書評 「進化と暴走」

進化と暴走―ダーウィン『種の起源』を読み直す (いま読む!名著)

進化と暴走―ダーウィン『種の起源』を読み直す (いま読む!名著)

  • 作者:内田 亮子
  • 出版社/メーカー: 現代書館
  • 発売日: 2020/01/01
  • メディア: 単行本

 
本書は現代書館による「今読む!名著」シリーズの一冊で,ダーウィンの「種の起源」を扱っている.Origin刊行150周年の2009年頃にはいろいろな「種の起源」本が出たが,あれから10年経っての一冊ということになる.著者は人類学者の内田亮子.「種の起源」は人類についてはほとんど扱っていないので,内容的には「種の起源」と「人間の由来」の両著*1が扱われている.ダーウィンオタクとしては見過ごせない一冊だ.
 

序章

 
序章において内田はいきなり「過去30年間で人間の『奇妙さ』は特にエスカレートしているように思わざるを得ない」と書き,クローン,ゲノム編集,原子力,仮想通貨,SNSなどの「扱いに悩む」科学技術,中東をはじめとする内乱やテロの状況を憂い,ダーウィンを読みつつそこを考察するのだと宣言している.これはいかにもピンカーが「21世紀の啓蒙」で警鐘を鳴らした統計音痴でエビデンス無視のノスタルジア派インテリそのもののようで,いきなり少し脱力させられる.
ともあれ内田はダーウィンのメッセージとして21世紀の我々にとって重要なのは,生命の有り様,特にその変異(ばらつき)に気づくことの大切さだと進める.そして変異(ばらつき)概念のわかりにくさを論じる*2.変異(ばらつき)についての内田のこだわりが垣間見えるところだ.このあと「進化」という概念の一般の誤解にも触れている.
 

第1章 「種の起源」を読む

 
第1章ではまず「種の起源」の大まかな構成が示される.そこから内田は執筆にあたってのダーウィンの苦悩を推察する.内田の見たてではダーウィンは「種」「遺伝」「自然淘汰*3」「本能」「進化」などの概念が誤解されやすいことに苦悩していたということになる.実際「種の起源」においてダーウィンは「種」や「本能」の定義をあからさまに避けている.これらについての内田の扱いを見てみよう.

  • 種:ダーウィンは種を明確に定義せずに議論を進めている.彼はそれでも「種の起源」の目的は果たせると考えたのだ.そして個体間のばらつきへの注目の重要性と個体群間の連続性(それによる境界の曖昧さ)を指摘した.ダーウィンはのちのマイヤーによる生物学的種の定義(交雑可能性を種の判別要件とする)は採らなかったが,交雑とその多様性には興味を持っていた.ダーウィンの記述を読むと彼の種のとらえ方は「種の認知はある意味ヒトの脳の(本質主義的離散主義的)癖である」とする見方に近いのかもしれない.
  • 遺伝:ダーウィンは遺伝に関する法則は全くわかっていないとしている.当時主流であった遺伝の融合説では自然淘汰による進化は不可能だった.(ここで現代の遺伝学と進化の総合説の知見について簡単な解説がある)そこでダーウィンは第5版からはパンゲネシス説を仮説として提示した.これは1種の粒子を仮定しているが融合説の範囲内であった(と内田は整理しているが,そうではないと思う.ダーウィンの「家畜と栽培植物の変異」を読むとダーウィンが隔世遺伝などの例を通じて遺伝が粒子的であることを確信していたことは明らかだ.そしてパンゲネシス説は「ジェミールという粒子を通じて形質が遺伝する」とする立派な粒子説だ.しかしダーウィンは一部の観察の結果を獲得形質の遺伝だと誤って解釈してしまった.そしてそれを粒子説の枠内で説明しようとして「細胞内でジェミールが形成され,それが血液を経由して次世代に伝わり,遺伝が生じる」というメカニズムを提案したのだと思う.)
  • 自然淘汰:selectionは一般には擬人的に「意図」を含む過程だと誤解されることが多く,ダーウィンは(個人的に嫌っていたにもかかわらず)ハーバート・スペンサーによる「適者生存」という用語も用いるようになる.(内田はここで科学的説明に比喩を用いることの難しさ,これが「同義反復」批判を生んでしまったことについても触れている) なおダーウィンは中立説的な「中立形質の確率的な変動」が生じ得ることも理解していた.
  • 本能:本能についてもダーウィンは定義を避けている.現在では「本能」は,一般的にはよく使われる言葉だが,学術的には心理や行動を扱うほとんどの分野で使われなくなっている.本能,習性,性向など遺伝的かそうでないか曖昧な語句が複数あり混乱が生じるためだ.(内田はここでダーウィンがアリの行動について「家系陶太」という言葉を用いて血縁淘汰的議論を行っていること,グループ淘汰的表現もあることについて触れているが,あまり紙数をさいてなくやや物足りないところもある)*4

このほかここではダーウィンが地質学的な「斉一説」に強い影響を受けていたこと,進化と進歩についてどう考えていたか(生物に本来高等下等はないが,同じ環境においてより生存競争に有利な形質を持つようならそれは高等と見なせるという記述もあるが,基本的には超自然的な創造や最終的なゴールを想定してはいない)などを扱っている.
 

第2章 ダーウィンと周辺の人々

 
「種の起源」の読解を終了して,ここから内田は人類学者としてヒトを扱っていくことになる.まずダーウィンを含む19世紀の様々な思想家の人間観を探る一章を置いている.内田の博学振りが示され,私の知らないような話も多く,(誰が実はレイシストであったかにこだわっているところはややリベラル臭が濃すぎるようだが)全般的になかなか面白い章になっている.

  • ダーウィン:ダーウィンは「種の起源」においては人類に言及せず,それは「人間の由来」で扱われている.当時人種については多元説と単一種説が論争となっていた.ダーウィンは奴隷制を嫌悪しており,進化説を受け入れれば単一種説しか採り得ないと強く主張している.そして20世紀に実際にその通りになった.これはダーウィンが時代をはるかに先駆けていたことを示している.そして人種間のばらつきについて性淘汰による可能性を示唆した.
  • エイブラハム・リンカーン:リンカーンは奴隷解放宣言でよく知られているが,大統領就任時の最優先課題は奴隷制廃止ではなく米国の分裂を防ぐことだった.このため南北戦争の戦後処理においてはいくつかの妥協が見られ,これはダーウィンを失望させたようだ.またリンカーンは奴隷制には反対だったが,アメリカインディアンと白人の関係改善には手を付けなかった*5
  • フランシス・ガルトン:人間のばらつきの測定に興味を持ち,人間は進化を操作できると考えて優生学の祖となった.優生学は20世紀前半に多くの支持者を得た.(優生学に関連してアインシュタインの人種をめぐる揺れる本音の吐露,ナイチンゲールのガルトンとの交流なども扱われている)
  • ハーバート・スペンサー:ダーウィンはスペンサーを嫌っていたが,ヒトの心的活動の知見については敬意を払っていたようだ.スペンサーは行動が環境との相互作用で変わることを示した.これはのちの行動主義の原型と考えることもできる.彼は獲得形質の遺伝を信じ,生物進化を人間社会のアナロジーとして政治的主張に利用した.彼の主張は社会ダーウィニズムとよく呼ばれるが,社会スペンサリズムと呼ばれるべきものである.社会スペンサリズムは人種差別,植民地支配,帝国主義,民族浄化に結びつけられて論じられてきた.しかし実際のスペンサーは,リバタリアンで徹底的なレッセ・フェール支持であるとともに,男女の法的社会的平等を主張し,帝国主義も批判している.欧米ではリバタリアニムズの興隆と共にスペンサー再評価の動きが進んでいる.
  • スペンサーは人間の進化は完璧な方向に進む定向的なものだと誤解し,めざすべき絶対的倫理と規範的道徳の存在を信じ,進化論的功利主義を唱えた.これは自然主義的誤謬である.(なおここで内田はCurry, Richardsなどの論文を引いて,進化心理学,進化倫理学研究者の中に自然主義的誤謬概念を放棄するものが現れていると警鐘を鳴らしている.これらの論文は未読で詳細は承知していないが,いずれにしても進化心理学研究者の中ではごく少数派,あるいは異端的な立場だと思われ,なぜ紙数も限られているなかあえてこれを採り上げているのかについてはよくわからないと評せざるを得ない)
  • シグモンド・フロイト:フロイトはダーウィンよりもラマルク的獲得形質の遺伝の方がヒトの心の進化をより説明できると考えた.これはフロイトが当時「ユダヤ人の生得的欠陥が語られる反ユダヤ社会」に生きていたからかもしれない.このほかフロイトは定向的進化,発生と進化の反復説,人種の多元論を支持していた.
  • カール・マルクス:ダーウィンの信奉者として知られ,資本論をダーウィンに送っており,ダーウィンの謝辞の手紙が残っている.「資本論の献辞を申し出たが,ダーウィンに断られた」という話もあるが,この話の元になった謝絶の手紙は別の人物の別の書物についてのもので事実ではないようだ.マルクスの個人的な書簡には表の政治的立場とは異なる人種差別的なののしり言葉が残されている.
  • アダム・スミス:国富論で見えざる手として市場を説明し,道徳感情論で共感の重要性を強調した.これがダーウィンの心の進化の考察につながったという指摘は多いが,近代の学者の後付けであるとの解釈もある.実際にダーウィンは「人間の由来」の中でスミスについて1カ所で触れているだけだ.
  • アルフレッド・ラッセル・ウォレス:ウォレスは人間についてはまさに「悩める人」だった.ダーウィンほど個体淘汰を徹底せず,種や変種レベルでのグループ淘汰的議論を行った.またヒトの心や行動については環境決定論を採り自然淘汰の枠外とし,超自然的な心霊主義にとらわれた.これはヒトの高尚な心的活動が自然淘汰で説明できないと感じたことによる.ウォレスの自然主義的人間理解からの撤退の影響は大きく,人類学は自然界での人間の位置の認識を革命的に変える機会を失った.そして人類学は20世紀にさらに普遍的な説明を排除する相対主義の優勢の時代を迎えることになる.

 

第3章 ダーウィンと人間科学

 
ここで内田は人類学の歴史を語る.章題こそ「ダーウィンと人間科学」となっているが,ダーウィンは記述の焦点から後退しており,進化を誤解したままダーウィニズムを批判する社会科学系人類学への恨み言が読みどころになっている.

  • ダーウィンが進化を説明したのち,人類学こそが自然科学と社会科学を駆使した人間理解の学問になるはずだった.しかし多くの人類学者は進化を曲解し,誤解をもとにダーウィニズムを批判してきた.そして近時,文理融合型の人類学は絶滅に瀕している.
  • 人類学,社会科学における進化の理解を単純化すると,ダーウィニズム,偽ダーウィニズム,反ダーウィニズムの立場に分かれる.ダーウィニズムを認める立場であっても,(それを身体的なものに限定したいという)心や行動の説明としての進化生物学的アプローチへの抵抗は強い.(それを物語る衝撃的なエピソードも紹介されている) ダーウィニズムが一般へ浸透しきれない原因の一つにはこの偽ダーウィニズム,反ダーウィニズムによる研究・教育の実践がある.

 

  • ヒトと近縁な動物は何か:オーウェンはヒトと類人猿の関係性を論じることさえ否定した.ハクスレーは最初にヒトと類人猿を解剖学的に比較し,ヒトを霊長類に含めたが,なお霊長類の中にヒトのみで単一の下目を認め,キツネザル目,サル目と合わせた3目を立てた.ダーウィンはヒトとアフリカ類人猿との近縁性を認め,確かに霊長類の中でヒトの独自性は大きいが,類縁関係の観点からはヒトは科または亜科に過ぎないだろうと考えた.今日ではDNAからヒトともっとも近縁なのはチンパンジーであることがわかっている.
  • ヒトの起源の古さ:ヒトと類人猿の知性や文化の違いを強調する学者はその分岐年代も古く見積もってきた.それは科学的推論よりもそうであって欲しいという願望のようなものだった.20世紀初頭,類人猿との分岐は3000万年前,人種の分岐が200万年前とする議論もあった.今日ではホモ・サピエンスは長くても30万年程度の歴史しかないことがわかっている.
  • 脳の増大と直立歩行:当初人類学者たちは進化にゴールがあるという誤解にとらわれ,まず脳が増大し,それから直立歩行が進化したと考えた.今日では化石の発掘により直立歩行が先行したことが明らかになっている.
  • 「進化」主義的人類学:スペンサー,ウォレス,ヘッケルたちは進化について進歩改良に向けた定向性があると考えた.この誤解は偽ダーウィニズム的人類学としての「進化主義的人類学」を生んだ.(そのような人類学者たちの考え方がいくつか紹介されている)

 

  • 1970年代以降,ハミルトンたちによる遺伝子的視点による進化理論が発展し,「種の保存」に向けた進化という説明が誤りであることが明らかになった.しかし「種の保存原則」は一般社会,そして社会科学領域では広く信じられたままになった.
  • EOウィルソンは「社会生物学」において一般向けにダーウィニズムとそれに基づくヒトを含めた動物の社会性の理解を包括的に提示し,さらに「人間の本性について」でヒトのより深い理解を提案した.その後少数の人類学者によってヒトの自然環境および社会環境への生物学的文化的適応の研究が進められ,1990年代には進化心理学も現れた.しかし人類学を含めた社会科学領域ではこれらの理論を積極的に取り入れる動きはなく,生物学的決定論に過ぎないと認識されて激しく批判されている.
  • 20世紀後半の社会科学系人類学における反ダーウィニズムの主流はポストモダニズムの影響を受けた極端な文化相対主義だ.彼等は特に偽ダーウィニズムである進化主義的人類学を批判したが,その過程で自然から完全に乖離した人間観へと振り切れてしまう.彼等はダーウィニズム的人類学についても,行動の過剰な単純化であること,さらにそこに自然主義的誤謬が含まれると(誤解に基づき)厳しく批判した.彼等の主張をよく見ると都合の良いウォレス的心身二元論からさほど変わっていないと評価せざるを得ない.実際に文化決定論および相対主義人類学では,例えば嬰児殺しを扱っても異なる文化に敬意を払ってその価値観や倫理観から解釈するだけで,その原因や普遍性の理由を問うことはない.文化人類学者のインゴルドは「ダーウィニズムは時代遅れだ」と主張し,すべてを個体の歴史と成長過程,そしてエピジェネティクスで説明すべきだとする.なぜそこまでダーウィニズムを批判しなければならないのだろう.もしかしたら社会科学系人類学は,ダーウィン,そして生物学の成果を適切に理解しないまま現在に至っており,誤解の風車に対してドン・キホーテのように戦っているのかもしれない.

 

  • ダーウィンの期待に反して文化研究の学際的取り組みは遅れた.その主な阻害要因は文化の定義だ.社会科学領域では文化は言語が前提のものと捉えられており,動物の文化との比較が困難だったからだ.この問題は近年認知科学領域でより広い定義が用いられるようになり,解消されつつある.
  • 進化的視点で文化を捉える際には,遺伝的進化よりも収斂の頻度が高いであろうことに留意すべきだ.また近年では文化と遺伝の共進化もモデル化して研究されるようになっている.この分野では寄生的なミームという概念が興味深い.ダーウィン以降160年間も続く進化の誤解,人間中心主義に偏った認識はヒト対象の学問の負の遺産である.これもまた1種の寄生虫なのかもしれない.

 

第4章 言語の特性と進化

 
前章で文化を簡単に扱ったあと内田は言語について1章を当てている.ここは内田のリサーチエリアということもあり,力がはいっている.

  • ダーウィニズムの誤解が解けない背景には言語の特性,言語の進化もある.言語は「ばらつき」に関心を払わない.だから生物の客観的理解には不都合なのかもしれない.
  • ダーウィンにとって言語の多様性の説明は生物進化のアナロジーとして格好の例だった.また各種動物の発声を言語との連続性の観点から考察している.そして言語習得にも生物学的基盤があるはずで,それが進化産物であると確信していた.
  • ダーウィン以降も言語の起源と進化の研究は(言語学会の禁止会則もあり)停滞していたが,1990年代以降盛んに研究されるようになった.主な研究課題にはプラトン問題(言語の習得),ダーウィン問題(言語能力の進化),ウォレス問題(それは陶太産物か)がある.これまでいろいろな説が提示されているが,これらの問題をめぐって考え方が異なり,議論は平行線になっている.

 
<プラトン問題>

  • チョムスキーは刺激の貧困問題から言語能力の生得性を前提にした生成文法理論を組み上げた.近年それはミニマリストアプローチを採り,併合を重視する考え方になっているが,その生得能力がどこから来たかには無関心だ.また言語を考察する際に言語の構造が可能にする論理的思考に重点を置く.
  • トマセロに代表される認知言語学派は子どもの脳と社会環境の相互作用によって言語が習得されるとする.これは刺激の貧困問題はそもそも存在しないという立場だ.ただ近年の多くの認知言語学者は言語を可能にする認知機能(生得文法のような構造ではなく認知的ツールボックス)にある程度の生得性は認めている.
  • ディーコンは脳と言語の共進化によってプラトン問題の説明を試みる.文法構造は習得されやすいように進化し,ヒトの脳は習得能力を進化させるという説明だ.また各言語間の差異も文化的淘汰で説明する.

 
<言葉の意味するもの>

  • プラトンは名前は実在物に対応し,永遠の実在(イデア)であると考えた.アウグスティヌスは言葉=代用物としての音声記号とし,西洋ではこの代用説が長らく信じられてきた.
  • ソシュールは指す対象と指すための表現という二要素を持つ記号論モデルを提示した.これにより言語の音節化(デジタル化)が説明でき,イデアが実在する必要もなくなった.
  • パースはサインとそれがさし示す事柄・意味の物理的意味的関係性を分類した.これはディーコンによって言語コミュニケーションの特異性の説明に用いられ,アイコン,インデックス,シンボルの3項モデルの提示がなされた.そして言語の特異性はそのシンボル性にあり,3項関係を扱う認知作業であるとした.シンボルには翻訳・解釈を介することで二重の任意性が働き,社会的合意が前提になる.

 
<シンボルの定義>

  • シンボルについても定義の問題は根深い.(ダーウィンも「自意識」「個性」「抽象化」「一般概念」について定義の曖昧さに言及している)
  • 人類学ではシンボル概念を使うのはヒトだけだという考え方が大勢だ.しかしそれはなぜか,それを可能にする脳機能はなにかという探索には結びついていない.それはシンボルの定義が曖昧だからだ.(各種定義の要素が並べられて検討されている)
  • 人類学者や考古学者はシンボルがいつ現れたかについて探求してきた.しかし定義の恣意性,曖昧性,(意図を問題にする場合には考古物からそれを推測することの困難性)などからはかばかしい進展はない.(マイズンの議論が紹介されている)

 
<ダーウィン問題>

  • ヒト以外の動物のコミュニケーションについてはその意図性,任意性,シンボル性が様々に議論されている.(道具製作,警戒音,ジェスチャーなどの議論が紹介されている)
  • ヒトの発達過程においていつ(インデックス段階を越えて)シンボルの理解・使用が始まるのかが問題になった.トマセロは指さしに注目している.ヒトの3項関係の理解は1歳前後に生じるようだ.ディーコンはインデックスからシンボルの使用への進展にはインデックス的接地を切り離すことが重要だと議論している.
  • 指さしと対象物のラベルの発音,模倣には他者の意図についての基礎的認知能力(メタ認知能力)が必要になる.これは志向意識水準で説明されることもある.このようなメタシンボルと言語の関係については様々に議論されているが,まだうまく説明できているという状況にはなっていない.今後の進展が期待される.

 
<ボールドウィン効果とウォレス問題>

  • ダーウィン以降,形質表現の可塑性と学習の効果という要素を組み込んだ考え方が複数提案されて議論されてきた.
  • 表現型の可塑性はヒトにおいて特に重要だったと考えられる.進化の方向性への学習行動の寄与の可能性はボールドウィン効果として議論されている.
  • 言語の起源,進化は認知的可塑性と大きく関係しているだろう.ディーコンは淘汰圧の緩和によって言語に関わる機能を持つ個体の頻度が高まったのではないかと議論している.岡ノ谷の研究は家畜化による淘汰圧の緩和によって鳥の歌が複雑になることを示している.またセキセイインコのリサーチでは新しい認知スキルが性淘汰上有利になる可能性を示されている.
  • ヒトはシンボル的言語を獲得し,虚構概念を扱う思考能力を手に入れた.その一方で別の機能が制限された可能性もある.

 
<まとめ>

  • 言語には共通の構造がある.言語獲得能力に生物学的基盤があり,言語そのものが習得容易な形式に進化したと想定することは可能だ.
  • 言語のシンボル性がヒトの思考を劇的に変えたのだろう.ダーウィン問題の探索は続けれるべきであり,ウォレス問題についても学習能力や脳の特殊化を考慮に入れた単純な自然淘汰を越えるメカニズムを想定すべきだ.
  • ヒトは特異な言語依存性の生物になり,自然界のばらつきをそのまま理解することが不得手になった.虚構を創り出し,「実体化」させ,社会学習によって浸透していく.文化蓄積は格段に効率化された.これにより「暴走」が生じるようになった.

 

第5章 人類の暴走と限界

 
さて冒頭で懸念された内田の「暴走」論はこうなっている.
まず最初に生物学的な「赤の女王」現象を解説し,それは軍拡競争として進化を駆動するが,一方がもう一方を完全に駆逐することはなく,1種の暴走制限装置であるとする.その例外としてランナウェイ型性淘汰があるが,ヒトの暴走は蓄積性の文化によるものでそれでも説明できないと続く.
続いて暴走の具体例が挙げられる.身体的暴走として,肥満,高血糖,高血圧などの生理状態,人口増加,性成熟の早期化,薬物やゲームへの依存,男性のテストステロンの急速な上昇などを,シンボル的暴走としては拡大親族と所有・支配関係,内集団操作,外集団への敵意を,技術的暴走として不満の解消にこだわった乗り物,高層建築,家畜などの極端なものの産出を挙げている.
そして生理的な暴走には限界があるが,技術的な暴走には限界がないとし,肥満を低カロリー食品で何とかしようとする試みの不毛さ,花粉症の人災性,技術開発が「社会的受容」により歪められていること*6,不妊治療と優生思想へのつながり,原子力発電の不都合性,ヴァーチャルなコミュニケーションの弊害*7,グローバル経済と途上国での搾取,ブレクジットと移民排斥,AIの限界,宗教と心霊主義による科学的真実の歪曲などが次々と嘆かれている.
 
私の評価ではこの章は残念というほかない.まずいかにもノスタルジア派インテリの好みそうな「自然の調和と不自然な人間」のイメージを提示する最初の赤の女王による暴走制限と文化の累積性の違いというテーマだが,そもそもこのアナロジー自体成立していないのではないかと思う.捕食者と被食者の軍拡競争は一見どちらも相手を出し抜けないように制御されているかのようだが,それはそういう関係の動物群が(過去絶滅しなかった結果として)現存しているだけであって,片方がアウトパフォームしてもう片方が絶滅することを防ぐ仕組みはどこにもないだろう.
そして様々な暴走を嘆く部分については,この技術がどれほど人類に福音をもたらしたかと合わせて考察しなければ単にノスタルジア派インテリのエビデンス無視の感傷的なぼやきに過ぎない.確かに肥満などの現代環境とのミスマッチ問題はあるが,それが技術的文化的に絶対解決できないわけではないだろう.花粉症もいずれ技術的に解決できるかもしれない.速い乗り物,高層建築のどこが問題だというのだろうか.不妊治療そして様々な生命技術の応用がなぜ暴走として否定されなければならないのだろう.グローバル化の進展に伴う途上国での搾取を問題にしているが,彼等にとって100年前より現在の方がはるかに状況は好転しているだろう.そして狩猟採集時代と比べるとなおさらだ.グローバル化が途上国の人々に巨大な恩恵をもたらしていることを無視すべきではない.原子力を否定するのは一つの立場だとしてもそれで温暖化問題にどう対処するのかの見通しは書かれていない.技術開発の歪みや移民排斥など様々な問題が現代社会にあるのは事実だが,それは解決すべき(そして解決可能な)問題があるというに過ぎず,「暴走」として嘆く種類の問題ではないだろう.そして解決すべき問題としては,(SNSやAIなどではなく)温暖化,核戦争の可能性などの問題がとりわけ大きく扱われるべきではないだろうか.この章は累積的文化蓄積がいかに人類に幸福をもたらしているかを見て,しかしなお残る問題もあるという建て付けにすべきだったと思う.
 

終章 ダーウィンのメッセージ再び

 
言語と暴走で随分「種の起源」と離れてしまったので内田は終章で再びダーウィンに戻る.

  • 「種の起源」の目的は超自然的存在を想定せずに科学的原則で生物界の説明が可能なことを示すことだった.これは現代生物科学においても大きな意義を持っているが,一方でダーウィンのメッセージを誤解した人達は反ダーウィニズム,偽ダーウィニズム支持者となり自分の思想の主張に利用してきた.
  • ダーウィンの言葉からは科学に対しての期待と楽観性がうかがえる.そしてわからないことはわからないとするダーウィンの姿勢は現代の科学でこそ重要だ.
  • 進化的視点からの人間理解については,機械論的・決定論的であるという根強い誤解が払拭されなければならない.そしてそこではダーウィンがこだわった「ばらつきとなぜ?」の探索が必須だ.
  • そのような探索が行われている学問領域としては.文化進化研究(言語進化のほか写本系統樹研究,制度変容シミュレーション,実験などが紹介されている)がある.
  • 近年文化進化,社会心理学,経済学の一部の分野でダーウィニズムを基盤とする研究が多く見られる.(文化と遺伝子の共進化,山岸たちの実験社会心理学的取り組み,進化経済学,行動経済学などが紹介されている)
  • ダーウィニズム的視点は医学にも取り入れられ始めている.(ダーウィニアン医学の取り組みがいくつか紹介されている)
  • 生物科学領域では環境科学や生態学の特に人間と環境の関係性を探る部門でダーウィニズムの取り入れが遅れた.政治的経済的思惑とつながりやすかったためだろう.そしてこの分野は倫理や道徳的意思決定とも関連している.しかし環境を守るためにも進化的視点の取り入れは不可避だ.建設的な議論が望まれる.
  • 誤った進化のイメージの弊害は大きい.ばらつきとそれを差異と感じる心のなぜの理解,それを通じたヒトの理解が様々な問題解決にとって重要だろう.

 
本書は「種の起源」を読み直すという企画に乗って「種の起源」と「人間の由来」を読んでいったが,書いているうちにどんどん内田の書きたいことが膨らみ,かまわずそれをどんどん書いていったという印象の本に仕上がっている.
ダーウィンの読み込みについて特に新しい指摘はないが,かっちりと押さえている.累積的文化蓄積の恩恵を無視して「暴走」のみを嘆く部分は残念だが,それ以外のところはいろいろな話題が散りばめられていて面白い.そして変異(ばらつき)についての深い問題意識,様々な定義が曖昧なことについての嘆き,言語とシンボルについてのこだわりあたりが読みどころだろう.内容が多岐にわたっているので少し読みにくいがいろいろと深い本だと思う.
 
 
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名著誕生2 ダーウィンの『種の起源』

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このほか雑誌による特集には以下のようなものがある

 
生物の科学「遺伝」2008年9月号 特集 「ダーウィンと現代」.
shorebird.hatenablog.com

 
日経サイエンス 2009年4月号 特集「進化する進化論」.
shorebird.hatenablog.com
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2009-05-05
現代思想 総特集「ダーウィン:『種の起源』の系統樹」 2009年4月臨時増刊号
shorebird.hatenablog.com

*1:内田は本書の中で訳本としてOriginについては最新の渡辺訳を用いずいかにも古い八杉訳を用い,しかし書名は八杉訳の「種の起原」とせずにと渡辺訳の題「種の起源」を用いている.またDescentについては最新の長谷川訳を用いながら書名はあたらしく文庫化に際して改題された「人間の由来」ではなく文一総合出版から刊行された当時の「人間の進化と性淘汰」としているが,何となく一貫性がないように思う.最新の渡辺訳,長谷川訳を用い,「種の起源」「人間の由来」としておけばすっきりしただろう.当書評ではこの最新バージョンの邦題を用いることにする

*2:ここで内田は最近の日本遺伝学会による訳語改定(mutation:突然変異→変異,variation:変異→多様性)について苦言を呈しているが,大いに同感だ.mutationの「突然変異」から『突然』を外したいという気持ちはわかるが,だからといって(「変異」が使えなくなった)variationに「多様性」を当てるのは,まず純粋の日本語の語感としても違和感がある上に,生態学などの多くの生物学分野ではdiversityの訳語として「多様性」が定着しているので,そこに与える影響も考えると,唯我独尊的な無茶な改定だと感じざるを得ない.

*3:本書ではselectionの訳語として「選択」を当てているが,本書評では私の好みに従って「陶太」を用いる

*4:ここで内田はダーウィンが「イングランドでは.大きな鳥は小さい鳥より荒々しい・・・・.大きな鳥は人間から迫害を受けてきたためである」(八杉訳)と書いてあるところに触れて「興味深い」と評している.少し意味が通らないので調べてみると,「荒々しい」のところは原文ではwildnessを用いており,渡辺訳では「大形の鳥の方がはるかに人を恐れる」と訳している.おそらくここでのwildnessは「人に慣れにくい」というほどの意味であり,渡辺訳の方がいいと思う.

*5:リンカーンの祖父と叔父がインディアンに殺害されていることが影響している可能性が指摘されているそうだ

*6:ヴァイアグラがすぐに認可されたのにHIV治療薬の認可が遅れたことなどを挙げている

*7:人種差別の拡散の事例が採り上げられている