環境から意味論レベルの情報を抽出することに巧みになったのかというものになる.
 
 

第7章 ダーウィン空間:幕間として

 
ここでデネットは「幕間」として1つの思考技法を導入する.それは「ダーウィン空間」と名づけられている.ダーウィンが見いだした自然淘汰の過程はある種のアルゴリズムであり,条件が満たされればどのようなものについても自然淘汰は生じる.しかしこの自然淘汰が生じる過程はすべて全く同じではない.コピーの正確性,適応度地形のなめらかさ,偶然の要素の大きさ,ボトルネック(生殖細胞系列への絞り込み)の大きさ,生殖系列と体細胞系列の分化度,生物体全体の統合性などいくつもの可変的な条件があり得る.そしてそのような連続性のある条件を3つ選び出して3次元プロット*4したものが「ダーウィン空間」になる.
すると自然淘汰過程がこのダーウィン空間を動いていく様を思い浮かべることができる.つまり進化の過程そのものも進化しうるのだ.そしてこれは進化過程の脱ダーウィン化現象を理解する助けになる.
 
またこのダーウィン空間は文化進化に対しても描くことができる.デネットは宗教に関するダーウィン空間を描いてみせる(成長か繁殖か,内的な複雑性,遺伝的進化か文化進化かという軸になり,大気圏*5からフッター派のプロテスタント共同体までを表示している).さらにダーウィン過程による文化進化からインテリジェントデザインへのダーウィン空間も提示されている(シロアリのアリ塚からバッハやピカソによるデザインまでを提示している)
 
こうしてまさにバクテリアからバッハまでをダーウィン空間における軌跡としてみる準備が整う.ここからこの動きがいかにして生じたのか,ただヒトだけしかここに到達できなかった「壁」は何だったのかという問題を考えることになる.
 
 

第8章 多くの脳から作られている脳

 
トップダウン式のメリットは何か.それは動き回る生物にとって環境に素早く対処するための制御中枢としての有能性をもたらすものだ.つまり脳は有能性を発達させるのであり,それには有能性を獲得するため能力というメタ有能性も含まれる.
 
ここでデネットは脳とコンピュータの違いを明確にしている.自然淘汰による絶対的無知によるデザインはヒトの脳を創造できた.そのヒトの有能性がコンピュータをデザインし,コンピュータがヒトを超える有能性を持つAIを実現することは「原理的」には可能かもしれない.しかしすべてをトップダウンでデザインするという初期のAIの試みはこれを可能にするものではなかったようだとしている.実際にはコンピュータプログラマーたちはグレゴリー生物的に様々なツールを使いこなし,プログラム言語から機械語への階層を利用している.自然淘汰による脳は階層化された組織化を実装しているが,それらはコンパイラもコメントもない機械語のみによる仕組みになる.
 
 
デネットはここで巷間言われる脳とコンピュータの違いは本質的ではないという議論をおいている.

  • アナログとデジタルの違い:脳の動作原理は二進法ではないが,何らかの意味でデジタルであると判明する見込みは大いにある.
  • 並列と直列の違い:脳の視覚系などには確かに並列的な経路を利用している.しかし意識を含む最も驚異的な脳の活動は直列的なものが多い.そのような活動においては脳は並列的なアーキテクチャーの上で直列マシンをシミュレートしていると考えるべきである.
  • 炭素とシリコンの違い:これは本質的ではない.ナノテクノロジーの技術はタンパク質からコンピュータを作ることを可能にしつつある.
  • 生きているか生きていないかの違い:人工心臓は生きていないが見事に機能する.機能するためのエネルギー源が何かというのは本質的ではない.

ただし,最後の論点においてはディーコンによる重要な指摘がある.エネルギー源を議論から切り離すとそれは寄生的なシステムの考察しかできない.自律的に動くためのコストや構造を無視してしまうというのだ.これはニューロンの可塑性,様々なタイプのニューロンが存在し,全体として機能するという特徴に関連する.デネットはこのような特徴はボトムアップ式の競争の中の同盟というやり方で可能になるのだとする.
 
 
ここでデネットはニューロンに行為者性(エージェンシー)を付与する.ニューロンは利己的な準ロボットでありエネルギーやリソースを求めて競争し,それがネットワークの特性に影響を与える.つまり脳の構造はトップダウンデザインのコンピュータよりもシロアリのアリ塚に似ているのだ.
脳をうまく機能させるにはニューロンの一群を未来の課題に向けてより効果的なチームに組織するという形をとる必要がある.そして脳は利用可能な意味論的情報をベイズ階層予測コーディングにより選び出す.ベイズモデルは中枢装置なしで高性能の統計的分析機関を組み込むことを可能にする.
ベイズ的ネットワークは(ヒトを除く)動物の心を非常にうまく説明できる.彼等の脳はシロアリのアリ塚的で理由を持たない.ベイズ的予測者であるためには理由を表象する必要はないのだ.ではヒトはどのようにして理由を持つようになったのか.デネットの答えはそれは文化進化を通じてと言うもので次章以降で扱われる.
 
 
さらに本章の最後でデネットは魅力的なアイデアを一つ提示している.それは「野生のニューロン」だ.平均的なニューロンは同じ仕事をするために長い寿命を費やす従順な存在だ.しかし彼等は(スイッチを切られたままゲノムに残っている遺伝子による)ある種の潜在的な自律性を持っている.それは例えば侵略者が出現したような場合,より利己的で新しい神経連結に向けて動き出す可能性を与える.そしてその侵略者の一つの候補が「ミーム」になるのだ.
 
 

第9章 文化進化における語(words)の役割

 
デネットは語こそミームの最良の実例であり,言語こそ累積的文化を可能にするための文化要素だとする.デネットは言語進化のリサーチに関するいくつかのトピックを解説した後,語について詳しい考察をおいている.
デネットはタイプ/トークンという哲学的概念を解説し,まず公共的トークン以外に,私的で内的な語のトークンもまた存在するという事実を認め,その物理的性質についてはよくわかっていないこと,ほとんどの事例では個々の語をその語たらしめているのはその語のトークンではなくタイプであることを認める.
 
 
ここからチョムスキーの言語進化への反対論が言語学者たちに与えた影響を振り返りつつ,ジャッケンドフの進化論を踏まえた言語理論を紹介する,それは語を記憶構造であるとし,それは個々に獲得されなければならないという意味で自律的な構造だと主張する.デネットはそこから議論を進め,語はウィルスのような最少のエージェントであり,複製頻度を高めようとデザインされ,遺伝子と同じ意味で利己的だとする.
デネットはここから,乳幼児の語の獲得過程を眺め,意識の問題を注意深く避けながら,語を理解することは語の定義の獲得と同義ではないとする.語の獲得には意味論的音韻論的制約があり,さらに別の構文論的制約や歴史的偶然も作用する.幼児は擬似ダーウィン的な過程によって言語を獲得する.その際の最初期に獲得される語はある意味シナントロープ的な(準家畜的な)語である見込みが大きい.これは後に方法的選択(つまり真の人為淘汰,家畜化)に進み,トップダウン式のインテリジェントデザインへ向かう一歩になる.そして人々が理由を所有するようになると家畜化された言語がもたらされる.
デネットのそのような過程の例として「音素」の進化を挙げている.音素は言語のデジタル化の革新をなす仕組みであり,聴覚系の調整,デジタル化可能な可聴的ミームの淘汰を生じさせる.デネットは音素は単に信頼性の高い伝達を生みだすだけではなく,我々の有能性が生みだした(単純化されたくっきり目立つ特徴を感知させる)良性のユーザーイリュージョンでもあると主張している.
 
 

第10章 ミームの目からの視点

 
いよいよデネットはミームの議論に踏む込む.ミームとは(行動の)やり方(ways)であり,盗用あるいはコピーする価値のある意味論的情報になる.そして語は範列的(paradigmatic)なミームということになる.それは言語や文法に元来備わっている特徴ではなく取り替え可能な特徴で,言語共同体の中で拡散をほかの変異体との間で競い合う.それは明瞭で観測可能で,リサーチにおけるミームの最良の実例になる.そして語がひとたび文化的な革新と伝達における媒体になるとそれによって文化進化の過程そのものが変化し始めるのだ.
 
ここでなぜミームという用語が,人文・社会科学者にあれほど悪い評判を招いてしまったのかが考察されている.デネットは一部は不勉強な自称ミーム主義者が誇大な主張を行ってきたためであり,さらにもう一部は文化進化過程の理論研究家たちがドーキンスの過大評価を望まなかったためだろうが,最大の要因は自分たちの領域に生物学が侵攻をかけてきたと考え狼狽してしまった人文・社会科学者のアレルギー反応による的外れの批判キャンペーン(これに対するデネットの反論は次章でなされる)ではなかったかと考察し,ドーキンスがミームの例として語を取り上げておけば*6,後の人文・社会学者からの反発をいくらか予防できたのではないかと残念がっている.
 
ではミーム概念は文化進化のリサーチのどのような洞察をもたらしたのか.デネットは3つに整理している.

  • 理解力なき有能性が文化進化過程でも生じることを明瞭に示したこと
  • ミーム自体に適応度があるという理解を可能にしたこと
  • ミームが情報的な対象であることを示したこと

デネットはミーム以前の伝統的諸理論はこれらの理解を欠いており,様々な限界があったと説明している.例えばデュルケーム的機能主義は社会の仕組みの機能や目的を発見したが,それがいかにして生じたのかを説明できなかった.伝統的思考法は,文化的特徴の変化が誰にも意識されずに拡散しうること,情報が理解なしで脳にインストールされることを説明できなかった.理解力が有能性の源であるという信念を捨てられないのだ.さらに伝統的な見方は良質のものばかりに注目し,ジャンクを無視するという欠点も持っている.
 
伝統的な見方を行う人には,ミームがウィルスのようなものだという考え方に拒否感を持つ人が多い.ドーキンスは純然たる寄生ミームの存在可能性を強調したために大きな反発を受けることになった.例えばD. S. ウィルソンはすべてのミームが寄生的であるかのように印象操作し,だから宗教のように人々の利益になっているかも知れない現象をミームで解釈できるはずがないとミーム的視点をとることを拒否している.
デネットはここで,ほとんどのミームは相利共生的であり,我々の適応度を増進させる補助装具となっていることを強調する.しかしいったん相利共生的文化のための下部構造がデザインされると,それにつけ込む寄生的ミームがそれを悪用するリスクは生じる.それはちょうど有益な目的のために素晴らしくデザインされたインターネットにスパム,ポルノ,ネコの写真があふれるのと同じだ.そして「ライバルより多くの子孫を残そうとするよりももっと重要なことが人生にはある」というかなり優勢なアイデア自体,生物学的な適応度とは相容れないアイデアであり,そのようなアイデアが優勢であることが我々を他の動物とは大きく異なるものにしていることの明白な証拠になる.つまり我々は説得されることが可能であり,(浮遊理由ではない)私たちに表象された理由によって動かされることが可能なのだ.
 
では理由を表象できる能力はいかにして進化できたのか.ヒトの推論のリサーチが示しているのは,推論技能は世界を正しく認識するためではなく,他者を説得するために磨き上げられたものだということだ.デネットはこれはそれに先立つ言語使用の技能に依存しているはずであり,共進化的な過程が関与したはずだと考察する.
 
 

第11章 ミーム概念の難点:反論と答弁

 
第11章はお待ちかねのミーム批判キャンペーンへのデネットの反論だ.個別のテーマとしては本書で最も注目すべき部分だろう.
 
 

<ミームなど存在しない(存在を証明できない)という批判>
  • 非存在にかかる哲学的議論は常に滑りやすい.
  • これは色やホームランなどと同じイリュージョンだという主張はあり得る.しかし私はユーザーに適するように進化によりデザインされたユーザーイリュージョンも実在を切り取る一つのやり方であって,リアル・パターンの異なったバージョンだという立場(つまり「色は実際に存在する」と断固主張する立場)をとる.意識も自由意思も存在する.ただそれは一部の人々がこうだと思っているものではないというだけだ.
<ミームは「離散的かつ信頼性のある方法で伝達される」とされているが,文化的変化の多くはこれに当てはまらないという批判>
  • これはリチャーソンとボイドの立場だ.またスペルベルはミームは文化的伝達のごく一部を表しているに過ぎないという理由でミーム論を斥ける.
  • しかし語はまさに極めて離散的かつ信頼性のあるやり方で伝達される存在だ.私たちの累積的文化は語(というミーム)に依存している.
  • さらに語以外にも信頼性の高い自己複製子が存在する.調性音楽,物語のストーリー,ダンス,複式簿記,三角法など.これらの高レベルのミームは理解力に依存している.理解力の持つ解釈者は物理的変動に頑健な複製システムを作り出すことができる.(ここではコンピュータプログラムにおけるtypoとthinkoの違い,ダンスの家畜化など面白い議論がたくさんなされている)

 
 

<ミームは遺伝子と違って,遺伝子座を巡って対立遺伝子と競合しないという批判>
  • 語や音楽やその他のミーム族は「アルファベット式」の(デジタルな)体系を持ち,発音,同義語,ヒットバージョン,役割,整理箱のような「座」を争う.
  • ミームの適応の蓄積にはコピーの十分な信頼性が必要だが,書き言葉のような複製精度を上げる技術をよく考慮しなければならない.
  • いずれにしても遺伝子座における遺伝子間の競争というのはダーウィン空間次元のほんの1つに過ぎない.

 
 

<ミームは,我々が既に知っていることに何も付け足さないという批判>
  • この批判はミーム論は既知の結論の異なるフレームからの再解釈に過ぎない(つまり車輪の再発明に過ぎない)という意味だ.
  • これには幾ばくかの真実がある.ミーム学者は時に伝統的な文化理論の研究者にとっての既知の洞察を新たな洞察として提起してきた.とはいえ実際のところ,多くのミーム学者は伝統的研究者がミームなしでいくつかの仕事をしてきたことを喜んで認めるし,彼等によって収集された洞察を重要視し,それを自分たちのフレームで再解釈することを追求するだろう.
  • しかしミーム学は将来的にも純然たる進歩をもたらすはずだ.伝統的理論には優れたデザインを説明するのにヒトの理解力に頼るか説明を放棄するかのいずれかの道しかない.そこにはミーム学によって埋められるべきギャップが空いている.
  • またミーム学は新機軸の拡散を「脱心理化」するという点でも価値がある,アイデアは気づかれ,評価されなくとも広がりうるのだ.そして遺伝的適応と文化的適応は常に軌を一にするとする理論は,人々に不利益をもたらす文化的変異体が広がることを説明できない.ミーム概念への不信感を隠さないリチャーソンとボイドも,利己的ミームが堅牢であり得ることを認めている.

 
 

<ミーム学は予測力を持たないという批判>
  • ある意味これは真実だが,有効な批判にはなり得ない.遺伝的進化の理論もある生物種の未来予測をそれなりの確実性で行うことはできない.これは進化過程がノイズの増幅装置であることから来る必然だ.

 
 

<ミームが文化の様々な特徴を説明することはできないが,伝統的社会科学はできるという批判>
  • この批判はミーム概念の要点をとらえ損ねている.構造や器官の適応についても遺伝子により直接説明することはできない.それを行うには分子生物学,生理学,発生学その他のあらゆる生物学の専門分野が必要になる.同じようにミームがどのような文化的特徴を生むのかを説明するには心理学,人類学,政治学,経済学その他の学問分野を必要とするのだ.進化がすべての生物学の分野に意味を与えるように,ミーム学の枠組みはこれらの諸学問分野に意味を与えることができるだろう.
  • 本書全体における私の主張は,進化の視座とミームの視座が意識や意味という永遠の難問に思えた問題の多くを変形させるということだ.

 
 

<文化進化はラマルク主義的進化である(だからダーウィン主義のミーム学は当てはまらない)という批判>
  • これはミーム批判者には人気のある説明だ.そして背後にある混乱と自暴自棄的心情を垣間見せるものだ.
  • そしてこれはエピジェネティックな形質の発見がダーウィニズムを覆すものだと吹聴する人々がまき散らすデマと同じだ.一言でいってナンセンスだ.
  • 親によって獲得された形質が若い世代に植え付けられるということとダーウィン的自然淘汰が働くということは排他的な問題ではない.親が獲得した細菌やウィルスを子どもに感染させるという現象が自然淘汰に反するわけではないのだ.さらに彼等はミームにとって問題になる適応度は(宿主ではなく)ミームの適応度だということを忘れてしまっているのだろう.もしラマルク主義が問題になるなら,「ミームの獲得した形質がそのミームの子孫に伝わるのか」を問題にしなければならないはずだ.

 
 

<論争により浮かび上がってきたテーマ>
  • 争点はミームの定義の良し悪しではなく,ミームの視座が有効かどうかというところにある.他の視座からは思いもよらない問いを文化現象に関して提起できるかどうかが問題になる.(そしてそれはできるのだ)
  • ミーム学と伝統的説明が競合している点は,人々の理解力の位置づけだ.伝統的説明は,デザインの卓越性以外何の根拠がなくてもそれを唯一の要因として扱わざるを得ない.ミームはより広い競技場を提供できる.

 
 

第12章 言語の諸起源

 
ミームの累積が巨大にふくれあがるには言語による伝達が不可欠だ.言語は不在対象の差し示しを可能にする.これはデザイン空間における巨大な一歩になる.これは文化進化がダーウィン過程から脱ダーウィン化され,理解力の増大とともにインテリジェントデザインに向かう過程の重要な一段階だ.ここからデネットは言語の進化を考察する.ここも優れた総説として本書の中では読みどころだ.
 

  • 言語の進化を考察するには,まずそれが誰にとってどういう利益をもたらしたのかを考察しなければならない.初期の言語は宿主にとって負担であった可能性もあるのだ(一旦基本的なコピーシステムが成立すると,利己的なミームがそれをハイジャックすることが可能になる).そしてなぜほかの動物は言語を進化させなかったのかも説明できなければならない.

 

  • 最初のミームは語でなかったかもしれない.そして人類がそれを模倣しようとするようになったのはなぜなのかが問われる.
  • ミームからの視点は様々な二重継承モデルに有益な修正を加えることができる.ミームは脳に適応するために進化し,脳はそれに対して遺伝的ハードウェアを調整するという共進化過程が進行する.そして文化的ハイウェイが出現し,寄生体との軍拡競争を行いながら文化進化が進行する.しかしこのような文化進化が肥沃なものとなるためには環境可変性の閾値条件が存在する.
  • 別の閾値条件としては社会的知性や共同志向性*7が提唱されている.またこれに関連してニッチ構築の議論もなされてきた.(いくつかの議論が解説されている)
  • デレク・ビッカートンは「不在対象の指し示し」を重要視し,これは自然淘汰で到達する性質を越えて強力だとし,それを語と語が元で生じる神経科学的過程の共生的発明品であると説明する(これによるメリットはサバンナでの対決的腐肉食者にとってのもの*8だとしている).ビッカートンはミームに懐疑的だが,これはまさにミーム的な議論だ.
  • 言語がヒトのみにあるというのはこのような稀な一連の閾値条件の連鎖があったからなのだろう.

 

  • プロト言語が言語になる進化の道筋も議論や論争の余地が多い.
  • 最初に存在していたのはアラームコールのような信号かも知れない.あるいはジェスチャーなのかも知れない.聴覚的な性淘汰シグナルの軍拡競争があったのかもしれない.
  • ハーフォードはこれらの可能性について包括的な分析を行っている.彼の議論のいいところはそれが何のためにあるのかという問いを自覚していることだ.
  • 言語にはなぜ音素戦略と形態構文論という2つの構築体系があるのか.前者は音声制御,聞き取り,記憶という制約に対処するためにあり,後者はコミュニケーションの生産性のためにあるということになる.このような体系性と生産性への道において,聴覚的ミームにとっては自分と競争者をはっきり区別し,発音習慣を利用することがメリットになり,宿主にとっては記憶と発音における負担を最小限にすることがメリットになる.
  • これによりヒトの言語は音声に関する優れた組み立てブロックを得ることができ,音韻論と意味論が辞書に組み込まれたのだろう.
  • では文法はどのようにできあがったのか.いかなる言語にも主題とコメントの区別はあるが,それ以外の必須項目や必須語順はない.そして言語の複雑性は小集団言語の方が高い.(言語にとっての単純性,効率性への淘汰圧が小さいために)小集団では豊富な新奇性が生まれやすい.それは宿主にとってはメリットでもデメリットでもありうる.大規模集団や異なる言語話者間の接触が多い世界では言語は単純化,強力化,洗練に向かう.ここにはインテリジェントデザインに向かう脱ダーウィン化の過程が現れている.
  • このような有能性はどのように脳内に根付いたのか.大部分は不明なままだが,語や文のような言語的対象,世界にある対象,その関係というアフォーダンスの結合による「概念」の誕生が重要だったのかも知れない.それが所有や,同一性や相違性などの認識を可能にする.

 

  • 文法や形態論(語形論)が有能だが理解力を欠く過程で獲得されることはあり得る(実際にネイティブ言語はそのように獲得されている).それを可能にするのはある種のディープラーニングか遺伝的生得性だ.この二要因をつなぐスペクトルのどこに真理が存在するかについて激しい論争がなされている.
  • 主に学習によるというのは機械学習モデル支持者と様々な言語的要素に見られる漸進性に行き当たった言語学者だ.
  • 生得的言語獲得装置(LAD)主義者は「刺激の不足」論証をよりどころにする.LADは方向付けられた試行錯誤による言語獲得をうまく説明できる「クレーン」だと思われた.
  • ところが「刺激の不足」論証を主導したチョムスキーは自然淘汰によるLADデザインに頑なに反対した.これによりチョムスキーのLAD仮説は「スカイフック」になりはててしまった.
  • チョムスキーは後に自己の立場を修正し,ミニマリストプログラムを擁護するようになった.彼の議論は併合(merge)を扱う認知的才能だけで言語獲得が説明できるというものになる.
  • ピンカーとジャッケンドフは力強く反論した.彼等はかつてのチョムスキーの体系を併合で乗り換えられるという主張は虚偽(あるいは空疎)であるとする.逆に併合動作は文法の初期の形態であり,後の文法ミームの祖先だと見なせるし,併合そのものが大躍進でも跳躍でもなく(自然淘汰による進化によればそうであろう)漸進的に発展してきたものと推測できる(つまり併合を扱う認知能力の起源についてもチョムスキーのようなスカイフック的な説明をする必要がない).

 

  • 理論言語学の議論は厳密な「必要十分条件」や「判別基準」のようなテーマに満ちている.これは言語学者が本質主義的誘惑に惹かれてきたことを示すものだ.しかし言語はそのような厳密な区別がつくようなものではない.むしろミームの個体群ととらえるべきだ.
  • 子どもの言語獲得は明示的な規則というよりも「話すためのやり方」の奥深くに組み込まれているパターンの獲得と考えるべきだ.プロト言語が成功し,それへの応答として文化遺伝的な進化が進み,その集成として「話すためのやり方」ができあがったのだ.ヒトはこの素晴らしくデザインされたシステムの無自覚な受益者なのであり,理解力なしの有能性のまた別の事例である.
  • そして言語の到来によってさらなる偉大な契機,つまり理解力の起源の舞台が整うのだ.

  
 

第13章 文化進化の進化

 
デネットはいよいよ理解力の起源,インテリジェントデザインのクレーン的説明を始める.ここは難解だ.
 

  • ミームのポピュレーション爆発の前段階としてヒトに模倣やコピーへの行動傾向がなければならない.この適応的意義についてはいくつかの仮説がある.
  • 人類がミームに感染するようになった当初から,相利共生体,片利共生体,寄生体などの様々なミームが存在しただろう.
  • そのなかでより相利的なミームを多く複製し,有害なミームを押さえ込もうとする文化的遺伝的研究開発が進んでいっただろう.例えば晩成性は親に依存する期間を伸ばし,面と向かって話をする時間を増大させ,さらにトマセロのいう視線検出,注意の共有を生み,言語獲得過程を効率化しただろう.
  • 草創期のミームの宿主にとって,それはどんな感じのことであっただろうか.ある最少限度で語について気づいてはいただろうが,自分が気づいていることに気づくということはなかっただろう.しかしミームが広まるためにはヒトの知覚的反応が必要であり,それは豊富なアフォーダンスを持って存在していただろう.そしてミームは我々の存在論の中に確かな居場所を持つようになっただろう.

 

  • 理解力なき有能性は動物と同じく人間生活にも至るところに見られるが,我々はこの可能性を見逃し,ヒトの行動を理由の自覚的評価に帰属させ,志向姿勢を用いる傾向がある.
  • (ここでグライスの語の非自然的意味の必要条件の分析,それに対するミリカンやアズーニの批判についての解説がある)アズーニが指摘するようにほとんどの日常的なコミュニケーションは(相手の意図を読もうとする志向姿勢を駆使した)グライス的なコミュニケーションには全く似ていない.それは日常言語はグライス的なコミュニケーションに起源を持つかも知れないが,それ以降大きく変化を遂げているからだ.
  • グライスは浮遊理由の発見のためにリバースエンジニアリングを行い,その説明のための方便として(行為者に理解力があることを前提にする)志向姿勢という用語にたどりついたと考えるべきなのだ.日常言語を使用するにあたって,そのオプショナル機能(操作,欺瞞など)の理由をすべて理解している必要はない*9
  • 祖先たちは語を用いた活動を行いながら,自分たちが何をやっているのかの自覚がなかったということはありうるということになる.自覚が到来するのは,ミームの無意識的淘汰から家畜化された方法的淘汰への切替を果たしたあとだ.

 

  • 言語の発話と理解を行うために,発話された音声分析のためにより多くの注意を払うようになり,自己監視,反省,新たな思考しうる対象としての語のその外見的イメージの中への創発が生じるようになったのだろう.この創発はデザイン空間のトップダウン式の探索の開始を可能にした.例えば「明示的な自問」は有効だっただろう.さらにそれは熟考した内容を記憶しやすいものに変え,振り返り可能にするというメリットをもたらす.その語の研究開発はより一層トップダウン式になるだろう.(ここではまだ意識の問題は先送りにしているという注意書きが置かれている)
  • 理解力はどのように生まれたのか.遺伝的に受け継がれた基礎的なアフォーダンスがあり,それは脳のベイズ学習により環境内のパターンを強調するように増強される.これが有能性を提供する.これらの有能性の中には(道具を使うカラスなどの)ある種の理解力の印であると受け取るのが自然なものが含まれる.そう受け取るのは様々な状況への対応の適応性のためであり,理解の働きは行動の領域にあるのだ.すると理解力とは理論知ではなく有能性から生まれる実践的なノウハウだということになる.
  • ではヒトの理解力はそこに何が付け加えられたものなのか.単にノウハウをコミュニケートする能力ではない.検討中のどんな話題についてもそれを吟味し,分析し,ストックしておく能力だ.これは思考を語,図表,その他の道具を通じて明示的に表象する能力によって成り立っている.そしてそれはメタ表象に及ぶ.何重にも重ねられたメタ表層はヒトの累積的文化の爆発(デネットはマクレディ爆発と呼んでいる)の引き金を引いた.

 

  • 言語はソフトウェアに似ている.言語を獲得することは,プラットフォームに依存しないJavaアプレットの実行環境を実現させたJVM(Java virtual machine)と同じように,誰の脳にも同じアイデアを取り扱うことができる(例えば)EVM(English virtual machine)を話者の脳にインストールしたのと同じなのだ.ミームはJavaアプレットと同じようにEVMの上で競争し,記憶されやすい勝利者のみが生き残っていく.そしてこれはさらに,指示を聞き,理解し,それに従うための認知的な技術(書き言葉,算術,貨幣,暦など)の基礎になる.
  • 書き言葉や算術の発明はなお浮遊理由に基づくダーウィン的な過程によるものだった.それは誰か1人の手になるデザインではなく,後代の受益者たちにリバースエンジニアリングされ,理由を説明されたに過ぎない.
  • 文化進化の理論モデルはしばしば経済学的モデルを基調にしている.これは感染力の強いがらくたの分析には向かないが,人間文化の中の宝石とされる部分(音楽や美術など)をうまく説明できる.そこにはインテリジェントデザインの産物が豊富に含まれる.しかしその背後には無駄の多い探索による二級のデザインや失敗作が大量に存在する.つまり一見トップダウンの世界であっても,そこにはミームの競争が常にあり,理解力に幅のある宿主が存在し,理解力自体が淘汰にかかる.理解力を背景にした複雑な競争*10が主流になるにつれてダーウィン的なミーム進化は背景に退いていく.
  • このような競争において(宿主たる)我々は相手が理由を理解しているという仮定を前提にし,志向姿勢をとるようになる.これはミーム学の放棄ではない.むしろミームの侵略により,我々の心が変容させられたと理解すべきなのだ,

 
ここでデネットはピンカーによるミーム懐疑論に反論している.ピンカーは「文化進化には現実にデザイナーが存在している」ことを持ってミーム論に懐疑的なスタンスをとっている.デネットはピンカーが示した「機知」による創造の背景にも膨大でかつだらだらと続く変異の最終産物的な側面があることを指摘している.(ここでは「フランケンシュタイン博士の創造したショイクスピアが書き上げたスパムレットの作者は誰か」という思考実験があって面白い)

  • インテリジェントデザイナーの代表例にバッハを取り上げよう.バッハは大変博識な研究家で「神与」の音楽的有能性を勉学で補完し,素晴らしい作品を数多く残した.そして自らの音楽を著名にしようという生前の多大な努力にもかかわらず,彼の音楽的名声が確立するのは死後50年を過ぎてからだ.バッハに限らず「埋もれた名作」が復活する過程には,しばしば複数の特徴が見られるが,それらは作者の思慮深いデザイン,卓越性,琴線に触れる要素とはほとんど関わりがない.つまり文化における支配的なパターンを説明するためにはインテリジェントデザイナーの卓越性だけではなく,生き残りを巡る栄枯盛衰の過程を考察する必要があるのだ.
  • 一旦ミームが蓄積し,宿主への取り憑き方が効果的になってくると,ミームの進化的軍拡競争が始まる.そしてその競争は(嘘や脅しやハッタリ,訛りによるID検査のような)ヒトの争いのテクノロジーや対抗テクノロジーを伴い,テクノロジーの膨張が生じる.物々交換,情報交換,約束,警告のような成功事例が積み重なり,インテリジェントデザインなく文化的慣習や制度が生まれる.さらにその中での行動が洗練され,学習過程を加速するための新機軸(書き言葉,算術等)を生み,そしてついにインテリジェントデザインの時代に入る.競争するために理解が必要になったのだ.そこで優勢なのはインテリジェントデザインされたミームだが,そのようなミームもセミインテリジェントデザインや,進化によるデザインによる競争相手が渦巻く大海を泳いでいるのだ.

 
 

第3部 私たちの精神を裏返す

 
 

第14章 進化したユーザーイリュージョン

 
ここまで来てデネットは議論してきたピースをつなぎ合わせて理解力,意識の大問題に取りかかる.
 

  • 進化は生物にその生物のアフォーダンスに対して適切に反応できるようにする.これが理解力なき有能性だ.そしてそれらが当該生物にとって「どんな感じのものか」については完全に不可知論の態度をとり続けることができる.
  • 「ハイイログマにとってハイイログマであることは何らかの感じのことである(意識は人類だけにあるわけではない)」という主張は明白であるように見えるが,しかしそれは想像力の罠にはまっているのだ.それはそういうことを日々語っているからそれを知っていると言っているに過ぎない.原生生物から人類の進化過程のどこかで相転移が生じ意識が生まれると主張するならばそれを証明すべきだ.我々は理解力なき有能性を過小評価しがちだし,動物に志向姿勢を適用してしまいがちなのだ.

 

  • ではヒトの理解力が理解力なきニューロンの活動からいかに生まれるのか.ヒトに独特なのは自らの行動をあとから正当化することだ.それは頭が文化が生みだしたミームで埋め尽くされていく過程で獲得されたやり方であり,特に重要なのが自己非難,自己批判の習慣だ.我々は人生の諸問題にあらかじめ解決を与えるために事前に計画を練り,議論し,自省し,理由を吟味するという習慣を学ぶ.ヒトは自分の未来の行為をデザインするために思考道具を使うのだ.
  • このような思考は様々なバーチャルマシンの階層から作られている.そしてこの重層構造を利用するためにユーザーインターフェイスとしてのユーザーイリュージョンが実装される.これは自分の有能性にアクセスするためのものなのだ.
  • このような自分自身への制御システムへのアクセスが必要になるのは,他者との戦略的コミュニケーションが生じる場面だ.相手に操作されることを防ぐには自分の状態を相手から隠す必要があるからだ.そしてこのユーザーイリュージョンは私秘的なものになる.つまりヒトは共同体でコミュニケーションを行うようになって個人的ユーザーイリュージョンシステムの受益者になった.そしてミームの進化がユーザーイリュージョンの進化のための様々な条件を整えた.ミームは自己にとって可視的になり,自己は物語の重心になり,共有の話題への共同注意が必要になる.自己はオペレーティングシステムのエンドユーザーに似た何かなのだ.我々はそれをどんなものより疑いなく最も親密なリアルだと見做す.これが「我々であるとはどのような感じのことか」(つまり意識)の説明になる.
  • 我々は,これにより自分の思考にアクセスしているが,実際のアクセスの程度は消化作用へのアクセスと大差ない.我々は非常に狭く大幅な編集を受けた経路(意識)に依存せざるを得ないのだ.

 

  • この説明は結局「カルタジアン劇場がある」といっていることになるのではないか?そんなことにはならない.(ここで,意識というユーザーイリュージョンがいかに狭い範囲のアクセスしかできていないかがいろいろ解説されている.そして意識のような問題を扱うには自省による考察(オート現象学)ではなく,他者から客観的にみてどう説明できるかという考察(ヘテロ現象学)として行うべきだと主張している)

 

  • では何故,目覚めている限り常にマルチメディアショーを上演し続けている内的な劇場が存在するように見えるのか.この問題に対する最良の説明は「ヒュームの奇妙な推理の逆転」だ.我々は因果関係を見たり聞いたりしているように感じるが,実際に経験しているのはAがBに続いて起こることだけだ.因果性の印象は外から来るのではなく,内から来るのだ.甘さは砂糖の本質的な性質ではなく脳が創り出すものなのだ.脳はベイズ的予期を反復し,自分の行動も含めた世界の客観的性質を推論する.
  • クオリアの議論も同じだ.補色錯視により(実際にはない)赤いパターンが見えた場合に,内的に赤のクオリアが存在すると考えるべきではない.このような誤った信念の志向的対象はどこにもないというだけなのだ.クオリアの要請は認知的作業を二重化しようとするのに過ぎない.

 

  • デカルトは(当時の環境ではやむを得ないことながら)1人称的視点から意識の問題を考察した.この伝統はデカルトの重力の1つになっている.サールは(その伝統を受け継ぎ)1人称的経験の優先性を断固訴え続けるべきだと主張する.それは科学的探求において対象となる現象のデータが科学的にデザインされた経路では入手できずに,素速いが雑な使い方をするためにデザインされた経路でしか入手できなくなることを意味する.それは説明すべきことのリストの膨張を招き,ハードプロブレムを喧伝することにつながるだけだ.
  • もう1つのデカルトの重力は,心身二元論が自由意思と責任の問題にフィットすると感じられるところから来る.しかし唯物論的議論が自由意思と責任を否定するわけではない.そもそも物理的因果関係から切り離された自由意思が道徳的責任の必須条件になるわけではない.自由意思は(有益な)ユーザーイリュージョンの一部なのだ.

 
 

第15章 ポストインテリジェントデザインの時代

 

  • 科学的な問題解決がどれほど進歩してもヒトの理解力を超えたところにある<神秘>と呼ぶにふさわしい問題が存在するだろう.チョムスキーは意識と自由意思もそうだと主張した.どんな脳も認知的閉包(cognitive closure)を免れることはなく,ヒトの脳だけがこの制約を免れているというのは誇大妄想だというのが論拠だ.しかしこの議論には説得力がない.ヒトの脳は何千もの思考道具により拡張され,認知能力を途方もない桁数で倍加させている.言語は要となる発明品だ.
  • 認知的閉包の論証の弱点は,その<神秘>の具体例を挙げようとするとそれに対する網羅的な探索が始まりその誤りが明らかになりそうになるところだ.
  • 神秘論者の別の問題点は,その理解力の制限は単一の人間の心を問題にしているのか,文明全体に蓄えられた理解力を問題にしているのかについて曖昧であるところだ.現代の科学の営みは,先人の知恵の上に乗り,各専門分野から集まったチームによって行われることが増えている(ここではワイルズによるフェルマーの定理の証明の例が取り上げられている).そして自らの証明の正しさは,複数の思索者が異なる経路を通って同一の誤った結論に至ることはありそうにないという見通しに依拠しているのだ.

 

  • ここまでの説明は,自然淘汰的になされる研究開発が漸進的にクレーンを創り出し,それが将来のクレーンのためのデザイン空間を切り開き,トップダウン式で理由設定を行う研究開発がなされるようになるインテリジェントデザインの時代への上昇についてのものだ.このようなクレーンのカスケードは進化の過程が生みだした自然の産物なのだ.(ここでデネットなこの過程をもう一度振り返って簡潔に再解説している.バイオテクノロジーやナノテクノロジー,音楽,進化的学習のアルゴリズムの分類と万能学習アルゴリズムの夢などの様々なトピックが取り上げられていて面白い)
  • 動物の脳は理解力なき有能性をもたらしたが,それ自体では新しい視座を持つことはない.その先に行くには別のどこかでデザインされて脳にインストールされる認知的な有能性としてのミームの蔓延が求められるのだ.それらの習慣が脳の認知的なアーキテクチャを変化させ,最終的に脳を心へ変えていったのだ.つまりヒトの心は2つの異なった研究開発(遺伝子進化とミーム進化)の遺産の成果が結合したものだ.

 

  • 今のところディープラーニングマシンの有能性にこの種の現象が創発する兆しはない.マシンのモニタリングは人間のユーザーの仕事になっている.これを考えるとヒトの心はユーザーをその内部に宿していることがよくわかる.意識はその中でのユーザーインターフェイスなのだ.
  • ディープラーニングマシンの圧倒的な(理解力を持たない)有能性の故に,我々は多くの実践的,科学的,審美的判断をそれらにゆだねるようになるだろう(デネットは少し前までは夢物語のような事柄が実現しそうになっていることを様々な例をあげて説明している).それでも私はマシンが識別(discriminate)はできても気づき(notice)はできていないと主張する.ディープラーニングが超人的知性のたぐいをもたらすことは,今後50年は,ないだろうというのが今の私の見解だ.
  • ディープラーニングマシンがもたらす真の危険は,超人的知性が自分の運命を自分で決めようとすることではなく,我々が自分たちの道具の理解力を過大評価し,その有能性を超えた権威を機が熟すより先に思考道具たちに譲り渡すことだろう.認知的な補助道具は,道具であり仲間ではないとしてデザインされていくことが望ましいだろう*11

ここでデネットは本書全体の流れを要約して繰り返し,本書を終えている.
 
 

本書はこれまでのデネットの議論の集大成とも言えるもので,意識の問題を進化的視点を採ることによってその起源から説明しようという壮大なものだ.まず陥りやすい罠を整理し(ヒトが動物の心に意識を見てしまうというのが大きな罠の一つにされているのは面白い.ネーゲルのコウモリの議論の影響を与えているのだろう),そして進化的に形成される有能性についてはその持ち主がその「理由」に気づいている必要がないことを何度も強調する.(進化心理的に考えると)これは動物を持ち出さずともわれわれ自身も嫉妬や怒りの適応的な説明に通常は気づいていないことから見ても当然のことだが,陥りやすい罠なのだろう.そしてこの理解力なき有能性についてチューリングマシンというもう1つの例を取り上げて説得性を補強している.
次に最後の議論に持ち込むために,ダーウィン空間,さらにミーム論という思考道具を提示し,読者に最後の展開に至る準備をさせる.このミーム論,さらにそれを用いた言語の進化にかかる第9章から第12章の議論は独立した2冊の本にしてもよいほどの充実した部分で読みどころになっている.ボイドとリチャーソンやスペルベルのミーム忌避がドーキンスへの反発からもたらされているのではないかというのは辛辣な指摘だし,ピンカーへの反論はかなり真剣になされている.ミーム論については一時は盛り上がったが,その後勢いをなくし,文化と遺伝子の共進化についてはボイドとリチャーソンによるモデルによるものが主流になっているというのが私の認識だが,デネットはここで1人がんばっているということになる.私としては寄生的なミームについて「感染力」の問題として小さく扱うよりもミーム的に考察した方がわかりやすいのではないか,特に組織的大宗教を考察する際には有用なのではないかと思っているのだが,デネットの議論はその感覚には整合的だ.そしてデネットは寄生的なミームの考察に有用だということを超えて,ピンカーが強調するような「機知」に基づくひらめきも実はその背後にはミーム間の競争と淘汰過程があるのではないかと示唆していて刺激的だ.
そして最後に意識の問題に進んでいる.それは基本的には社会的な相互作用の中で相手から操作されないためのユーザーイリュージョンだ*12という説明になるが,その過程ではミームの淘汰過程の脱ダーウィン化が重要な鍵であると主張している.
私はデネットの大ファンで,本書の議論の大半について強く説得されたが,この最後の「ミーム論はこのユーザーイリュージョンの成立を説明する上で重要なピースだ」という部分だけはなお腑に落ちていないところがある.それは単に,自らの行動を記憶し,自省し,相手を操作し,相手から操作されないようになるために少しずつユーザーイリュージョンが洗練されたということでは説明できないのだろうか.とはいえ,デネットの提示する物語も十分あり得る道筋であるようにも感じる.私自身さらに研鑽を積んで考察していくべきところなのだろう.いずれにしても重厚な本だ.進化的視点を持って意識を考察しようとする人にとっては基本文献と呼ぶべき一冊になるだろう.


関連書籍
 

デネットの本
 
原書

From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds (English Edition)

From Bacteria to Bach and Back: The Evolution of Minds (English Edition)



志向姿勢についての本.

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

「志向姿勢」の哲学―人は人の行動を読めるのか?

The Intentional Stance (A Bradford Book) (English Edition)

The Intentional Stance (A Bradford Book) (English Edition)



意識について,デカルト的心身二元論やそれに親和的な議論をこてんぱんにしている本だ.

解明される意識

解明される意識

Consciousness Explained (English Edition)

Consciousness Explained (English Edition)



ダーウィニズムと自然淘汰についての明晰な解説.スカイフックとクレーンという議論は特に印象的だ.

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化

  • 作者: ダニエル・C.デネット,Daniel C. Dennett,山口泰司,大崎博,斎藤孝,石川幹人,久保田俊彦
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2000/12/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 2人 クリック: 65回
  • この商品を含むブログ (51件) を見る
Darwin's Dangerous Idea: Evolution and the Meaning of Life (English Edition)

Darwin's Dangerous Idea: Evolution and the Meaning of Life (English Edition)

 
自由意思を扱った一冊

自由は進化する

自由は進化する

Freedom Evolves (English Edition)

Freedom Evolves (English Edition)



意識についてのエッセイ集.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20100224/1267008626

スウィート・ドリームズ (NTT出版ライブラリーレゾナント059)

スウィート・ドリームズ (NTT出版ライブラリーレゾナント059)

  • 作者: ダニエル・C・デネット,土屋俊,土屋希和子
  • 出版社/メーカー: エヌティティ出版
  • 発売日: 2009/12/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 6人 クリック: 79回
  • この商品を含むブログ (21件) を見る
Sweet Dreams: Philosophical Obstacles to a Science of Consciousness (Jean Nicod Lectures) (English Edition)

Sweet Dreams: Philosophical Obstacles to a Science of Consciousness (Jean Nicod Lectures) (English Edition)



宗教についての一冊,新無神論の基本的文献の一つ.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20100827/1282913655,原書書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20070218/1171785769

解明される宗教 進化論的アプローチ

解明される宗教 進化論的アプローチ

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon (English Edition)

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon (English Edition)

 
自らが哲学的考察で用いてきた思考道具をまとめて解説するという面白い趣向の本.グールドの筋悪議論を徹底的に分析しているところは大変面白かった.

思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

思考の技法 -直観ポンプと77の思考術-

Intuition Pumps and Other Tools for Thinking (English Edition)

Intuition Pumps and Other Tools for Thinking (English Edition)

*1:ここで働く別の歪曲力としては創造論者に手がかりを与えたくないという願望もあるそうだ.

*2:逆に進化には合目的的なデザインを生みだす力が無いと誤解されかねない(そして創造論者に有利に働く)というデメリットがあると指摘している.

*3:思考道具の役割を強調した心理学者リチャード・グレゴリーの名にちなんでいる

*4:3次元にしているのはヒトの認知的限界からそうしているだけで,理念的にはもっと多くの次元を持つダーウィン空間を考えることができる

*5:生物進化の結果大気圏の組成は変わるが,生物はそれにあわせて進化し,さらに大気圏の組成は変化していく

*6:なぜドーキンスはミームの説明のなかで語を取り上げなかったのかが考察されている.ドーキンスはの中では,(典型的ミームとして)まずアイデアがあり,それが語なしでも伝わりうることを強調したかったのだろうというのがデネットの推測だ.

*7:これはトマセロの主張になる.トマセロは言語はヒトの認識と思考の頂点であって基礎ではないとしているが,デネットは言語なしで累積的文化進化はあり得ず,それは人間の認識と思考のロケット発射台だと反論している.

*8:サバンナでほかの腐肉食者と競争するために,グループを形成し,斥候を出してどこにどんな肉があるかの報告を得ることができる

*9:多くの人が心の理論を使いこなすのに,(高機能アスペルガーの人が多大な努力によってたどりつく)意識的に理解された心の理論を知っている必要がないことと同じだと解説されている

*10:ここではなぜナイジェリア王子の詐欺が未だに消えずに残っているのかの説明があって面白い,それは騙されやすいカモを選び出すフィルターとして機能しているのだ

*11:デネットはここでGoogleなどに見られる先回り型の推測反映システムに苦言を呈している

*12:これは意識は報道官であって,知らない方がいい情報にはアクセスできなくなっているという報道官モデルと整合的だ

「進化心理学を学びたいあなたへ」 その17

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

第6章 未来の進化心理学者たちへ

第6章ではこれから進化心理学者を目指す人々へのアドバイス的な寄稿を集めている.

6.1 苦労の末学んだ12の教訓 ダニエル・フェスラー

フェスラーはUCLAの進化心理学者.リサーチの対象は感情,疾病回避,モラル,向社会行動と協力,コンフリクト,攻撃,リスク行動,文化伝達,摂食行動,性と繁殖と多岐にわたる.本書の紹介では感情について進化的な視点から伝統的な心理学理論の問題点を指摘してリサーチを進めた事例がいくつか紹介されている.
フェスラーによる本寄稿は自分のリサーチの紹介ではなく,これまでの経験から得られた教訓を読者に提示している.

  • ここでは私が得た教訓を示したいが,まず私がどうやってここにたどりついたかを説明しよう.
  • 人類学専攻の学部生の頃,教授たちは皆社会文化人類学の一部である心理人類学を専門にしていた.私も心理人類学者になろうとしたが,心理人類学には仮説を提供する包括的な理論がないことにだんだん不満を覚えるようになった.
  • フィールドワークでは集団間の違いよりヒトの感情の普遍性に感銘を受けた.私は進化について考え始め(そのような分野が興りつつあることに気づかず)自己流の進化心理学を作り始めた.そしてHBESに参加してこの分野こそ私の興味の領域だと知ったことが転機になった.<教訓1:自分の大学や研究室の外側に目を向けよう>
  • 学位論文執筆中に「The Adapted Mind」を読むことになったが,コスミデスとトゥービィの重要な章は私に影響を与えなかった.私が不真面目だったせいもあるが,彼等の初期の仕事には2つの弱点がある.膨大で複雑なアイデアが密度濃く詰め込まれていること,先行研究の大部分を見当違いとして切り捨てていることだ.<教訓2:アイデアは聞き手の理解を注目を得られる形で発表しよう> 優れたコミュニケーターであることはよい科学者の条件の1つだ.
  • 私も従来の社会科学には批判的だが,それでもその中に多くの価値ある知見を見いだすことはできる.心が空白の石版であるという見方への批判の最も不幸な副作用は,多くの進化心理学者たちが文化心理学者たちの仕事を無視してしまったことだ.<教訓3:科学には傲慢さと謙虚さの両方が必要だ>

 

  • 私が最初に進化心理学者たちと出会ってショックを受けたのは,彼等の批判の矢がコミュニティの外にばかり向けられていたことだ.理論的前提や研究スタイルを共有している人への批判を控えようとするのはヒトの進化した心理の1つだろう.しかし前提やスタイルが似ているほど仕事の批判者として適切であり,そうする義務も増すはずだ.<教訓4:科学の発展は論争好きな研究者のコミュニティによってもたらされる.1人1人が議論に貢献しなければならない> メッセージが建設的なものであれば,あなたが仲間の進化心理学者にしてあげられる最も有意義なことは,彼等の仕事を批判することなのだ.

 

  • 進化心理学の学生はヒトの生活様式の多様性を見過ごしがちだが,これは間違いだ.新しいアイデアは素朴理論を使って産まれる.これは自分の属する文化に影響を受けており,理論はトートロジーになりがちだ.これは幅広いサンプルで検証されるべきだ.<教訓5:ヒトの多様性の理解は心についての仮説を作り検証する上で重要だ>
  • 多くの適応は条件付きで調整されたものになる.これがヒトの多様性に注目すべき2番目の理由だ.複数の環境条件下で仮説を検証すべきだ.しかしこれは簡単ではない.<教訓6:条件依存的調整は多くの進化的仮説で見過ごされてきた.それは必要なデータを得るのが難しかったからだろう> しかし調査の簡便性は重要な問いを無視する理由にはならない.
  • ヒトの多様性に注目すべき最も大きな理由は,文化こそがヒトを他種と大きく分けるものだからだ.文化情報の獲得,使用,伝達のための豊富な適応があるに違いないのだ.ここには進化心理学にとっての未開の平野が広がっている.<教訓7:進化心理学で最も研究されていないのは文化への適応であり,おそらく最も重要だ>

 

  • これまでの進化心理学の研究は配偶戦略に大きく偏っている.それは大学生をサンプルにした場合調査しやすい領域で,予測が素朴理論から得やすく,親の投資理論のような理解しやすい概念から核になる疑問を得やすかったからだろう.<教訓8:近年の進化心理学研究は配偶関係を過度に強調している.これは簡単なトピックから始める傾向の反映だろう.進化心理学は別のもっと重要な疑問に取り組む時期を迎えている>
  • 進化心理学者の多くは民俗学や霊長類学について知識不足であることが多いのではないか.現在の人種の心理学の主流はEEAでは他人種との出会いは稀だったはずだから,現在の人種にかかる心理は何か別の心理(連合形成や民族など)を反映しているというものだ.しかし現在の人類学の知見ではヒトの祖先が他種ホミニドと同所的に分布していた可能性が増している.私は人種の心理(そして本質主義的傾向)は他種ホミニドとの相互作用のために進化してきた可能性があるのではないかと思っている.<教訓9:進化心理学的研究を厳密に進めるためには,ヒト進化に付随する多くの理論と知見に親しむことが必要だ> 進化心理学の本質は学際性にある.自分の分野以外の情報を勤勉に追求して高度に学際的な研究者コミュニティに所属しよう.
  • 進化心理学者たちはしばしば適応の歴史による制約について過小評価しがちだ.例として性的な嫌悪を挙げよう.これが配偶行動を調節するための適応である証拠が増えてきている.しかしそれだけならなぜ吐き気などのコストがあるのかを説明できない.これは毒や病原体を忌避するための適応として嫌悪の基盤があり,配偶調整のための性的嫌悪はそのメカニズムの上に乗っているので,本来不要なコストを持っているのだとしてのみ説明できる.<教訓10:心理的適応の進化の歴史に注意を払うことで,しばしばその最適化をはばんでいる理由が明らかになる> これを調べるための有効なツールは比較研究になる.

 

  • ここまで私は難しいことに取り組めと強調してきた.しかし若い研究者はこのような課題のみを取り扱うべきだといっているわけではない.研究プログラムをデザインする上では,平凡な予測と非凡な予測の区別が重要だ.非凡な予測は,今ある科学的理解とも素朴理論とも相容れないものだ.非凡な予測は間違っている可能性が高いが,しかしそれが支持されたときの科学的インパクトは大きい.それはハイリスクハイリターンなのだ.<教訓11:非凡なプロジェクトと平凡なプロジェクトを組み合わせてバランスの取れた研究ポートフォリオを持とう>

 

  • 進化心理学の実践にはより根源的な要素がある.世界の道徳体系の多様性を学ぶと自分が受け継いだ価値体系はたまたま生まれついた文化的環境によるものだとわかる.生命の進化を学ぶとそこには超自然的因果律がないことがわかる.遺伝子の文化の共進化,道徳と宗教の進化的基盤を学ぶと価値や信念の体系には内在的正当性などなく,それらは集団が機能するために個人の心の適応を利用するように進化した単なる装置に過ぎないことがわかる.これらは道徳的指針なく道をさまようような不安を生む.したがって進化心理学者が個人として直面する最大の課題は,ヒトの信念や価値の裏に隠れた根源的要因を曝いたあとにどう道徳的人生を送るかということになる.しかしこの危機をもたらす理論は同時に解も与えてくれるのだ.これにより私たちは信念や価値を自由に選択できるということがわかるからだ.他集団への敵意にとらわれすぎることからも解放される.より道徳的生態環境を形成するチャンスにも気づける.マーゴ・ウィルソンは数多くの学生を導き,世界中の科学プログラムを発展させる手助けをし,差別をものともせずに,常に楽観的で,どこに行こうとも協力と善意をはぐくんだ.トゥービィがその弔辞で述べたように,マーゴは進化学者に道徳的である方法を示したのだ.<教訓12:進化心理学の発見と洞察は道徳の危機を作り出すが,その危機の中には世界をより良い場所にするチャンスが眠っている.私たち1人1人がそのチャンスをつかむべきなのだ> これは私が得た最も重要な教訓だ.


進化心理学の現在の問題点を率直に指摘していて,迫力のある教訓集になっている.コスミデスとトゥービィの文章があまりに濃密で膨大で複雑なアイデアを詰め込みすぎているというくだりには思わず笑ってしまった.私も「The Adapted Mind」を読んだときには,彼等の章があまりにも濃密で,何度もくらくらしながら文意を追って行かざるを得なかったことを思い出した.それ以来彼等の文章を読むときには,まず座り直して覚悟を決めるようになったものだ.進化心理学者が社会学に対して手厳しく,仲間内に甘かったというのは,その迫害の歴史にも関連するのだろう.しかし今後はフェスラーの言う通り,他分野の知見に敬意を払い,仲間内でも厳しく批判し合っていくべきなのだろう.
最後の教訓は深みがある.日本のように一神教があまり深く根付いていなく,無神論者が特に差別されるわけでもない社会ではあまりぴんとこないが,アメリカではその帰結を知らずにこの道に入り込む信心深い若い学生が学んでいく内に真実に気づいて呆然とするという状況は結構リアルなのだろう.
 
なおフェスラーは自らのWeb pageに道徳に関するエッセイを載せている.https://www.humansandnature.org/the-wellsprings-of-our-moralities

概要を紹介しておこう.

私たちのモラルの根源
 

  • 母なる自然は無道徳だ.しかし道徳はユニバーサルだ.自然世界には道徳の指針はないが,すべてのヒト社会には道徳ルールがある.そしてすべてのヒトは自分や他者の行動がその道徳に沿っているかどうかについて強い感情を経験する.このルールや感情はどこから来るのだろうか.
  • 「道徳ルール(の一部)は文化により異なるが,私たちの内側に生じる部分(道徳感情)はユニバーサルだ」というのは一見正しそうだが,実はそう簡単ではない.文化は私たちの感情にも影響を与えるからだ.より正しい描写は「私たちは,道徳ルールを学び,それが自明であると内部化し,それに沿った行動やそれに違反する行動に強い感情を抱く能力を生得的に持っている.そしてこれらの能力は特定の文化環境の中で発達し,道徳アクターとしての私たちを作り上げる」というものだ.道徳に関しても生得/学習の単純な二元論は妥当しない.
  • 私たちは,この世界には何らかのルールがあることの期待を持って生まれるが,その内容については知らない.道徳的な行為の引き起こす感情を備えているが,そのどの側面がその文化において重要かは知らない.私たちは文化があることを前提に,文化に依存するように生まれてくるのだ.
  • チンパンジーにはプロト道徳,つまり単純なルールとそれに関する感情がある(文化伝達があるのかどうかは知られていないし,彼等の反応は自分自身への影響についてのものに限られている).しかし完全に発達した道徳,つまり複雑な学習されるルールとそれが(他者間においても)守られることについての感情的反応を持つのはヒトだけだ.ヒトは非血縁者を含む大きなグループで協力しながら生活しているということも他種と異なっている.
  • 道徳,グループ生活,協力はみな関連しており,文化的伝達情報の上にある.私たちの繁栄は互いに学び合える能力から来ているのだ.成功した社会は採餌.住居確保,捕食回避を協力し,互いに教え合ってうまく行っている.
  • 互いに教え合って,かつてないほどの情報を集積し,互いにうまくやることによってグループは大きくなり,さらに互いにうまくやるための知識が集積される.同時にグループ間のリソースやナワバリの競争も生じる.そしてよりうまく組織化され,高いテクノロジーを持つグループは有利になる.

 

  • テクノロジーには物理的だけでなく社会的なものもある.そして物理的テクノロジーにトレードオフがあるように社会的テクノロジーにも単純な最適な方法は存在しない.最適な社会的テクノロジー(価値システムと社会構造)はその社会がおかれた物理的社会的な生態条件に依存するのだ.

 

  • 集団の中での個人の成功のためには,そのルールを素速く学習し,それを守ることを強く動機づけられることが有利になった.こうして道徳性を持つ心が進化したのだろう.そして最適な社会的テクノロジーはその社会によって異なっていたので,特定ルールを持つような心は進化せず,生まれ落ちた文化のルールを素速く学ぶような心が進化したのだ.

 

  • 自然淘汰は私たちを道徳的種に作り上げた.しかし私たちの歴史は私たちを異なる複数の道徳体系を持つ種にした,これは一部の読者には絶望的に見えるかも知れない.私たちは何が正しいかについて永遠に争わざるを得ないのかと.しかしながら私はもっと楽観的な結論を選ぶ.この世のすべての生物種の中で私たちだけが,自分たちがどこから来たかを知り,そして未来をどうしたいかを決めることができるのだ.ヒューマニティと道徳の本質を知ることは,より込みってくる世界でどううまくやっていけばいいか,戦争を減らし,環境問題を解決する方法を教えてくれる.誰も唯一の正しい価値体系を示せないなら,一緒に過ごすための妥協を見つけるべきなのだ.私たちは皆歴史の産物だが,それに縛られる必要はどこにもない.

「進化心理学を学びたいあなたへ」 その16

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

 

5.5 脳が自らを研究する時:氏と育ちの二分法を超えて クラーク・バレット

 
クラーク・バレットはサンタ・バーバラでトゥービィとコスミデスの指導を受け1995年に博士号を取得,マックス・プランク研究所を経てUCLAに在籍する進化心理学者だ.主にヒトの認知の進化と個体の発達の解明をリサーチしている.

  • 脳が自分のことを研究しようとするときに進化心理学最大の課題の1つが生じる.ヒトの脳が現実を分析して理解するように進化したのは,それが(包括)適応度上昇に影響したからであって,必ずしも真実を見いだすのに役立ったからではない.脳は複雑に絡み合う世界の因果律から少数の代替変数を抽出し,ある種の予測を容易にする代わりに,代償として世界の真の因果関係の多くをないがしろにするのだ.
  • 私が興味を持ったのはこれがもたらす2つの不幸だ.1つは発達についての因果推論,もう1つは心の働きについての因果推論にかかわるものだ.
  • 発達について,ヒトは生命体の特質は生得的なものと学習されたものに2分されるという本質主義に傾く.そして心理的メカニズムについて,ヒトは意図的に行われたものとそうでないものに2分するのだ.我々は世界の意味を理解するために心が創り出す二元論にしばしば陥ってしまうのだ.
  • このどちらの2分法も行動予測という課題を解決するのに役立つ.ある生物の行動は同種個体を観測すれば,当該個体を知らなくともある程度予測できる.意図を持つ/持たないの区別も行動予測には有効で,我々の読心システムに深く埋め込まれている.
  • これらは心理リサーチに対する障害になる.個体差を無視するバイアスは発達の研究を難しくする.さらに意図的/非意図的の区別あるいは意識/非意識の区別は,進化による/進化によらないという2分法に結びついて誤解を招きやすい.
  • 残念ながら現在の心理学はこのような2分法が主流になっており,心的プロセスを自動的かつ無意識的/柔軟かつ意識的なものに2区分し,前者は適応産物であるモジュールだが後者は柔軟な意識的プロセスだと見做しがちだ.これは最悪で,進化と硬直性を同一視してしまっている.この誤解によれば柔軟なものは進化とは無関係で自然淘汰以外の説明が必要なことになってしまう.しかしこれは間違いだ.

 

  • 私の研究課題は脳が行動を根源的本質的な因果関係に単純化して解釈予測するメカニズムの本質を解き明かすことだ.具体的には捕食者と被捕食者の相互作用の直感的理解,目的や意図の分析と道具使用との関係,意図の推論と道徳的判断の関係などを調べてきた.興味は生得的かどうかではなく,システムのデザインのところにある.
  • このようなリサーチにとっては文化比較のアプローチが重要だ.異質な文化における心理メカニズムを比較することによってそれが進化産物なのかどうか,そのデザインと機能の関係が発達環境や文化環境に無関係なのかどうかを知ることができる.具体例としては,アマゾンの先住民と現代ベルリンの子どもたちを比較し,捕食者に遭遇すると死ぬかも知れないという理解や,どの動物が危険かを素速く学習する傾向に差が無いことを確かめたものがある.
  • その際に多くの適応的なデザインは可塑性を持ち,硬直的な通文化的普遍性は持たないことを理解しておくことは重要だ.上記のリサーチの場合地域ごとの捕食者やそれを表す単語は異なっている.しなければならないのは心のデザインの特性レベル(判断の手がかり,因果推論で用いる概念,意図的かそうでないかの概念的区別など)での仮説を立てることだ.

 
 

  • 進化心理学はしばしば誤解される理由の1つは,進化が心をどのように形作るのかについての(魅力的だが正しくない)多くの直感が堅固に存在することにある.多くの人々は,そして学者でさえも,生得/学習,意識的/自動的などの2分法を乗り越えることができない.
  • 進化心理学は学習,文化伝達,意識的選択,意識そのものを含めた心のすべてを進化の産物と見做そうという学問だ.そしてその最重要課題は,心が進化の産物であることを人々に説得することではなく(それは割合簡単だ),それを受け入れた場合の帰結がなんであるかを示すことだ.
  • そのためにはこれまであまり進化的に考察されていなかった意識的選択や社会化のような現象の研究を可能にする新しい概念が必要になる.そしてそのためには進化/自由意思・学習・文化という誤った2分法をやめなければならない.
  • その他の障害には歴史的・文化的なものもある.ヨーロッパの啓蒙主義哲学に源を持つ心身二元論の伝統,宗教,学問領域間の長年の不和なども影響があるだろう.(そういう意味では)中国は進化心理学の発展に貢献できる特別な立場にある.

 
 
なかなか意欲的でかつ深い寄稿だ.一般知能,意思決定,累積的文化を可能にする心的特性,意識についての進化的な説明はなかなか難しいし,仮説はいろいろあるが,説得力の高い決定的なものはまだないというのが実態だろう.今後の進展が期待されるところだ.


バレットの本
 
まさに上で述べられたようなことが説明されている本になる.
 

The Shape of Thought: How Mental Adaptations Evolve (Evolution and Cognition) (English Edition)

The Shape of Thought: How Mental Adaptations Evolve (Evolution and Cognition) (English Edition)

 
 

コラム5 マイクロ・マクロ社会心理学から適応論的アプローチへ

 
第5章の日本の研究者によるコラムは清成透子によるもの.自らの遍歴を語ってくれている.
 

  • 私には3人の恩師がいる.
  • 1人目は山岸俊男だ.北海道大学の学部1年の時に「男性社会と女性」という講義を聴き,行為者に偏見がなくとも合理的意思決定の帰結として差別が生まれうることを教えられ,大きな衝撃を受けた.その後山岸の研究室がある文学部行動学科に進み,内集団びいきや協力行動の研究を行った.ちょうど山岸自身が進化心理学に触れた時期であり,適応論的アプローチの威力を実感することになり,私の中で囚人ジレンマ協力問題はヒトの向社会性の進化の謎につながっていった.
  • そしてこの問題は進化心理学,数理生物学,行動生態学のリサーチャーとの交流につながり,私の軸足は社会心理学から学際的なものに移っていった.
  • そして第2,第3の恩師であるマーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンに出合い,彼等のもとでポスドク時代を過ごすことができた.そこで罰と報酬が協力行動に与える影響について研究した.
  • ヒトの向社会性の進化の謎は未だに論争が続いている.適応論的アプローチはそういった学際研究をつなぐ共通言語そのものだ.

書評 「世界は美しくて不思議に満ちている」

世界は美しくて不思議に満ちている――「共感」から考えるヒトの進化

世界は美しくて不思議に満ちている――「共感」から考えるヒトの進化


本書は進化心理学者である長谷川眞理子による様々なところに発表した小文を集めたいわばエッセイ集になる.序文のあと大きく3部に分けられており,第1部で人生や心についてのエッセイ,北極紀行などの様々なテーマを扱ったものを集め,第2部で進化心理学や行動生態学からわかってきたヒトという生物についての解説文,第3部でそれらの知見から社会問題を考える小文が集められている.

序文としては今回書き下ろしのものではなく,3.11直後の2011年5月に書かれた「文明の先を見据える」という寄稿が採用されている.現在の文明の状況が生態系の中の1生物種としては異常なものであること,(原子力発電に対してどういう立場に立とうと)この分不相応な暮らしを続けていく限り状況は変わらず,(状況を変えるには)生活の見直し,文明の先を見据えることが重要だが,さらに肝心なことはそれを実践する気が本当にあるのかということだろうと結んでいる.

第1部 世界へ出る

第1部は様々な内容の素晴らしいエッセイが並んでいる.人生や心を語るエッセイには前提としての人類史や自然淘汰の解説が収録されており,その簡潔さが美しい.そして特に最後の長編2編が素晴らしい北極紀行になっていて本エッセイ集の白眉だと思う.2週間の北極ツアーは,北極海を旧ソ連時代に建造された調査船に乗って回遊し,上陸できるところで上陸,航海の間には同行する動物学,植物学,地質学の専門家の学問的解説が受けられるという垂涎もの.巨大な氷山の美しさ,それがひっくり返るときの衝撃音,ホッキョクグマ,セイウチ,ナガスクジラ,ハシブトウミガラスなどとの出合いが書かれた第1編は臨場感ある旅行記になっているし,学生時代に入手したダイアン・フォッシーの記事のあるナショジオの付録の北極地図から始まり,北極探検の歴史(ここはかなり詳しく語られ,フッカーの南極行きやニコライ・ヴィヴァロフに話が飛ぶところも面白い),南極条約のような条約がないという地政学的解説,スバーバル諸島の成り立ちとスノーボールアース仮説の関係,天候不順で最後に1日滞在した街の想い出が収録された第2編は自由奔放に話が飛んでさらに楽しい.
その他私が面白いと感じたところをいくつか挙げておこう.

  • ホモ・サピエンスはなぜ世界中に拡散したのか.大きな要因はその好奇心つまり新奇性の追求傾向だろう.この好奇心がどのような方向に向かうのかは,子どもが世界をどのように見ているかにかかっている.現代の科学技術のほとんどは子どもがいじくり回してなんとかなるものではなくなっており,身近な技術への好奇心をはぐくむのは難しくなっているのかも知れない.
  • 学生や院生から「人生に意味や価値があるのかどうかわからない,生きていく意味がわからない」という意見を聞くことがあるが,私はこの感覚がわからない.世界は美しくて不思議に満ちてているのでそれを探求するためにずっと生きていたいと思っている.生物学者になって研究して得た結論は「生物は皆一生懸命に生きている」ということだ.何か意味や価値があるから生きているのではない.生きているからこそ,意味や価値が生まれるのだ.
  • ヒトは他者に心があると想定する(これはメンタライジングと呼ばれる).メンタライジングをすると集団内の他メンバーの意図や気持ちを類推し,それに気を配りながら行動し,自分を含めた自集団をメタ認知し社会関係を多元的に把握できるようになる.
  • ヒトは生後かなり早い時期から他者への協力傾向が生まれる.だから私はヒトに関しては性善説を採る.道徳感情も協力傾向から生まれている.ヒトの協力傾向の特徴は血縁を超えた他者への協力が可能なことだ.血縁を超えるようになった理由には「共同繁殖」が必須になったこと,高い知能により「系図」を思い描き拡大家族を認識できるようになったこと,メンタライジングにより同じ心を他者に見いだし,共感できるようになったことが挙げられる.
  • 片方でヒトは人為的な境界を引くことにより意識的に共感を断ち切って不寛容になることもできる.これを乗り越えるには前頭前野によるメタ認知によって辺縁系の情動を抑える必要がある.そのような理性の言葉は読書や議論による深い思考の訓練が必要だと考えられる.全世界に不寛容が広がっているのは,特定の仲間内だけに発せられるSNSなどの発信が深い思考による吟味を不可能にしているからなのかもしれない.

 

第2部 ヒトを知る

ここではヒトを進化生物的に解説した総説的な文章が並んでいる.いろいろなところに寄稿した文章を集めたものなので内容に重複もあるが,様々な知見の関連性がいろいろな形で提示され,かつ繰り返し重要なところを語ってくれるようでそれもまた味わい深い.著者の見解の骨子になっているようないくつかの解説を紹介しておこう.

  • (進化心理学が提唱した)EEAについてはいろいろな議論があったが,現在では何か特定の生態環境ではなく,いくつかの特徴を併せ持つものとして抽象化されている.そのような特徴には,高栄養・高エネルギーの獲得困難の食物に特化した採食,食糧獲得等の行動に使われる高度な技術(道具)使用への依存,集団内の協力と共同作業による生業活動や社会運営,男女の分業と協同,両親祖父母血縁者非血縁者を含む共同子育て,言語による知識伝達による累積的文化,が挙げられている.
  • ヒトの成功の鍵はどこかで競争的な知能が協力的な知能に変わったことにあるのではないかと考えている.実際にチンパンジーとヒトの大きな差は他者の心を推測できるかどうかではなく,その心の理論を使って協力的に行動できるかどうかのところにある.それは共感の中で(情動感染や感情移入ではなく)特に認知的共感と関連があるだろう.
  • ヒトの言語コミュニケーションの特徴は,(それが動物にも見られる単なるシグナルなのではなく)相手と心的表象を共有しようとしているところにある.これは三項関係の理解というものが成り立っている必要がある.
  • 心の共有があるからこそヒトは言語を持ち,文化を累積的に進歩させながら伝えていける,そして因果関係の理解,認知的共感により社会関係の改良を探ることができる.互いに認識が異なることが理解し,話し合うことができるのだ.このような社会性がヒトの繁栄の最大の要因だろう.
  • ヒトの大きな特徴の1つは非血縁者も含めた集団メンバーによる共同の子育てだ.これにはサバンナでの食糧採集に共同作業が必要になったこと,子どもの離乳は早いが自力で生きられるようになるまで非常に時間がかかるという生活史の進化が関係している.
  • 利他行動の進化は行動生態学の大きなテーマであり,そのメカニズムとして血縁淘汰や直接互恵的説明が提唱されてきた.ヒトではこれらの理論が要求するような特定条件下だけの利他行動を行うのではなく,あらゆる文脈における協力行動が可能になっている.ヒトにおいては心の理論を持ち,因果関係の理解が可能になり,それにより他者の心の動きの原因を理解できるようになっていることが重要なのだろう.ある行動が利他行動かどうかという議論を超えて,様々な「協力行動」「向社会行動」がなぜ進化したのかを解明していくことがヒトの理解を深めるのに役立つだろう.
  • 女性はなぜ(一見進化的には不利になりそうなのに)閉経するのか.閉経のメカニズムを調べると祖先状態から閉経可能になるように変化しており,文明や長寿化の副産物ではなく何らかの適応であることを強く示唆している.適応仮説には祖母にとっては自らが繁殖するより孫の子育てを手伝う方が包括適応度が上がるという「おばあちゃん仮説」と,(人類祖先ではメスの分散の方が大きい形が基本だと考えられる中で)限られたリソースでどちらが繁殖するかという姑と嫁のコンフリクト状態において,姑にとっては嫁の子育てを手伝うと包括適応度的にもある程度の利益があるが,嫁には姑の子育てを手伝っても包括適応度的な利益がないので姑の閉経が進化したという「コンフリクト仮説」がある.両者は排他的ではないので共に効いている可能性がある.

 

第3部 社会で生きる

ここでは進化生物学や進化心理学の知見を前提にして社会問題を考察したエッセイが並んでいる.主なテーマは持続可能性,子どもの虐待,女性活躍社会,宗教問題になる.

  • エコシステムはエネルギー循環と物質循環から考察でき,基本的に物理的環境と生物や生物集団との相互作用を持つ複雑適応系だ.これまでの環境問題は,公害や特定生物の絶滅問題であり,解決策の提示は比較的容易だった.しかし現在の大きな問題は地球温暖化であり,全体のシステムが複雑適応系であることから因果関係の把握が難しい.そういう中で「持続可能性」の概念を生み,「生物多様性」の維持が重要らしいことが認識されているというのが実態だろう.しかしその厳密な科学的理解はまだ十分ではない.この解明が進めば子孫のことを思う人々の態度は変化していくだろう.
  • 狩猟採集民は自然から過度の収奪をしないという神話があるが,リサーチによると彼等は短期的な肉獲得率を最大化するような狩猟戦略をとっている.しかしそれでも人口密度が十分低かったし,ものを持ち運ぶ必要があるので持ち運べる以上の収奪をしなかったから自然と調和していられたのだろう.

 

  • 動物にとって自らの子どもを殺す性質は進化しにくいが,生涯に多数回繁殖し,現時点での子育てがうまくいきそうもなく次のチャンスが確実にある場合には,現在の子を遺棄したり殺したりして次のチャンスにかける性質は進化しうる.ヒトの場合にはこれに共同繁殖だという要因が加わる.物理的環境や子ども自身の健康問題だけでなく,その属する社会集団から共同で養うべき子どもであると認められない場合には「子育てがうまくいきそうにない」という(無意識的なものも含めた)認識につながることがある.このような状況での遺棄や虐待は現代の倫理観では許されないことであるが,ヒトにも生物としてその傾向があることは理解されておくべきだ.
  • ヒトの子どもはなぜこんなに大声で泣き止まなかったりするのだろうか.チンパンジーの子はほとんど声を上げない.共同繁殖種であるヒトの幼児には「この関係は気に入らない」と発信して,別の誰かの世話を受けようとすることが適応的だったのかも知れない.
  • 虐待問題を改善させるためにはヒトが共同繁殖種であるということを大前提として社会福祉や教育制度を構築しなければならないだろう.
  • 理想の社会を考えるときにはヒトの進化史を理解しておくべきだ.女性の活躍を促進しようとする政策を立てる場合にも,男女の繁殖戦略の違いやヒトが共同繁殖種であることを大前提として制度を考えるべきだ.

 

  • 宗教を進化生物学的に考えるとどういうことになるか.機能から考えてみよう.宗教のあり得べき機能には,(1)世界の成り立ちの説明,(2)道徳判断の指標,(3)死と死後の世界についての説明,(4)この世の悲惨に対する救い,(5)内集団の結束があるだろう.
  • 脳内基盤を考えると,(1)(3)にはヒトの自意識,因果関係の推論能力,因果を説明されると快を感じる情動が関わっている.(4)は因果関係の推論能力と共感感情,道徳感情が関わっているだろう.(2)の道徳についてはダーウィンがそれを進化的に説明しようとしたし,現在では様々な方向から研究が進んでいる.超自然的な権威はより抜け道を許さないことに役立ったのかも知れない.(5)はヒトには集団間で争いがあり,宗教はその手段として利用された文化要素だということになる.宗教とその心的基盤の進化を解明するためには自意識,因果推論能力,その説明に快を感じる情動,共感感情の進化を考察すべきだということになる.
  • ヒトには自分が優れているという優位性バイアス,自分はうまくいくと考える楽観性バイアス,自分は物事をコントロールできているという制御可能性バイアスがある.宗教はこの3つの認知バイアスを肯定・促進し,さらにこのバイアスを制御しようとするように思われる.私は「自分たちは神に選ばれた」「神を信じていれば悪いことは起こらない」「神はすべて見透している」という考えはこれらの認知バイアスにすり寄った考えだという仮説を立てている.逆に仏教のような宗教はこの認知バイアスを消し去ろうとしているのかも知れない.

 

最後に結びの書き下ろしエッセイが置かれている.動物からヒトに研究の興味が移ったのは,ヒトが生物として明らかにおかしいことをしており,チンパンジーとの間の巨大な違いはどこから来るのかを知りたかったからであり,言語と文化を可能にしたヒトの特徴への解明物語につながったこと,それは協力,共感,高度な社会性が鍵になっていることをまず語っている.そしてローラーコースターのように進む現代文明の行く末,環境問題の解決の難しさに思いを馳せる.著者の最後の言葉は,未来は予測できないが,ヒトは論理的に思考した人に共感し協力する能力を持っているのだから,意識して目標を立て実行することができるかも知れない,そういうことを考える次世代を育てるのが私たちの世代の義務だろうというものだ.そして最後に「果たしてそれは間に合うのだろうか?」と書いて本書を終えている.
 
 

長谷川眞理子の文章は明晰でわかりやすく,読んでいて非常に快感だ.様々なテーマについて書かれたそのような文章を集めた本書は私にとっては宝箱のようなものだ.ヒトについての様々な解説はいろいろなところで聞いていたことを明確に関連づけて復習できる貴重なものだし,宗教についての考えは初めて触れるもので,これも興味深い.そして何より北極紀行が素晴らしい.カバー絵がこれまた雰囲気が出ているセイウチになっているのもいい.すばやく電子化されているのもまたまた嬉しい.私にとって常に端末に入れておく珠玉の本の1冊になるだろう.


関連書籍


長谷川眞理子によるダーウィンハウスやガラパゴス諸島への紀行エッセイ.これも大変楽しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060815/1155647712

ダーウィンの足跡を訪ねて (集英社新書)

ダーウィンの足跡を訪ねて (集英社新書)


ヒトの心や生活史に関しては以下のような本がある.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20081027/1225114016

ヒトの心はどこから生まれるのか―生物学からみる心の進化 (ウェッジ選書)

ヒトの心はどこから生まれるのか―生物学からみる心の進化 (ウェッジ選書)


同じく少し前の本

ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか (ウェッジ選書)

ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか (ウェッジ選書)


同じくヒトの心や生活史に関連した最近の対談集.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170115/1484477256